2022 年 7 月 31 日

・説教 ローマ人への手紙15章22-33節「私のために祈ってください」

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2022.07.31

鴨下直樹

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Lineライブ

午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。


 

 2023年の9月に、この東海地区で第七回伝道会議が計画されています。会場はこの岐阜市にあります長良川国際会議場です。私は、この会場に近い教会の牧師であるということで、この話し合いに加わるようになりまして、数年前からこの伝道会議の準備を進めています。今は、開催地委員会というこの東海地区で責任を持つ10名ほどの牧師たちと毎月話し合いをしています。また、全国の代表の方が集まる実行委員会や、他にも「プログラム局」や、伝道会議の時に東海宣言というのを出そうとしておりまして、この「宣言文委員会」という集まりにも所属しております。

 それ以外にも、事務局の働きや会場の責任やら、ボランティアの働きなどで、毎週2回ほどの会議に参加します。コロナのためにオンライン会議という方法が用いられるようになったおかげで、全国に飛び回らなくても良くなりました。けれども、そのおかげで会議をお断りするということも難しくなりました。

 あまりに会議が多すぎて教会の働きに支障が出てきています。そのことをある責任を持っている先生に相談しましたら、この東海地区の宣教協力のために忙しくしているのだから教会の人には喜んでもらってくださいと言われてしまいました。

 昨日も、この地域の主だった先生方を9月に行われる「伝道会議一年前大会」の夕食会に招待するということで、その準備をしておりました。この岐阜県には70を超す教会があります。さまざまな教団があります。主だった教会に招待状を送ると言いましても、10教会位に収めてくださいと言われています。開催地委員会の先生方から鴨下先生にお任せしますのでと託されてしまっていますので、責任が重大です。

 幸い、私は教会を選ぶだけで、招待状を送ってくださるのは大会実行委員会です。本当ならすべての教会に招待状を送りたいくらいですが、お金のかかることですからそういうわけにもいきません。教会のリストを見ますと、半数以上の教会は、私は一度も見たこともない教会ばかりです。けれども、それぞれのところで、キリストの教会が宣教をしていると思うと、とても嬉しい思いになります。これらの教会が協力しあってこれから一緒に協力しあうことができるようになることを考えているのです。

 今日のパウロの手紙は、手紙の送り先であるローマの教会に、これから訪ねて行きたいと思っているということが記されています。ただ、パウロも目的地はローマではなく、イスパニアだと書いています。なぜ、イスパニアに行きたいかというと、もうこの地方に伝道する土地が残っていないからと言うのです。

 パウロはこの時アカイア地方のコリントにいたと考えられています。これは、第三次伝道旅行の時で、エルサレム教会への献金を集めていた時のことです。マケドニアとアカイア地方、つまりピリピやテサロニケ、コリントの教会などで献金を集めて、これからエルサレムまで行こうとしているときのことだということが、この内容から分かります。

 ちなみに、これからパウロが行きたいと考えているイスパニアは、新改訳2017の最後に地図15というところがありますので、そこを見てもらうと、どのくらい距離が離れているかよく分かると思います。

 当時と今とでは人口が違いますが、岐阜とか東海地区というような範囲に留まっていないのです。パウロや、当時のキリスト者たちの伝道はとても活発で、瞬く間に福音が各地に広がっていったのです。

 今日の箇所で重要な意味を持っているのは、パウロがまずエルサレムに戻って援助することにしているという部分です。

 26節

それは、マケドニアとアカイアの人々が、エルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために、喜んで援助をすることにしたからです。

 ここにある「エルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たち」というのは、何を意味するのかですが、当然、他の地域にも貧しい人たちは沢山いたと思われます。そういう中でも、エルサレムの人々が貧しくなったのには一つの理由が考えられました。ワルケンホーストという注解者は、それは、使徒の働き2章44節に深く関わっていたのではないかと言います。使徒2章44-45節では、「信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。」とあります。

