2021 年 8 月 8 日

・説教 ローマ人への手紙3章9-20節「人の努力に代わるもの」

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2021.08.08

鴨下 直樹

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Lineライブ

午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。


 
 少し前に、オンラインで配信しています「ざっくり学ぶ聖書入門」で、中間時代と呼ばれる頃のことを話しました。

 教会のホームページから見ることが出来るのですが、これがまた驚くほど人気がなくて、その動画を見ている人もほとんどいないようで、残念に思っています。

 聖書の話ではありませんので、興味がないのかもしれません。あるいは、この「中間時代」という言葉そのもののことが分からないのかもしれません。旧約聖書の終わりから、新約聖書までの400年の間、ユダヤ人たちはどのように歩んで来たのかという話です。主に、聖書の外典に記されている話でもあります。

 バビロン捕囚の後、イスラエルの人々はとても、熱心にその信仰に生きようとしてきました。特に、ギリシャから支配されるようになった時、ギリシャは、支配下の国々にギリシャの文化、ギリシャの価値観を宣伝していきます。このギリシャの文化のことを「ヘレニズム」と言います。

 このヘレニズムの価値観が押し寄せてくる中で、ユダヤ人の中でもこれに抵抗して「ハシディム」と呼ばれる人たちが現れます。この人たちは、ユダヤ人の習慣がギリシャの文化の波に飲み込まれないようにするために、必死に聖書の価値観を大切にすることを貫いてきた人たちです。

 そういう働きもあって、時代がどんどんと変わっていく中でも、ユダヤ人たちの信仰や伝統というものが、ギリシャやローマの世界の中でも認められていきます。そして、かえって、ローマにまでユダヤ人たちの価値観を伝える人たちが出てきました。

 その大きな役割を担ったのが、「パリサイ人」たちです。

 私たちは聖書を読んでいますと、パリサイ派と聞くと、主イエスの伝道を邪魔するろくでもない人たちだという認識を持ってしまいます。けれども、この時代の流れの中で、ユダヤ人の文化を残すために、このパリサイ人たちの果たした役割というのは、決して小さくはありませんでした。

 当然、このユダヤ人たちはローマに沢山住んでいました。4万人というユダヤ人が当時のローマにはいたという記録もあるほどです。

 そして、そのユダヤ人たちに対して、真の救い主として来られたのが、主イエス・キリストなのだと教会は伝道をしていきました。

 このユダヤ人たちは自分たちが貫いて来た信仰や、生き方に自負を持っていましたし、自分たちは神に選ばれた特別な民なのだという考えを持っていました。そんな中で、ローマにもキリスト教の教会が出来てきたときに、このユダヤ人の間で長年培われてきた、この自負、プライドというものが、この人たちの支えでもあったわけです。

 ですから、このまじめなユダヤ人たちというのは、まじめに生きることが、神の祝福であり、そのために律法を守って、特に割礼を子どもたちに施して、神の民であろうとしてきた人々だったわけです。

 しかし、ここでパウロは9節でこう言いました。

では、どうなのでしょう。私たちにすぐれているところはあるのでしょうか。全くありません。私たちがすでに指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も、すべての人が罪の下にあるからです。

 パウロは、ユダヤ人がどれほどまじめな民族であったとしても、どれほど苦労してきたとしても、だからといって、ユダヤ人に特別すぐれたところがあるということにはならないのだと言ったのです。

 これは、ユダヤ人たちからすれば受け入れがたい言葉に響いたはずです。 (続きを読む…)

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