2021 年 1 月 3 日

・説教 ルカの福音書6章36節「憐れみ深く生きよう!」

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2021.01.03

鴨下 直樹

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午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。


 

「あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くなりなさい。」

 今年のローズンゲンによる年間聖句は、このルカの福音書の6章36節のみ言葉です。この一年、この御言葉を心に留めて歩みたいと願っています。

 今、まさに世界に求められているのは、この御言葉に尽きるのだと思うのです。昨年、私たちは大変な一年を過ごしました。そして、その大変さは今年一年も続くだろうと考えられています。新型コロナウィルスの拡大は、この冬になってますます広がっています。もう、私たちは「未曽有の危機」とか、「緊急事態」という言葉さえも、あまり危機感を感じないほど、耳慣れしてきています。

 人と人とが顔を合わせて会話するという、この当たり前の人とのコミュニケーションが禁止されているのです。入院している家族との面会も許されていませんし、老人ホームのような施設でも家族の面会が禁止されています。

 人を愛している、大切にしているということを伝える手段が奪われてしまうような、そんな生活を、私たちはなおもし続けていなければならないのだというのです。

 そして、それは、権力を持っている誰かが、禁止しているというのでもないのです。自主的にそうするように要請されているのです。

 そんな中で、私たちはこの御言葉をこの一年の聖句として与えられているのです。

「あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くなりなさい。」

 私たちが、何よりもまず、心にとめなければならないのは、私たちの父なる神は、「憐れみ深いお方である」という事実です。

 主は、この憐れみ深いというご自身の性質を、主イエスを通して、私たちに示してくださいました。

 ルカの福音書の第6章というのは、マタイの福音書で語られている山上の説教と呼ばれる内容と、似ているのですが、ルカの福音書では6章の17節で「イエスは彼らとともに山を下り、平らなところにお立ちになった。」と書かれていまして、そこでなさった説教が記されているところです。それで、「平地の説教」と一般に言われているところです。

 そこで、主イエスは弟子たちに、また主の教えを聞きたいと思って集まって来た人々に、説教をされました。特に、この部分は6章26節から36節では「愛すること」が語られています。そこで語られているのは、敵を愛することと、与えることです。

 愛するというのは、観念なのではなくて、具体的な働きとなって示されるのです。敵を赦すこと、そして、与えることが、愛することだと言っているのです。

 主イエスの敵とはいったい誰のことを指しているのでしょう。単刀直入に言えば、それは、私たちのことを指しています。

27節、「憎む者たちに善を行いなさい。」
28節、「あなたがたを呪う者たちを祝福しなさい。」
29節、「あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬も向けなさい。」
30節、「求める者には、だれにでも与えなさい。」
31節、「人からしてもらいたいと望むとおりに、人にしなさい。」

 主イエスが語る、人を愛するというのは、こういうことだと続けざまに語られています。これを、聞いていた人々はにこやかな顔のままでは、この言葉を聞くことはできなかったと思います。私たちにしてもそうでしょう。

「悪には悪で報い、愛には愛で報いる」というのが、私たちの世界の常識です。そして、それは、キリスト者であってもほとんど例外なしに、同じような感覚で生活してしまっていると思うのです。

 しかし、父なる神はそれを、私たちにしたのだというのです。そのことが、私たちに明確に示されたのは、あの、主イエスが十字架にかけられる前のゲツセマネの祈りの姿で、私たちはそのことを心に刻むことができます。敵を愛するということが、どれほど厳しいことなのかが、あの時の主イエスの姿の中に示されています。

 自分の敵のために、自分を傷つけてくる人のために、自分自身を与える、それが愛するということなのだということを、主イエスはあのゲツセマネの祈りを持って、私たちに示してくださったのです。それが、どんなに苦しいことなのか、どれほどつらいことなのか、まさに、愛するといことは、苦痛と困難を祈りによって乗り越えた先にあるものなのだというのです。

 「憐れみ深く生きよう!」という説教題をつけました。

 これが、この一年、主から私たちに託された宿題です。それは、とてつもない困難な課題です。

 そのために、祈るのです。そのために、お互い支え合っていくのです。そして、そのことができるようになるためには、あなたがたの父の憐れみ深さを知ることが何よりも重要です。

 その人のことが好きとか、嫌いとか、私たちの持つ感情に目を向ける時に、それは何に根差しているのかをよく知る必要があります。その判断を下しているのは、自分自身です。そして、そこにあるのは、自分自身の正義という判断が働いているはずです。もちろん、そこにはさまざまな苦い経験があるのかもしれません。これまでに、どれほど犠牲を払ってきたか分からないという部分があるのかもしれません。

 しかし、愛するのは、感情ではないのです。意志です。そして、その意志というのは、神のご意思なのだということです。神がそう願っておられる。そして、その神の意志は、私を愛するということのために費やされた意志でもあるのです。そして、この神の意志の背後には、神の正義があるのです。

 神が、その人を愛したいと願っておられるという、事実が、神の正義が私たちの意志を支えるのです。私も愛そうという思いを支えるのです。

 私たちの主は義なる神です。たとえ敵であったとしても、その人を義としたい、その人をよしとしたい、その神の思いがそこにはあるのです。

 私たちの父なる神は、あわれみ深いお方です。そして、そのお方は、その憐れみを、まず、何よりも私たちに示してくださいました。そして、今度は、私たちから、私たちの周りの人たちに示されることを願っておられます。

 私たちが愛を示すのはもちろん、敵のような人ばかりではありません。家族にも、友人にもそうです。教会の中でもそうです。私たちの周りには、強い人もいるでしょう。弱い人もいます。心寄せる人もいれば、苦手だと思う人もいます。主は、私たちに憐れみ深さを示すことを、その人たちを愛することを求めておられます。

 この主のご意思が、私たちを通して示される一年となることを私たちは祈り求めて生きたいのです。

 お祈りをいたします。

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