2009 年 12 月 27 日

・説教 「二人の王との出会い」 マタイの福音書2章1節-12節

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鴨下直樹

 今、私たちはクリスマスを祝っています。礼拝でマタイの福音書から順に御言葉を聞き続けています。先日、クリスマス・イヴに行われた燭火礼拝でもこの御言葉から聞きましたけれども、この朝もこの御言葉に耳を傾けたいと思います。

 この時期になりますと時々、クリスマスというのはいつまで続くのか、いつまで祝うのか、という質問を受けることがあります。もちろん、いつまででも祝い続けていいのですけれども、一月一日の元旦は、先日もお話しましたように、イエスと名付けられた「命名日」と呼ばれる日です。そして、一月六日は公現日とか、顕現日、あるいはエピファニーと言いまして、キリストが人々の前に明らかにされた日として祝います。教会の暦では、このエピファニーまでを降誕節と言って、クリスマスの祝いをする期間と考えています。そして、このエピファニーという日は、東の国の博士たちが礼拝にみどりごイエスを礼拝した時でもあるのです。

 この東の国の博士というのは、伝説によると、カスパル、メルキオール、バルタザールという名前であったと伝えられ、三人の博士ということになっていますけれども、もちろんはっきりしたことは分かりません。ドイツのケルンという大きな街に、ケルンの大聖堂、ドームと呼ばれる大きな礼拝堂があります。この大聖堂はこの三人の博士たちの棺があるということで知られていますし、そのためにこの町が栄えたのだとも言われています。このケルンの大聖堂・ドームに訪れますと、非常に大勢の観光者で賑わっていまして、大聖堂の中にある東方の博士たちの遺骨がおさめられている棺は、大きなもので、実にきらびやかな黄金の装飾が施され、訪れる人々を圧倒します。けれども、私はそこに行く度に、何とも言えない哀しさを覚えます。この博士たちはこんな黄金の棺におさめられ、人々から礼拝される対象となるようなことを望んだだろうかと考えさせられるのです。

 

 キリスト教美術史の中でも、この東の国の博士たちの礼拝というモチーフは、東方の三賢者の礼拝とか東方のマギの礼拝などとも言われ、いくつもの大変興味深い絵が描かれています。あるいは、この博士たちは王であったのではないかとも言われています。そのような絵を見ますと、必ず博士の数は三人で、一人が白人、一人が肌の黄色い人、一人が肌の黒い人として描かれています。メルキオールは髭の生えたペルシャ人の王、カスパルはインドの王で髭のない青年、バルタザールはアフリカの黒人で王とされているのです。もちろん、大切なことは人数や肌の色ではありません。このようにして、昔から、全ての民族を代表する王が、まだ生まれたばかりのみどりごに礼拝をささげたのだと描き続けられてきたのです。

 しかし、そこで興味深いのは、この東方の博士たちは、聖書では「博士」と訳されているのが普通ですけれども、美術史の中では「王」として描かれたり、あるいは、「マギ」、「魔術師」として描かれたりしているのです。

 と言いますのは、この博士たちとされている聖書の言葉であるギリシャ語では複数形で「マゴイ」、単数形ですと「マゴス」と書きます。この言葉はペルシャの言葉では、もともとは祭司職をあらわす言葉であったのですが、しだいに、天文学、占星術、薬学、占い、などをする人を指す言葉となり、さらには魔術師を指す言葉となっていったようです。ですから、今日の私たちがイメージするような博士というものとは少し異なっているようです。いずれにしても、ここから分かるのは、主イエスを礼拝するために訪れた、この東の国の博士たちというのは、普段、神の言葉である聖書に耳を傾けながら、神に従うようにと判断していた人ではなくて、占いや、星によって事柄を判断していた人々であったということなのです。つまり、救い主がお生まれになるなどということもあまりよく分からなかった人が、生まれたばかりの救い主、主イエスを礼拝するために訪れることになったということなのです。実に皮肉な話しです。それは言ってみれば、サンタクロースとクリスマスケーキで祝うのがクリスマスの祝い方だと思っているのと、さして大きなかわりはありません。クリスマスがどういうものか分からなかったとしても、そのような人が、本当のクリスマスを祝うようになったのだというのが、この物語りであると言うこともできるのです。

