2016 年 6 月 19 日

・説教 エペソ人への手紙 3章14-21節(2)「人知をはるかに超えたキリストの愛」

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2016.06.19

鴨下 直樹

 
 今日は、このエペソ人への手紙のパウロの祈りの部分から先週に引き続いてみ言葉を聞きたいと思っています。特に、今日の中心的なみ言葉は17節から19節の言葉です。パウロはその祈りの中でこんなことを祈っています。

こうして、キリストがあなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。

 パウロはここで何を祈っているかというと、このエペソの教会に集まっている人たちが、「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように」と祈っているのです。

 ですから、今日のテーマは「愛を知る」ということです。私は愛知県の木曽川町で育ちました。子供の頃から、この「愛を知る」という言葉に愛着を持って来ましたが、不思議なことに、どこか遠くに旅行に出かけまして、「どこから来たのか」と聞かれますと、決まって「名古屋」と答えます。おそらく、愛知県に住んでいる人のほとんどがそう答えると思います。「木曽川町」なんて言っても誰も分かりません。しかも、この木曽川町は、私たちがドイツに住んでいた時に、隣の一宮市に吸収合併されてしまいましたので、今は無くなってしまいました。もちろん、そんなことがなくても、みんな「名古屋」と答えるわけです。愛知県に住んでいる人はあまり、この名前に誇りを持っていないようです。むしろ、この芥見の人の方が誇りを持っていると感じることがあります。芥見の人は岐阜駅の近辺に行くときには「ちょっと市内に行ってくる」という言い方をします。一応芥見も岐阜市内なのですが、そこは芥見の人のプライドなのか分かりませんけれども、自分たちは岐阜市内に住んでいるという自覚が不思議とありません。はじめ聞いたときに不思議に思ったのですが、今ではもう慣れてしまいまして、私も最近では「市内に行ってくる」という言い方を遣うようになりました。これは芥見を誇りとしているというようなこととは違うのかもしれませんが・・・。たいぶ余計な話をしていますが、愛を知るという名前の県に育っても、そこに住んでいる人たちはみな愛について知っているとは言えません。愛を知る、それこそがこの箇所のテーマです。

 今日は午後から古川さんを講師に「楽しいキリスト教美術講座」を行います。毎年、一年に二回、美術講座を行っています。今回は「印象派」と言われる画家たちを取り上げてくださるようで、私もとても楽しみにしています。「印象派」と言いますと、日本でも特に人気があるのはモネとかルノアールというような、まさに印象に残る綺麗な色使いで、独特のタッチで描かれているものをイメージされる方が多いと思います。また、その後で、後期印象主義というんだそうですけれども、セザンヌとかゴッホという人たちがあらわれます。特に、今日はこのゴッホの作品から何点か紹介してくださるようです。今回の美術講座のチラシにも印刷されていたのですが、ゴッホの描いた「善きサマリヤ人」という絵があります。これは、その前にドラクロワという画家が描いた作品の模写です。ゴッホは他にも、レンブラントの模写である「ラザロの復活」だとか、やはりドラクロワの模写の「ピエタ」も描いています。この模写、あるいは模倣と言ってもいいと思います。絵を描く人は誰でもそうだと思いますけれども、この模倣するというのが、描くことの基本なのだと思います。

古川秀昭「うさぎ」1956年,和紙,割りばし,墨
古川秀昭「うさぎ」1956年
和紙,割りばし,墨

 以前、古川さんのアトリエで、アルブレヒト・デューラーの「野うさぎ」を模写したものを見せてもらったことがあります。どうも聞くところによると、小学生の時に描いたもので、その絵を当時同級生だったAさんにプレゼントしたのだそうです。Aさんとは、やがて何年もして、再会して、結婚をすることになったのだそうです、その話を聞くだけでも何かとてもドラマチックな気がしますが、古川さんたちが結婚された後に、この、小学生の時に描いてプレゼントした絵を、奥様が大事に保管されていたことが判ったのだそうです。とても小学生が書いたとは思えない美しいものです。このように、模写する・真似をするということが、芸術家の道であることを、もう小学生の時から古川さんは知っていたのでしょう。マネをすることは美術の基本です。

 そして、実は、この模倣する、真似をするというのは、美術に限ったことではありません。芸術全般にもいうことができると思いますし、人間も、より良く生きるためにこの模倣をすることを通して、本当の自分になっていくという部分があるわけです。ですから、様々な人との出会いがその人の人格を築き上げていくためにはとても重要です。
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