2021 年 10 月 10 日

・説教 ローマ人への手紙5章12-21節「キリストとアダム」

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 00:15

2021.10.10

鴨下直樹

⇒ 説教音声の再生はこちら

説教全文はただいま入力・校正作業中です。 近日中に掲載いたします。

Lineライブ

午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。


 

 今日の聖書箇所はかなり難解なところなのですが、このローマ人への手紙の中でも中心とも言われているところです。とても重要なところですから、本当は何回かに分けて説教すべきところだと思います。けれども、この箇所の中心部分をできるだけ聞きとっていきたいと思っています。

 今日の冒頭の12節にこうあります。

こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に――

 私たちは、今世界中で何十万人という死者を生み出した新型コロナウィルスのことを、よく知っています。はじめは今から2年ほど前に中国の武漢で発見されたと言われていますが、瞬く間に世界中にこのウィルスがまん延していきました。まさに、一人の人から始まった出来事が、世界中に影を落とすことになるということを、私たちは身をもって経験しているわけです。

 パウロがここで言おうとしているのは、アダムによって罪がこの世界に入って来たということです。けれども、それはアダムだけの問題ではなくて、すべての人が罪を犯したことになるのだと言って、そのために死がすべての人に広がったのだとここで言っています。

 この12節の言葉を通して、パウロは3つのことを語り始めるのです。もう一度言うと、まず第一、アダムによって罪がこの世界に入ったこと。第二は、それはすべての人の犯した罪なのだということ。そして、第三は、そのために死が広がったのだということです。

 しかし、パウロはこの12節の冒頭で「こういうわけで」と語り始めています。「こういうわけで」と言うということは、その前にその原因が語られているはずです。しかし、この原因であるどういうわけなのかということが残念ながらよくつかめません。

 この前のところでパウロは、罪の中に生きていた私たちは主イエスの血によって義とされて、神と和解することができるようになったと話しています。私たちの罪と、主イエスの救いの業をパウロは語りました。では、その罪とは何かということを、ここで語り始めているのです。

すべての人が罪を犯した」とこの12節で言っています。一人の人が犯した罪とは、この後読んでいくと分かりますけれども、それは創世記に出てくるアダムのことです。しかし、そこで犯したアダムの罪というのは、アダムだけの問題ではなくて、「すべての人の罪」なのだとここで言っているのです。ただ、私たちが考える「罪」というのは、人の物を盗むとか、嘘をつくとか、人を殺すとか、そういう個々の罪のことがすぐに思い浮かぶと思います。だから、「すべての人」と言っても、赤ちゃんには罪がないとか、自分にしても、人から何か咎められるような違反行為をしたつもりはないという考え方が出てくるのだと思うのです。

 「罪」というのは、創世記ではじめの人であるアダムが、神との約束であった「エデンの園の中央にある善悪の知識の木の実を取って食べてはならない」という約束を破ったことから、人類はこの罪を引き受けることになりました。これが、聖書が語る罪の理解です。実は聖書が、アダムの犯した罪は私たちが犯した罪でもあるのだということを明確に語っているのは、ローマ書のこの12節が初めてなのです。聖書はアダムの犯した罪というのは、私たちが犯した罪なのだということを、ここではじめて語っているのです。

 けれども、そう言われると多くの人は抵抗したくなります。どうして、アダムの犯した罪が、私たちの罪なのでしょうか。すべての人がその根底に抱え続けているこの罪のことを「原罪」という言い方をします。この原罪と言われる、人の中に宿っている神に逆らう思いというアダムの出来事は、すべての人の代表者として、アダムが犯した罪であったので、これは私たちすべての人の中にある原罪なのだと聖書は書いているのです。 (続きを読む…)

HTML convert time: 0.167 sec. Powered by WordPress ME