 

 この東の国の博士たちは、ある日星を見ていますと、大きな星が輝いているのを見ました。「東のほうでその方の星をみたので」と二節にあります。伝統的にそのように読まれてきたのですけれども、この「東のほうで」という言葉は「昇る」と訳した方が良い言葉で「この方の星が昇ったので」とした方がよいようです。「この方」、つまり、「イスラエルの救い主」、新しい王がお生まれになるという星が昇るのを彼らは見たのです。そして、彼らは心が掻き立てられた、これを調べずにはおられないようになったのです。

 そして、彼らは心動かされて、この星は、イスラエルに新しい王・救い主が生まれるしるしだと知って、エルサレムへと向かうのです。しかも、こともあろうに、ヘロデ王のところに向かってしまいます。

 エルサレムに着いた時、当然、博士たちは救い主が生まれたことを、誰に聞いても知っていると思ったのでしょう。ところが誰に聞いても知らないのです。「あなたがたの新しい王がお生まれになったのはどこですか」と尋ねても誰も知らない。それで、エルサレム中の人々は動揺します。それで、ヘロデ王のところへと連れられて行ったのでしょう。しかし、このヘロデ王も知らないのです。

 ここに、一人の王が出てまいります。イスラエルの支配者として王として立てられているヘロデです。しかも、王とは名ばかりで、この時代この地域を支配していたのはヘロデではありません。ローマの皇帝アウグストがこの地域一帯も支配していたのです。けれども、ヘロデは、アウグストの前の支配者であったマルクス・アントニウス、このアントニウスというのは、クレオパトラの恋の相手として知られている人でもありますけれども、このアントニウスと親しくしていたことからローマの元老院を通して「ユダヤ人の王」の称号を得ていました。そして、アウグスト、当時の名前はオクタビアヌスと言いましたけれども、オクタビアヌスが、アントニウスを打ち破ってローマの皇帝に着いた時にも、すぐにこれにへつらい、自らの地位を保ちます。このヘロデは自らが王として君臨するためであればどんなことでもやった男です。両親も兄弟も従兄に至るまで血族を殺害しています。そういう王です。

 なぜ、東の国の博士たちはこのような残虐・非道の王の所に導かれていったのでしょうか。神はなぜ、このヘロデのような王に、救い主が生まれたということを、このような形で教えられたのでしょうか。聖書は「星を見たので」としか語りません。星が導いたのです。明るく輝いて誰の目にも見えるはずの、大きな星が、エルサレムでは見えなかったとでもいうのでしょうか。はたまたいたずらな雲が夜空を覆って、この星を見えなくしてしまったとでもいうのでしょうか。

 答えは一つしかありません。それは、東方の博士たちに、この世の王に会わせるためです。それ以外に理由はないのです。王宮に住み、家臣を従えて、身の危険があれば即座に手を下す王に会わせるためです。この聖書は、ここでヘロデを登場させて、聖書を読む者に、この世の王の姿をしっかりと見るようにと促しているのです。

 その王が、今や慌てふためいています。恐れ惑っているのです。辛うじてローマの支配下の中に自分の支配する国を保っているのです。そのために家族も全て血祭りに挙げてきたのです。それなのに、まだ、自分ではない他の「ユダヤ人の王」の誕生の知らせを、この東方から訪ねて来た博士たちがもたらしたのです。つかの間の平安が奪われた一瞬です。新しい王など迷惑な話でしかない。自分を脅かすものでしかない。学者たちが旧約聖書の預言書であるミカ書をひもとき「ユダの地、ベツレヘム」ではないかと調べている間も、このヘロデは何を考えていたことでしょう。

 

