2021 年 5 月 16 日

・説教 ローマ人への手紙1章1-7節「主の奴隷パウロからの手紙」

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2021.05.16

鴨下 直樹

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午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。


 
 先週、私はある方の葬儀の司式をするために鎌倉に行きました。初めて鎌倉に行ったのですが、とても美しい町でした。泊まった宿は、由比ガ浜という湘南の海が目の前の宿でした。朝の5時から外が騒がしいので、何事かと思って窓から外を見ますと、宿の目の前の駐車場に次々と車が入ってきます。みな、私と同じくらいの年齢の方々です。ウェットスーツを着込んで、サーフボードを片手に、海に向かっていくのです。

 この芥見の、教会の裏は山、目の前は田植えしたばかりの田んぼという風景を見慣れている私は、面食らってしまいました。同じ日本なのに、ここはこんなにも生活が違うのかという衝撃です。「百聞は一見にしかず」ということわざがありますが、まさにその通りだと思いました。

 葬儀の日、少し時間がありましたので、長い間一度は行ってみたいと願っておりました加藤常昭先生がおられた鎌倉雪の下教会を訪ねました。加藤常昭先生の説教をずっと読み続けてきましたので、一度は見てみたいという思いを長年もっていたのですが、ついに実現することが出来ました。

 鎌倉というのはどんな街なんだろう、どんなところに建っている教会なんだろう、どういう建物なんだろう、どんな礼拝が行われているのだろう。そんな思いを長年抱えてきました。今、鎌倉雪の下教会は川崎公平牧師というとても素晴らしい説教者が立てられております。先生が丁寧に、対応してくださって、少しお話もお伺いすることができ、とても良い時間を持つことができました。「百聞は一見にしかず」です。

 今週からローマ人への手紙の、み言葉を聞いていきたいと願っています。この手紙を記したパウロはスペインで伝道をしたいという願いを持っていました。そう思わせる何かがパウロの中にあったのでしょう。そして、そのスペイン、その頃はイスパニアと呼ばれておりましたが、この地での伝道の足掛かりとして、大都市ローマにできた教会と関係を作りたいと願っていました。そのために、手紙を記したのです。

 「百聞は一見にしかず」ですが、そこに行くことが出来ない以上、まずは手紙を記して、パウロの考えを知ってもらうということがどうしても必要でした。パウロがこの手紙を書いた時というのは、恐らく第三次伝道旅行のコリントに滞在していた時だと考えられています。パウロは、第三次伝道旅行の際、マケドニアとアカヤ地方からの献金を携えて、エルサレムに届け、その後、イスパニアの伝道に行く前に、ローマを訪ねたいと考えて、コリントからこの手紙を書いたようなのです。

 まだ見ぬ、イスパニア、そして、恐らく生まれたばかりでまだ小さかったであろうローマにできた教会の人々のことを思い描きながら、この手紙を記すことにしたのです。

 そこで、パウロはこのように書き始めました。

キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選び出され、使徒として召されたパウロから。

 先日、雪の下教会をお訪ねした時のことです。教会の伝道師の先生なのでしょうか、事務の方なのか分かりませんが、インターホンを押したら出てくださいまして、「岐阜で牧師をしている鴨下と申します。」とまず言いました。

 その方が扉を開けて下さったので、教会を見学させてほしい旨を告げました。「牧師に取り次ぎますが、もう一度どちらの先生だったでしょうか?」と聞かれて、「同盟福音基督教会の牧師で、芥見の・・・」と言いかけたのですが、そんなに長ったらしい説明はダメだと思い直して、「岐阜から来ました」とだけお伝えしました。

 自分のことを短く語るのに、私がとっさに出て来た言葉は「岐阜から来ました。」でした。けれども、これでは何の説明にもなっていません。ただの不審者です。幸い、その方はとても丁寧に対応してくださって、すぐに川崎先生が出てきてくださり、いろんなお話をすることができ、ほっといたしました。 

 自分が何者なのかということを告げるのに、とっさにということもあったのですが、どういうのが正解なのか、なかなか良い言葉が思いつきませんでした。

 パウロの場合は違います。よく考えたと思います。そしてこう告げたのです。「パウロ、奴隷、イエス・キリストの」この手紙に書かれた語順で行くと、そのように記されています。「私パウロは奴隷です。」という言葉からパウロは語り始めました。

 この手紙の語りだしをはじめて耳にしたであろう、ローマの教会の人たちは、これを聞いた時、どんなイメージをもったのでしょう。もちろん「教会」と呼べるほど、人々が集まっていたとはいえないようですから、厳密に言えば「ローマにいる信徒たち」とした方が良いのかもしれませんが、「ローマの教会」という言い方をすることをご理解いただければと思います。いずれにしても、このパウロのはじめの言葉は、よく考えてみれば、衝撃的な自己紹介の言葉だったと言えます。

 当時、ローマには自由人と呼ばれるローマの市民権を持っている人たちの何十倍もの奴隷がいたと考えられます。もちろん、奴隷と言っても、いつも鎖につながれて、肉体労働をさせられていたというようなことではなかったと思います。ローマにできたばかりの教会にも、当然奴隷たちはいたでしょう。その割合は自由人たちより多かったのではないかと想像することはできます。そういう人たちに、パウロのこの自己紹介文はどんな響きをもったことでしょう。

 ローマにはいたるところに、奴隷がいたはずですから、ローマの市民権を持っているローマ人たちからしてみたら、この「奴隷」という言葉のもたらしたイメージは決して良いとは言えないかもしれません。まだ見ぬローマの人たちに、自分は奴隷であると伝えることに、どれほどの意味があるのかと思うのです。けれども、奴隷の立場の人々にとっては、とても親近感を覚える言葉であったかもしれません。

 いずれにしても、興味を覚えながら、これから何を言い出すのか聞いてみたいという思いになったことは間違いありません。

 するとパウロはすぐに、自分「はキリスト・イエスの」と加えて語りました。それがまさに、パウロの自己理解なのです。

 「私パウロは、キリスト・イエスの奴隷」

 奴隷、しもべというのは、主人の命令に従うものです。主人に買い取られて、主人の人生を支えるために生きる存在となっているのです。パウロのこの自己理解は、卑下しながら語っているのではなく、むしろ誇りをもって語っていることが分かります。それは、自分の主人に対して、誇りを抱いているからです。その主人の僕であることに対する誇りがあるのです。「とにかく岐阜から来ました」程度しか出てこない人物と比べれば、かなり大きな違いです。 (続きを読む…)

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