2018 年 1 月 7 日

・説教 マルコの福音書4章26-34節「寝ている間に働かれる主」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 14:31

2018.01.07

鴨下 直樹

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 新しい年を迎えました。新年というのは不思議なもので、何か新しいことを一年の間やり通そうと決意したい気持ちになります。今年こそは、こうありたい。私たちはそのように考えて生きています。それは、こう言い換えることもできます。成長したいと願っているのだと。

 さて、お正月に実家に行きましたら、10年前、ドイツから日本に帰って来た時の写真を見せられました。ドイツにいる間に体重が8キロほど増えて帰ってきたのですが、今と比べるとずいぶん痩せているのです。どうも、この10年の間にさらに8キロほど増えたようです。それで、今年は少し体重を落とそうと決意しました。すでに一週間がたちましたが、体重はさらに少し・・・

 今日の聖書は、主イエスがなさったたとえばなしです。いろいろなたとえ話をなさった最後の二つです。26節から29節の部分のたとえ話はひとりでに成長する種のたとえばなしと言われています。私のお腹と同じように、ひとりでに成長するわけです。

 ここに面白い表現があります。27節です。

夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。

 この冒頭に「夜は寝て、朝は起き」と記されています。今度の2017年訳ではこう訳されました。

夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちます。

 私たちは、朝晩…という表現や、朝昼…という言い方をすると思いますが、聖書は反対です。夜に日が暮れると一日が始まったと考えるので、こういう書き方が出てくるわけです。これは、ただ、言葉の順番が入れ替わっているということだけではないと思います。私たちは夜になると今日一日起こった出来事を思いながら、眠ることによってリセットして、朝、新しい一日を迎えると考えて生活すると思います。ですから、夜眠られないということが起こったりするわけです。ところが、聖書の時代の人々の生活はそうではないのです。一日が終わって、新しい一日が始まったと考えながら眠りにつく。眠りから一日が始まるのです。ここの部分は、聖書が特にそれを強調しているのではなくて、ごく当然のことのように「夜は寝て、朝は起き」という書き方をしているのです。

 特にここでは種の成長の話として記しています。一日の労働をする。畑仕事を終える。夜が来る。そこからは神様に委ねて、自分は眠る。寝ている間に神様が働いていてくださる。自分は知らない間に、神さまのその労働の実りがもたらされるのは、神さまにかかっている。そういうことがここで記されているわけです。

 種を蒔くと、芽が出ます。はじめに苗になります。その次に穂、そして穂の中に実が実る、実が熟すると枯れていきます。私たちが成長ということを考える時に、イメージするのはそれこそ、美しい花を咲かせるその一場面を切り取って、立派に成長した、うまくいったと考えます。花が枯れて、散るともうこの植物はつまらないものになったと考えますが、すべてが無駄になったと思えるところに種があるのです。

 「神の国は、人が地に種を蒔くようなもの」と26節で語られています。このたとえの意味はこういうことです。神の御支配に身を委ねる時に、私たちは眠りについている間に、神がその種を育ててくださるように、自分の知らない間に、それは成長するのだということをここで語っているのです。しかも、その成長というのは、私たちが望む美しい花の部分を切り取って、そこに成長を見ようとするけれども、本当の実は、私たちが見ようとしているところではないところにある。しかも、その実の刈り取りを私たちは自分の手柄のように思い込むのですが、その実は私たちの努力ではなくて、すべて主の働きによるのだということです。

 主イエスの姿を見てみればそのことがよく分かります。主はどこで身を実らせたのか。それは、その伝道の生涯になさったすばらしい出来事や教えの数々ではなく、最後に十字架にかけられて殺されたことにあります。主イエスの死を通して、やがてこの世界の多くの人々に実を実らせることになったのです。

 私たちが成長し、実を実らせるには、理解しがたいことがいくつもあるのです。美しい花が枯れてしまって、すべてが散ってしまうその後に、種ができるようにです。

 昨日のことです。この夏、下仁田の教会に行った時に袋二つ分のクルミの実を貰ってきました。そのまま放っておいていい、適当に時間がたったら周りの果肉がボロボロ落ちて、クルミの実が出て来るから。そう言われたので、ずーっと放っておきました。昨日、庭の隅にその袋が二つ置いてあることに気が付いて、ビニールの中にいれたままだったクルミの実を出してみました。もう腐っていると思ったのですが、ボロボロと外側の果肉が落ちていって、中の種の部分が綺麗に出てきました。別に何か使い道があるわけでもなく、クルミが好きなわけでもないのです。先日、裏庭に出した正月のごみ袋から、リスが菜っ葉を引っ張り出していたと言うので、裏庭のテーブルにクルミを5つ置きました。すべて神様がしてくださったんだから、そんな遊び心があってもいい。そんな風に思いました。