 こうして博士たちは、ベツレヘムだということを聞きつけ、また旅を続けます。するとどうでしょう。あの、星がまた天で輝き始めたのです。まるで博士たちを導くかのように。それを見て、「彼らは、この上もなく喜んだ」と10節にあります。この言葉は、ギリシャ語を直訳すると「彼らは、非常に大きな喜びを喜んだ」という言葉です。作文ならそんな表現はおかしいと言われてしまうような言葉です。けれども、博士たちの喜びの度合いがどれほどであったかはよく分かります。大きな喜びに喜びがかさなってしまうほど嬉しかったのです。背後でこの気まぐれな星を導いておられる神の働きを、言いようもない喜びで受け止めたのです。救い主のことも良く分からないままに、家を飛び出してきた博士たちです。クリスマスの祝い方も知らないで、駆けつけて来たけれど、そこに神が働いておられる。自分がこうして、キリストのもとに来ることを、神は拒んではおられないということが分かる。それは何とも言えない喜びです。私のようなものでもクリスマスを祝うことを神がお認め下さっている。そのことが分かるなら、それは嬉しいことです。そして、ここにクリスマスの喜びがあるのです。クリスマスとは何にも関係のないような異邦人であっても、神が導いてくださる。そして、クリスマスを祝うことができるのです。

 

 あのいたずらな星の動きはこうして止まります。その家の上にとどまったのです。もはやこれ以上導く必要がないのです。実に不思議な話です。こうして博士たちは、この星に導かれて、ようやく母マリヤとそこに寝ているみどりごを見つけるのです。彼らはここで新しい王、イスラエルを治める支配者となる者を発見します。

 もうここで、彼らは迷いません。疑いません。たとえ母マリヤが幼い、そして貧しい者であったとしても、傍からは何の普通のあかごと変わらないような姿であったとしても、東の国の博士たちは確信を持っているのです。このお方が新しい王、この世界の救い主となられるお方であると。そして、彼らはこのみどりごである主イエスに礼拝をささげるのです。11節にあるように、「ひれ伏して拝んだ」のです。

 彼らが拝んだのは、まだ赤ちゃんです。彼らのいる場所は、ヘロデのような王宮でもなければ、家臣もいないのです。何の力もなく、何も持たない王、まさに貧しく、小さく、無力な王でしかないのです。そんな赤子に、どうしてひれ伏して拝むなどということができたのでしょうか。これこそ王であると、認めざるを得なかったのだと思います。真の王というのは、自分のもとに力を集めれるだけ集め、他を威圧し、少しでも長い間そこに留まろうとするような姿が、果たして王と言えるだろうか。何も持たずとも、弱くとも、すべての人を招き入れ、すべてを受け入れるような開かれた者こそが真の王なのではないのかと、彼らは感じ取ったに違いないのです。

 そして、彼らは黄金、乳香、没薬を捧げます。この贈り物が三つであったために、博士は三人だったのではないかと考えられているようですけれども、この贈り物については色々な事が言われています。黄金は王のしるしとして、乳香は神殿で炊く香ですから祭司のしるしとして、そして、没薬は死者に塗る薬と考えられますから、やがて起こるであろう死のしるしであると言われます。あるいは、黄金は貧しさのために、乳香は馬小屋の匂いを消すために、没薬は健康のための薬としてなどということもあります。宗教改革者ルターは、これは信仰と希望と愛のしるしであるとも言っています。この捧げ物はそのように、さまざまな意味で解釈されてきました。もちろん、そのような解釈はいろいろと成り立つことでしょう。そして、どれも意味深いものです。けれども、同時にこの捧げ物、そのものの意味を考える必要があります。

 これらの捧げ物は「宝の箱」に入っていたとされています。けれども、旅をしている博士たちが宝箱を携えて来たというよりも、この言葉は「背袋」あるいは「リュックサック」と言えるようなもので、決して黄金でもちりばめられているかのような立派な箱などではなかったのではないかと考えられます。博士たちが旅の間も大事に肌身離さず持ち歩いていた、自分たちの商売道具入れだったのではないかというのです。つまり、そのような占星術師として肌身離さずに持っていたその商売道具を、その入れ物ごと、このみどりごである主イエスに、ひれ伏しつつ捧げてしまったのではないかと。

 博士たちは、みどりごである主イエスを目の前にして、自分のこれまでの生き方を捨てて、このお方を礼拝するようになったということです。もちろん、これが事実であるかどうかは明らかではありませんけれども、そのように考えることも可能であろうと思います。

