2013 年 1 月 1 日

・元旦礼拝 ヘブル人への手紙13章14節 「永遠の都を求めて」

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2013.1.1

鴨下 直樹

<ローズンゲンの年間聖句>

わたしたちはこの地上に永続する都をもっておらず、来るべき都を探し求めているのです。

ヘブライの信徒への手紙13章14節  新共同訳

私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。

ヘブル人への手紙13章14節 新改訳

2013年を迎え、今朝、私たちは元旦礼拝の時を持っています。そこで、年間聖句から御言葉を聞くことになっています。今年、私たちに与えられているのが、このヘブル人への手紙13章14節のみ言葉です。
「私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。」
私たちは、この新しい年に、私たちがもとめているのはこの地上の都ではないのだという、はっきりした否定の言葉を聞いています。私たちが求めているのは、この地上にあるものではないのだとこの御言葉は宣言しています。新年に聞く御言葉としては少し驚くかもしれません。私たちは、この地上での生活が少しでも善くなれば、少しでも幸いな生き方ができればと考えています。けれども、私たちが求めているのは、この地上の生活なのではなくて、この後に来る永遠の都での生き方なのだというのです。

そのことを考えるのに、私たちがまず考えなければならないのは、私たちの生活から考えるのを止めるということです。私たちの生活を土台にして考えるのではなく、まず、イエス・キリストは何をなさったのかということを考えてみることが大事です。
主イエスはクリスマスにこの世にお生まれになられました。馬小屋で生まれたこの方は、この世界を自分の永遠の都と考えて歩むことはなさいませんでした。神の国をその生涯をかけて語り続けられたのです。主イエス・キリストはこの地上での生活をよりよくするためではなく、神が願っておられる生き方をすることが、やがて私たちに与えられる永遠の御国での生活のすべての備えになるのだと語られました。そして、この世界から受け入れられることなく、十字架に架けられたのです。

この御言葉は新年に聞く御言葉としては非常に厳しい言葉のように響きますが、この言葉は、主イエスが私たちに何をしてくださったのかを思い起こさせる御言葉です。

イギリスの児童文学者のCSルイスが書いたナルニア国物語というものがあります。シリーズの作品ですが、最近、映画で上映されていますから見たことのある方も多いと思います。小説を読まれた方もあるでしょうか。CSルイスがこの物語で描いて見せたこのナルニア王国というのは、まさに見ることのできない神の都の世界をめぐる物語です。おさない子どもの心を持った者しかこの国を味わうことができないですが、この作品は私たちが普段見ることのできない神の国、永遠の都のことを忘れないでいることの大切さを教える物語です。CSルイスはこの私たちキリスト者がいつも忘れてはならない神の都があることを物語を通して教えたかったのです。
私たちは、日常生活のことにおわれるうちに、そこでの生活のことで心が一杯になってしまって、本当に私たちが生きるのはどこであるかを忘れさせてしまいます。今日、みなさんに今年のこの御言葉をカードにしてさしあげたいと思って準備をしました。このカードには一枚の絵が描かれています。ジーガ・ケーダという南ドイツのカトリックの神父の書いた絵が描かれています。預言者というタイトルがつけられているのですが、預言者は片手で天を指し示しながら、もう片方の手を人々に向けて、「この手をつかむならば、神とむすばれるのだ」と人々に手を差し伸べています。興味さなそうに通りすぎる人もいれば、顔を背けている人も描かれています。そして、中には涙を流しながら天を仰いでいる人も描かれています。
この絵に描かれているように、私たちが仰ぎ見るべきは天です。そして、天に、永遠の都を求めることこそが、何よりも大切なことなのです。この一年、私たちは天の都をもとめる一年としたいと願います。

けれども、私たちはそのことを忘れてしまうような、圧倒的に強い影響力をもつこの世界に生きています。それで、このヘブル人への手紙はつづけてこう記しています。

ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

15節です。
だから、私たちは天を仰ぎみて、賛美することを絶やさないようにするのだと招いています。ここに、私たちは希望に生きることのできる秘訣が隠されています。私たちは、礼拝を捧げることを通して、この世の生活が神の国につながっていることを忘れないでいることができるのです。私たちの日ごとの生活をいい加減のものとしないで、実質のある喜びのともなうものとすることができるのです。
天を仰ぎみて、永遠の神の都を求めて生きることこそが、私たちのこの世の生き方を喜びあるものへと変えるのです。
お祈りをいたします。

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