2017 年 9 月 24 日

宗教改革500年記念 連続講演会

Filed under: お知らせ,イベント — susumu @ 22:41

宗教改革500年記念 連続講演会チラシ 表
宗教改革500年記念 連続講演会チラシ 裏面
 
宗教改革500年にちなんだ、4日間の連続講演会です。毎日、朝と夜の2回、神学教師・牧師・教会音楽の専門家・芸術家によるわかりやすいお話が聞けます。どのテーマでも自由にご参加ください。<予約不要・全日無料>
日程:2017年10月12日(木)~15日(日)
会場: 同盟福音芥見キリスト教会
 

10月12日(木)〈宗教改革とは?〉

 

10月13日(金)〈キリスト教美術・キリスト教音楽〉

  • 10:00「個の自覚! 大発見! -その時…美術史が変わった!-」古川秀昭
  • 19:00「バッハの音の源泉はルターだった!? -バッハ自筆の楽譜の最後に記す “SDG” ~ただ神の栄光のために~ の意味は?-」森岡泰子

 

10月14日(土)〈キリスト教入門〉

  • 10:00「神さま…っていってもいろいろあるよね? -意外に知らない聖書の語る神〈ただおひとり〉の真実-」河野勇一
  • 19:00「教会ってどんなところ? -あなたの?に答える-」渡辺睦夫

 

10月15日(日)〈礼拝〉

  • 10:30-12:00 宗教改革記念特別礼拝
    「Reformation -私たちの改革-」鴨下直樹

 
 

今月の礼拝予定(2017年10月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 22:17

10月1日 三位一体後第16主日

主日主題: 福音
聖餐式礼拝: 午前10時30分
聖書: マルコの福音書2章1-12節
説教:「隔ての壁を打ち破り」 鴨下直樹牧師
子ども:「ソロモンの知恵」河合和世
聖餐式

午後:役員会、聖歌隊練習(礼拝後)

10月8日 三位一体後第17主日

主日主題: 証し
合同礼拝: 午前10時30分
聖書: ヘブル人への手紙 10章35-39節
説教:「岩に刻まれた祈り」 山田健長老
子ども:(合同)

午後:聖歌隊練習(礼拝後)

10月15日 三位一体後第18主日

主日主題: 宗教改革記念礼拝
合同礼拝: 午前10時30分
聖書: ローマ人への手紙 1章17節
説教:「Reformation~私たちの改革~」 鴨下直樹牧師
子ども:(合同)

午後:礼拝準備会/月間予定確認会、手話講座

10月22日 三位一体後第19主日

主日主題: 自由
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: マルコの福音書2章13-17節
説教:「主イエスが示される自由」 鴨下直樹牧師
子ども:「ソロモン、エルサレム神殿を建てる」鴨下愛

午後:女性会、地区別評議会(宣教ネットワーク)

10月29日 三位一体後第20主日

主日主題: 義
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: マルコの福音書2章18-22節
説教:「新しい喜びの生活」 鴨下直樹牧師
子ども:「ソロモンの罪と王国の滅び」鴨下愛

午後:教団役員懇談会、聖歌隊練習(14時~)

・説教 マルコの福音書1章40-45節「憧れを見い出させる主イエス」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 21:49

2017.09.24

鴨下 直樹

⇒ 説教音声はこちら

 先週火曜日、私たちの教団で長い間牧師として働いておられた後藤幸男牧師が天に召されました。水曜の夜に前夜式が行われ、木曜の午前中に葬儀が行われました。私は、水曜の前夜式に故人の思い出を語って欲しいと言われて、そこで、後藤先生との思い出を語らせていただきました。後藤先生はこの半年、自宅療養という形で、最後まで家族が寄り添いながら残りの時を過ごされたようです。私にとっては、同盟福音の初期の4人の牧師たち家族は、家族ぐるみのお交わりがあったために、大変親しくさせていただいていました。特に、私は同盟福音で最初の牧師家庭から牧師になったということもあって、後藤先生には、いつも厳しく育てていただいたと思っています。大変厳しい先生でしたので、たびたび叱られました。先日も、後藤先生の子どもたちと話していたのですが、ある兄弟は、「僕より叱られているかもしれんね」と言っていました。これは、別の見方をすれば本当に目をかけていただいていたということで、沢山愛されていたのだと改めて実感しました。

 聖書には沢山の癒しの話が記されています。けれども、前回のマルコの福音書からも明らかなように、主イエスは人の癒されたいという願いをよくご存じでしたが、癒すということにではなくて、主イエスご自身を知って欲しいということを願っておられました。病気が癒されることよりも、主イエスを知ることを大切にしておられました。ですから、大勢の人々が主イエスのところに押し寄せて来ても、主はそこに留まろうとはしないで、別の町に出かけて、ご自分のことをお知らせになりたいと願われたのでした。
 そういう意味で言えば、後藤牧師は本当に主のことをよく知っておられた方です。もちろん、癒しのために祈ったと思いますけれども、それにもまして、この主を知らせるためであれば身を粉にして伝道された方でした。そして、そのために生涯をささげたのだと言っていいのだと思います。

 さて、今日の箇所も3度目の癒しの出来事が記されているところです。お気づきの方も多いと思いますが、新改訳聖書の第三版は、これまで「らい病」と訳したところを、「ツァラアトに冒された」と訳しなおしています。これは、この「らい病」という言葉が差別用語だということが言われるようになって、それではヘブル語をそのまま使おうという一つの翻訳の新しい試みです。興味深いのは新共同訳聖書も同じように、差別用語、不快用語は使わないという基準があります。それで、旧約聖書では「重い皮膚病」と訳しました。これは、これまで「らい病」または「ハンセン氏病」と言われた病とは違って、皮膚病全体をもさす言葉なので、そういう翻訳を試みたわけです。けれども、新共同訳の新約聖書では「らい病」となっているのです。 (続きを読む…)

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