2013 年 11 月 3 日

・説教 出エジプト記20章4-6節 「第二戒 まことの礼拝」

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 22:03

2013.11.3

鴨下 直樹

今日は召天者記念礼拝ということで、これまで私たちの教会で共に礼拝を捧げて来られた方で、今は天に召されている方々のことを覚えながら礼拝をささげています。また、先月から十戒の御言葉を聞き続けておりまして、今朝はちょうど第二の戒め、「偶像を造ってはならない」という戒めの御言葉を聞こうとしています。今日私たちは礼拝の後で鳩吹苑にまいりまして、墓地礼拝を致します。そこでも、私たちは亡骸に手を合わせて礼拝するということをいたしません。この戒めに書かれていることを、そこでも覚えているのです。私たちは教会の墓の前で、もう一度主にある復活の望みを確認し、共に主の御業を思い起こしながら、主をたたえる礼拝をするのです。

先日もマレーネ先生と話していたのですけれども、ドイツの墓地では亡骸を二十五年の間、墓地を借りて家族を偲ぶことができますが、二十五年たちますとまた更地にされて、直ぐに他の家族に貸し出されるんだそうです。この背景にはもちろん、キリスト教の信仰があるのですけれども、信仰者の亡骸はすでに天にあるのだから、ある一定の期間、家族の慰めのために墓地を造るけれども、そこに永遠に留まるのではないということを意味しています。

今日の戒めは「偶像を造ってはならない」ということですけれども、五節には「それらを拝んではならない」と記されています。偶像を造ることと、拝むことがここで戒められています。ここでよく考える必要があるのは、この「偶像を造ってはならない」と言う言葉は、もともとの言葉は「刻んだ像を造ってはならない」ということです。私たちはこの戒めを読みますと、別の神を造ってはならないという意味にすぐに理解してしまいますけれども、それはすでに第一の戒めで「わたしのほかに、他の神々があってはならない」と十分に教えられていますから、「別の神をつくる」という意味でこの戒めが記されているのではないことをまず理解しておく必要があります。ですから、死んだ者を神としてはならないということも、第一の戒めですでに教えられていることなのです。

では、この「刻んだ像を造ってはならない」というのはどういう意味を持つのでしょうか。 (続きを読む…)

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