2022 年 4 月 15 日

受難日礼拝 ローマ人への手紙11章33-36節「この神に、栄光がとこしえにありますように!」

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2022.04.15

鴨下直樹

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 今、私たちはこれまでにないほど暗い時代に生かされています。ロシアとウクライナの戦争のニュースは毎日、更新され続けています。また、新型コロナウィルスの感染者の拡大は、今もなお世界に広がり続けています。

 この聖金曜日、受難日と言われるように、教会の燭台の灯火はすべて消えてしまっているのです。光がなくなった日、それがこの受難日の意味するものです。

 主イエスが十字架の上で、この世界に裁かれ、死刑にされてしまったのです。それは、まさに神の敗北のしるしであり、絶望の知らせです。

 こんなことを、一体誰が考えたのでしょう。神の御子である主イエス・キリストが人間に裁かれ、罪あるものとして、十字架の上で見世物となって殺害されたのです。

 主イエスと共に歩んで来た弟子たちは、まさに絶望したのです。外に出ることもできず、部屋の中に隠れて閉じこもることしかできなくなりました。

 福音の敗北、神の無力さの宣告、そして、死と絶望が勝利したのです。

パウロは語ります。33節。

ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいのでしょう。

 神が、この世界を創造し、人を生じさせ、アブラハムを選び、ヤコブを選び出し、イスラエルの民を守り導いてきた神の愛の御業は、主イエスの十字架の死で、一度完全な終わりを迎えたのです。

 本当に、この神は生きて働いておられるお方なのか。そのような疑問符がつけられたのが、この聖金曜日、受難日の出来事でした。

 もちろん、ここでパウロが語っているのは、第一には8-11章のテーマであるユダヤ人の救いのことです。そして、第二には、ここまでの1章から11章までのローマ書全体でパウロが語ってきたことに対して、神のなさることの深さを語っています。

 ですが、私は、この神の知恵と知識の富の深さは、この受難日の出来事のことも当然含んでいると考えて間違いないと思います。

 34節と35節はこう続きます。

だれが主の心を知っているのですか。だれが主の助言者になったのですか。だれがまず主に与え、主から報いを受けるのですか。

 34節はイザヤ書40章13節の引用です。主に助言できるような者がいるだろうかと言い、主の知恵と知識は人間の考えをはるかに超えていることを物語っています。 (続きを読む…)

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