 主イエスがすぐに来られると信じた教会は、再臨を待ち望んでいました。この再臨信仰と、財産を共有するというテーマは、この時から一つに結びついていきました。

 もう再臨があるから、この世界は終わる。財産は持っていても意味がないので、貧しい人たちをに分け与えていくという、愛の業に変わっていきました。

 ただ、ここから問題が生じたのも事実です。今世間を騒がせている新興宗教のことが取り沙汰されていますが、キリスト教系の異端と言われるグループの多くは、この再臨信仰を強調して、持っている財産を献金するよう要請するものです。

 この問題は、すでにパウロの時代に、実際に人々を貧しくしてしまい、他の地域の教会がこれを支えるという様になっていったのです。これは、ある意味では理想的な素晴らしい教えのように見えるわけですが、教会はこの後、ある一部の国を除いてこの「共産」という思想を持ち出すことはなくなりました。ここの部分は、今のような時代にあって注意する必要のある点と言えるかもしれません。

 しかし、パウロは純粋に主の再臨を待ち望んでいるエルサレム教会の人々を支えることを、生まれたばかりの教会に教えていったのでした。

 この時に「援助する」という言葉を使っています。26節です。この「援助する」という言葉は「交わり」という意味で用いられる「コイノーニア」という言葉です。英語で「フェローシップ」と訳される言葉です。単に、お金による支援という意味だけではないことが、この言葉から読み取れると思います。

 これは一方的な支援ということではなくて、相互の分かち合いです。交わりというのは、お互いに分け合う心です。

 パウロにとってエルサレム教会は複雑な存在でした。確かに、パウロは自分の宣教を19節では「エルサレムから始めて」と言っていますから、エルサレムが教会の中心であり、自分自身もエルサレム教会から遣わされているという自覚はあるのです。けれども、この後の30節からの祈りの要請のところではこう言っています。

私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、エルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるように・・・祈ってください。

 パウロはエルサレムの教会のことが不安でもあるのです。パウロはエルサレム教会に対して協力的で献金を集めるのが、第三次伝道旅行の一つの目的でもありました。そして、異邦人の教会とエルサレムの教会とが分かち合う交わりを作り上げるために働いているのです。それは、相互の交わりです。

 ただ、そこには相手の気持ちもあるのです。そして、相手の気持ちは自分ではどうすることもできません。誠実さを示そうとパウロは働いているのですが、そのパウロの誠実さが受け入れられるかどうか分からないという不安をパウロは持っているのです。

 岐阜県内だけでも70以上の教会があるという話をしました。今、私たちはこれからの教会の将来のことを考え、それぞれの教派の違いを強調し合い独自路線を行くという考えを改めて、一緒に分かち合いをするコイノーニアの交わりに生きる教会を、この地域に築き上げていきたいと願っています。

 そのために、毎週毎週会議を繰り返しています。この将来が希望にあふれたものとなるかどうかはまだ分かりません。けれども、教会はそれぞれに歩み寄りを見せなければなりません。一緒に、同じ主を信じ、同じ主にある恵みを分かち合うのが、教会です。

 パウロはこの手紙で29節にこう書いています。

あなたがたのところに行くときは、キリストの祝福に満ちあふれて行くことになると分かっています。

 私の将来は明るい。そこにキリストの祝福があるとパウロは宣言しているのです。

 私たちは、この後パウロがどうなったのかを知っています。パウロがエルサレムに行くと、そこで人々に捕らえられてしまいます。それで、捕らえられたパウロは自分がローマ市民権を持っていることを理由に、ローマでの裁判を求めます。それで、ローマまで囚人として護送されてローマに到着することになるのです。その後、イスパニアまで行くことができたかどうか、それも聖書には記されてはいません。最後はローマで殉教の死を迎えるのです。

 けれども、パウロはここでキリストの祝福を夢見ているのです。

 最後に一つのお話をしたいと思います。先日の祈祷会でもお話ししたので、もうすでに聞かれた方には申し訳ないのですが、先週の水曜日。、私は伝道会議のプログラム局のオンライン会議があることをすっかり忘れてしまってすっぽかしてしまいました。会議が終わったあとで、一通のメールが来まして、「今度のJCE7ニュースの巻頭言をお願いします」と書かれていました。JCE7とういいうのは第七回日本伝道会議のことです。私はプログラム局の会議に出なかったので、拒否権はありません。それで、短い1000字でということで巻頭言を急遽書くことになってしまいました。