 主イエスのたとえ話というのは、実にイメージ豊かです。イメージできるというのは、分かるということに繋がっています。神の国に生きるイメージ。み言葉を聞く。受け入れる。そうすると実を実らせる。とっても簡単なことを、とてもイメージ豊かな言葉で語っていてくださるのだということが見えてくるのです。

 30節から32節にもう一つ、からし種のたとえがあります。ワープロで「からし」と入力すると「芥子」という字が出て来ます。芥見の芥という字を書きます。別に何ということはないそれだけのことなのですが、とても親近感を覚えます。教会の中でも、聖書の中に出て来るイスラエルのからし種を庭で育てている方が何人かいると聞きました。機会があったら見せていただくといいと思いますが、本当に小さな種です。西洋マスタードの瓶の中に粒が残っているのがありますから、そんなのを見ると何となく種の大きさがイメージできるのだと思います。とても小さな種です。

 このマルコの福音書というのは他の福音書と違って、書き方が実はとても繊細です。たとえば、マタイの福音書では13章の32節に

どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。

と書かれています。実際に、育てたことのある方はわかるのですが、たしかに二階に届くほどに大きくなるものもありますが、木というのは大げさですし、鳥が巣をつくるほど枝を張るというのも大げさな気がします。実際マルコの福音書ではこう書いています。

それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。

マルコの方は木になるとは書いていません。また鳥の巣も、枝にできるのではなくて、その陰にできると書いています。マタイの福音書は最近の言い方をすると、少し「話を盛っている」わけです。ちょっと言い過ぎちゃった。そんな感じがするので、他の箇所を読むとどうしても違和感を覚えるのですが、マルコの福音書は自然に内容が入って来ます。恐らく、主イエスが話された原文に近いのはマルコの福音書の方だろうと考えられています。

 こんなに小さな種が、どうしてと思えるほどに大きなものになる。一粒の種が、まさに何百倍にもなるのです。

 教会に来て、聖書の話しを聞く。それが自分の人生にどれほどの意味があるかと教会に来始めたころは思うものです。眠るように聞いていた言葉が自分の人生に何の影響も与えはしない。そう思っていても、不思議なものです。聖書の言葉は気が付くと私たちの生活の中で大きな意味を持っている、力を持っているということを経験する日が来る。神の言葉は生きているということを、味わうようになる。私たちが毎日の生活の中で声に出して話す、小さな証しの言葉もそうです。

 自分のことを考えてみてもそうなのです。何でもないと思っていた言葉が、私の心の中にいくつもいくつも意味を持って働いていることに気が付くのです。そして、その言葉を、人にも話します。いったい、自分の中に、どれだけの言葉が、からし種のような言葉が蒔かれているか分かりません。最初は何とも思っていなかったような言葉であったとしても、いつの間にかその言葉が無視できないほどの大きな支えになっていることもあるのです。

 たとえば、今年の年間聖句もそうです。元旦の礼拝でこの言葉から説教しました。

わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。

(ヨハネの黙示録21章6節)

 この言葉は、まさに今日の説教のまとめのようなみ言葉ですが、主はいのちの水の泉から飲ませてくださる。神の国は、そのようにして、私たちに豊かさを味わうことができるようにしてくださるのです。このみ言葉も、そのようにこの一年の間、自分に蒔かれたからし種のように受け取って、その実りを経験していただきたいのです。それは、ひとしれず成長し豊かな実りを約束してくださいます。

 私たちの主は、私たちが知らない間に働いておられるお方です。私たちが渇いている時には、渇きを潤し、寝ている時にも働いて備えていてくださいます。この主にゆだねて生きる。それが神の国に生きることです。私たちの主は、私たちが知らない間にも働いて、蒔かれた種はひとりでに成長し、すばらしい収穫をもたらしてくださるのです。

 お祈りいたします。

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