2021 年 2 月 14 日

・説教 詩篇119篇25-32節「真実の道」

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2021.02.14

鴨下 直樹

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午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。


 

 今日の詩篇は少し重い空気が立ち込めています。

25節の冒頭には

私のたましいは、ちりに打ち伏しています。

とあります。

28節

「私のたましいは、悲しみのために溶け去ります。

31節

主よ、どうか私に恥を見させないでください。

このような重たい言葉が繰り返されています。

 今、水曜日にオンラインで聖書を各巻ごとに、ざっくりとした解説をしています。先週でもう15回になりました。先週は第一歴代誌をとりあげました。第一歴代誌というのは、アダムからダビデが王として立てられるまでの神の民の歴史を取り扱っています。第二は、その後のソロモン王からイスラエル王国が崩壊して捕囚を経験するまでの流れが記されています。

 こうやって聖書をずっと学んでいきますと、見えてくるのは神の民イスラエルというのは本当に小さな存在だということです。吹けば飛ぶような弱小国です。そんな国が、神の民として支えられ、励まされ、導かれて来た姿を歴代誌から読み取ることができます。そうやって見ていきますと、そこから見えてくる神の姿というものがあります。それは神の愛とか、恵みとか、慈しみという言葉で表現されるわけですが、本当に温かいものです。

 神であられる主は、神の民である私たちの存在がどれほど小さくても、神はそこに全力の愛を傾けてくださるお方なのです。そして、その神の愛はどういう形で、その小さな民に示されているのかというと、それは神の言葉によってです。この神の言葉によって、私たちは主が真実なお方であるということを知ることができるのです。

 言葉というものを、神はご自身の思いを伝える伝達手段としてお取りになりました。

 愛の伝達手段というのは、いろいろとあると思います。花束を贈るとか、プレゼントを贈る。その人の喜ぶことをする。お手伝いをする。綺麗な景色を見せる。おいしい食べ物を一緒に食べる。一緒に楽しい時間を過ごす。挙げればきりがありませんが。さまざまな方法がある中で、神は、「言葉」をお用いになりました。

 ただ、言葉というのは、もろ刃の剣です。良かれと思ってかけた言葉が、かえって相手の心を傷つけるという苦い経験をしたり、されたりという経験は誰にでもあると思います。それを、あえて神がなさったというのは、驚くべきことです。

 聖書の神は、言葉の神です。私たちは、それぞれの意思伝達をするために、言葉を使います。例えば、今こうして横で手話通訳が行われています。手の指を使っていろいろな形をさせながら、それを言葉として思いを伝えています。声であったり、文字であったり、手話であっても、私たちは言葉を用いて、思いを相手に伝えます。そこには、日常の情報交換のような言葉から、私とあなたという個人の関係があることが前提で交わされる深い内容の言葉まで、いろんな種類の言葉があります。軽い言葉から、重たい言葉まで、言葉は伝える内容の違いで、その重要度は異なってきます。 (続きを読む…)

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