 少しここで、その原稿に書いた内容を紹介させていただきます。

 「2030年問題」みなさんも、どこかで耳にされたことがあるでしょうか。2030年になると現在の牧師の数が半数になり、半分の教会が立ち行かなくなると言われています。そして、その2030年は、次の第8回日本伝道会議が行われる予定の年でもあります。この2030年を迎えるにあたって、今私たちが変わらなければならないことは何か。今すべきことをする。それが、今回の第七回日本伝道会議で問われているテーマです。

 2006年から2009年の三年半の間、私はドイツのエーバスバッハ神学校でゲスト生として学んだことがあります。私がお世話になったのは、SIGEN(ズィーゲン)と呼ばれる地域です。三十数年前、このSIGENの地域の教会の牧師は全く足りておらず、1人の牧師が7つの教会を担当していました。礼拝説教に牧師が来るのは二か月に一度という状況だったのです。教会の高齢の方々が私にその話を聞かせてくれました。
 
ドイツの自由福音教会はどうやって、この危機を乗り越えたというのでしょう。私がドイツで見たのは、一つの興味深い習慣でした。それは、「チーム説教」と呼ばれていました。牧師が何らかの事情で、その日の礼拝にいない時、このチーム説教というのが行われていました。やり方は教会によって様々ですが、前もってその日曜日の聖書箇所が教会員に告知されます。すると、教会の信徒たちは自分たちで短い説教の準備をして、日曜の礼拝で、6人~10人程度が同じ箇所から次々に各自が準備してきた説教をするのです。

 説教の原稿を前もって書いて来て、会衆席でガタガタと足を震わせながら説教するかどうか悩んでいる青年の姿を見ました。毎回必ず何かしら説教する高齢の信徒などもいます。実にさまざまな人たちがこのチーム説教を行うのです。その日、説教をする予定をしている信徒の家族や友達がみんな礼拝に参加して、応援にやって来るという姿も見られます。

 そうして、30年後どうなったかというと、私がドイツにいた頃にはすべての教会の無牧は解消されていました。正確な分析ではないのですが、私はこの「チーム説教」が、ドイツの献身者を多く生み出した一番の理由だと考えています。

 信徒たちが、自主的に説教する文化は、教会をたて上げ、信徒を成長させ、家族を教会に導き、献身者を起こしたのでした。

 2030年がやって来ると、日本も一時的には牧師が不足する事態が訪れるかもしれません。それは避けて通れないのかもしれません。けれども、その先の将来が暗いものであると決めつける必要もないと私は思っています。

 主は、すでに新しい出来事を備えていてくださるのですから。

見よ、わたしは新しいことを行う。/今、それが芽生えている。/あなたがたは、それを知らないのか。/必ず、わたしは荒野に道を、/荒れ地に川を設ける。
イザヤ書43章19節

 こういうメッセージを書きました。

 礼拝の説教の中で、さらに短い説教を聞かされるとは思っておられなかったと思いますが、おゆるしください。

 私たちは、今宣教が困難だとわれる時代に生かされています。将来は暗いというニュースばかりが耳に入ってきます。けれども、それはパウロの時も同じでした。パウロはここでそのような状況に置かれていながらも、「キリストの祝福に満ちあふれて行くことになると分かっています。」と言うことができたのです。

 キリストの祝福は、この手紙から約二千年過ぎた今日でも、この手紙が読まれていることからも分かります。一時的に困難はあるのです。けれども、キリストの祝福が奪われてしまうことはありません。勝敗はすでに決しているのです。キリストの勝利です。私たちはそのことを知っているので、この先に何が待ち構えていようとも、顔を上げ続けることができるのです。主の祝福を期待し続けることができるのです。

 ともに、この主の業のために祈っていこうではありませんか。
 
 お祈りをいたします。

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