 

 考えるに、この東方の博士たちは二人の王との出会いを通して、彼らは自らのことを考えたのではないでしょうか。ヘロデと主イエス、この二人の王との出会いを通して、彼らは自分の姿を見たのです。彼らもまた王であったとも言われています。それぞれの民族を代表する王であったのではなかったかと。もちろん、それは後代の伝説の中から生まれて来た話です。けれども、事実彼らは王であったのです。自分自身という世界の王であった。特に救い主を必要ともせず、自らのために行き、自分の幸せを求めて生きる。そのために都合のよいような占いもしたことでしょう。自分の都合のいいことをして、生活を築くというのが、彼らの生活の生業であったのです。けれども、それではヘロデと同じではないか。そこまでひどいことはやっていないと言えたにせよ、その本質に何の違いがあるかと。

 けれども、このまだ赤ちゃんの王・主イエスは何も持たず、無力で貧しい者として、実に堂々と自分たちの前にいるのです。ただ、神の見守りを求めるしかないような小さな者。これこそが、まことの王ではないか、これこそが、自分の生き方とすべき姿ではなかったかと。

 そうです。ここに真の礼拝者の姿があるのです。自分の全てを投げ出してしまったとしても、ただ、神に期待して生きることができると自らを示してくださった主イエスに対して、それに応えて生きようとする東の国の博士たちの精一杯の応答の姿が。

 

 ピーテル・ブリューゲルという画家がオランダにおりました。この画家は、聖書のテーマを自分の生活の中に描いて見せた画家です。このブリューゲルの作品の中に、「東方の三博士の礼拝」という題がつけられている絵が三つあります。この作品はその中でも最初に書かれたもので、周りには三人の博士たちどころではなく、大勢の村人たちが集まっています。

 

ピーテル・ブリューゲル作 「東方の三博士の礼拝」

ピーテル・ブリューゲル作 「東方の三博士の礼拝」

このテーマの絵は実に沢山ありますが、ブリューゲルの絵は、それが歴史の中心的出来事というかのように、きらびやかな色を使って描きません。かえって暗い、どこにでもある村で起こった出来事のなかに、東の博士たちだけではなく、大勢の人々もそこにいたかのように描かれています。まるで、大勢の人々もそこに招かれているのだと言わんばかりです。

 

 

 もう一枚の絵は、これもピーテル・ブリューゲルのものですけれども、これは「雪中の東方の三博士の礼拝」とされています。

 

ピーテル・ブリューゲル作 「雪中の東方の三博士の礼拝」

ピーテル・ブリューゲル作 「雪中の東方の三博士の礼拝」

この出来事は冬のことだったであろうということで、雪の中での出来事としています。しかも、その家は絵の中心ですらありません。まるで博士たちの礼拝の姿を描くことよりも、街のすみの方で行われている礼拝に、村中の人々が雪の中なのにもかかわらず訪れて来る姿を描き出しています。しかも、この出来事に気づかずに、別の方に向かって行く人々もいるのです。多くの絵に描かれているような、博士たちの贈り物にはまるで興味がないとでもいうかのように、実際にそうであっただろうと思わせるような現実的な描写です。ブリューゲルが描くのは、村の農民たちがこのお方の礼拝に招かれているのだと言うことを伝えようとしているのだと、私には思えてなりません。立派な者が救い主を礼拝するのではない、普通に生きているあなたが、この方を王と認めるなら、だれでもこのお方を礼拝できるのだという招きです。

 

 クリスマスの出来事はまさにこの絵のようです。自分の生活の王として君臨している私たちが、この小さな王・赤子の王と出会う時に、自分のような者でも、このお方に心からの礼拝を捧げることができる。このお方が示してくださっているように、ただ神のみに自分をゆだねて生きる道がある。だから、私も、主イエスのように生きたい。神にのみ信頼して生きたいのだ、自らの持てるものを捧げて生きる決意をすることができるのです。

 このように、主はクリスマスに生まれ、私たちのような者がこの方を礼拝することができるようにと、招いてくださったのです。

 

 お祈りをいたします。

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