2017 年 10 月 12 日

・宗教改革500年記念連続講演(2)「改革者たち、現る!―聖書の中に揺るがない真理を見出した人たち」

Filed under: 講演 — susumu @ 12:05

2017.10.12(木)

鴨下 直樹

1.宗教改革の背景

 宗教改革を理解するためには中世の世界観を理解する必要があります。そこでカギになるのは「ルネッサンス」というこの時代に起こった大きな運動です。塩野七生という古代ローマを中心に物語を書き続けている作家がいます。この塩野七生さんは、ルネッサンスについてこう定義しています。「ルネッサンスとは、見たい、知りたい、分かりたいという欲望の爆発である」と。なぜそうなったのかというと、この時代、世界を支配していたキリスト教会が1000年にわたって中世の人々を支配してきたと言っていいわけです。

 このローマの支配というのは大変長い年月、ヨーロッパを中心とした当時の世界を支配し続けてきました。この間に、さまざまな制度を整えます。そして、教会も大きな権力をもつことになります。また、神学もすこしづつ整えられていきました。こうして、ローマによる支配が長く続くと、そのように、あらゆるものが整ってくるわけですが、色々な所でほころびも生じてきます。こうして、この中世と呼ばれた時代、教会が世界を支配していくことになるのですが、この時代の一般の人々、民衆はそれぞれに発言する権限を持っていません。ですから、教会のすることはそのまま従うしかなかったわけです。

 宗教改革の百年ほどまえまでは、ローマ教皇(私たちの耳慣れた言葉でいうとローマ法王といいます)はキリストの代理人と考えられていました。そのために、教会の代表であるローマ教皇の発言は中世の世界にあって唯一の意思決定の機関でした。しかし、ウルバノ6世が教皇に選ばれると大きな変化が起こります。このウルバノ6世は性格に欠点があり、枢機卿に怒りをいつもぶつけていたため、枢機卿は教皇選挙を無効としてクレメンス7世を擁立します。当時、フランスから支持を受けたクレメンス7世はそれまでローマにあった教皇庁をアヴィニョンに移します。ところが、ウルバノ6世は退位しなかったために教皇が二人になってしまいました。

 こうなってしまうと大問題です。意思決定の機関が二つになってしまったわけで、どっちに従うかという完全な勢力争いになってしまうからです。それで、この問題を解決するために教会の会議で決定しようということになります。ここから、ローマ教皇が権力をもつのではなくて、教会の会議によって決定しようという考え方がでてくることになります。この会議の結果、イタリアのピサで、新しいローマ教皇、アレキサンデル5世という新教皇が誕生することになります。ところが、結果的に前と同じことがおこるわけです。前の二人の教皇が退任しなかったため、3人の教皇が誕生するという事態が起こってしまったのです。

 ところが、アレキサンデル5世は間もなく死に、新しい教皇としてヨハネ23世が教皇に即位、このヨハネ23世の時にドイツのジギスムントがローマ皇帝となり、このジギスムントの力を借りてヨハネ23世はコンスタンツで公会議を行い、これでこの時、ローマのウルバノ6世、フランス、アヴィニョンの教皇クレメンス7世、そして、ヨハネ23世の三人が退位したために、新教皇マルチノ5世が即位し、問題は終わりを迎えます。

 こうして、次第にローマ法王の権威から、教会会議へと権威が移り変わる発端となるのでした。このごたごたの間に、教会の指導者たちは自らの権力回復と教皇領を回復するために莫大な財産を費やします。そして、その教会財政を回復させるために金銭問題が大きな影を落とすことになるのでした。 (続きを読む…)

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