・説教 ヨナ書2章1-10節「ヨナの祈り」
2022.10.16
鴨下直樹
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海に投げ込まれたヨナは、気が付くと魚の腹の中にいました。それも、三日三晩と書かれています。かなり長い間です。その間、ずっと闇の中です。この暗闇の沈黙の中で、ヨナは何を思い、何を考えたのでしょうか。
このヨナ書の2章に記されているのは、ヨナの祈りです。ヨナは魚の腹の中で、ここまでの出来事を思い起こして、自分が生きていることに驚きながら、神への感謝の祈りをささげているのです。
今日の2節から6節の中で、ヨナは自分がどのような中で救い出されたのかを思い起こしています。
2節を見てみましょう。
「苦しみの中から、私は主に叫びました。
すると主は、私に答えてくださいました。
よみの腹から私が叫び求めると、
あなたは私の声を聞いてくださいました。」
先週、私は「先行する神の恵み」という言葉を紹介しました。神の救いの恵みは、私たちの祈りに先立って備えられているという話です。これは、神の側でのことです。そして、ここではヨナから見るとどうかということが記されています。ヨナは自分が祈ったので、主が救ってくださったと考えていることが分かります。これは、私たちにもよく分かることだと思います。
私たちは、祈ったことへの感謝を神に祈ります。私たちはこうして、神のことを知っていくのです。
ヨナの祈りはここで、船から投げ出されてからのことがかなり詳しく記されています。
3節です。
「あなたは私を深いところに、
海の真中に投げ込まれました。
潮の流れが私を囲み、
あなたの波、あなたの大波がみな、
私の上を越えて行きました。」
まず、ヨナはここで、主が私を海の真ん中に投げ込んだと祈っています。実は、この祈りの中には、ヨナのこういう私は悪くないという言葉をいくつも見つけることが出来ます。主が私を船から投げ込まれた。自分の責任ではないということをまず、ここで語っています。そして、神によって自分は海に放り込まれてから、波におおわれ、喉が苦しくなって、波に、しかも大きな波に飲み込まれていったと、この時の状況を語り出していきます。
さらに、ヨナはこう祈ります。4節です。
「私は言いました。
『私は御目の前から追われました。
ただ、もう一度、私はあなたの聖なる宮を
仰ぎ見たいのです。』」
ここでも、ヨナは、「私は御目から追われました」と言います。神様が、私をタルシシュへと追いやり、海へと追いやったと言うのです。自分が、主の御顔を避けた事実などなかったかのように言うのです。私は、敵であるアッシリアの首都であるニネベに行けと命じられたら、私にこの土地から出て行けといわれているようなものだと、ヨナは感じたままを正直に語っています。死を目の当たりにして、綺麗ごとを言っても仕方がないからです。ただ、そんな死を覚悟した時に、私は思った。やはりもう一度主の神殿を見てみたい。主と顔を合わせて礼拝したかったなと思ったと。ヨナは主を神殿で礼拝していた時の喜びを思い起こしたのです。 (続きを読む…)