・奨励 「特に私たち、特にあなた方」 歴代誌23章1~5節、25章1~8節
本日は、芥見キリスト教会員の森岡泰子姉が奨励をして下さいました。
「賛美」について、「私・あなた」というシリーズでこれまで2回お話しをしました。
最初は、ダビデの罪とその苦悶の最中から、罪の告白、悔い改めへと導かれ、そして、そこから生まれた賛美についてお話しました。それは、個人的な出来事ではあっても、同じ神を信じ、崇める人々に共有され歌われていきました。また、礼拝において歌われることにより保たれ、また、日常の生活でも追体験されながら覚えられていきます。この唯一なる神を礼拝し、この御方がどういうお方であるか、どんなことをなさったお方かを覚え続けることでもありました。やがて、イエスの時代も会堂・シナゴーグにおいて歌われていました。そして、イエスの十字架と復活の後教会が誕生し、キリスト者によって「詩と賛美と霊の歌」が歌われていきます。これもまた、神への賛美、イエスの御業、祈り、感謝、信仰告白、などが家の教会の礼拝で歌われ、共有され保たれていきます。詩篇が歌われた時代と似ていますね。
今朝は、「特に私たち・特にあなた方」と題していますが、何が「特に」なのかということを皆さんはすでにお考えになったでしょう。今日、私たちは当たり前に礼拝において賛美の歌をお捧げしています。ある時は、特に”聖歌隊”という集団に歌わせている事があります。そこで、今朝は「聖歌隊」について皆さんとご一緒に考えていきたいと思います。
「聖歌隊」の起こりはどこにあるとお考えでしょうか?
私は子どもの頃、カトリック教会で男性ばかりが歌っているのが聖歌隊の起こりだと思っていました。そして、バッハのカンタータや受難曲などの宗教曲、オラトリオなどを歌っているのも聖歌隊だと思っていました。確かに、それらは聖歌隊でありましょう。しかし、その起源はどこにあるのか・・・。やはりその答えは聖書の中にありました。いつ、どこで、誰が、何を、どのように、なぜ、歌っていたのか・・・。聖書が起源とするならば、やはりその基本を聖書から捉えて置く必要があるでしょう。いつの時代でも、私たちは聖書の教える原理原則を知っておくことは大切なことです。
今、読んで頂いた聖書の箇所は、すでにお気づきのように聖歌隊の事でした。楽器の細かい事を今日はお話するのではなく、聖歌隊の本質、あり方についてお話しし、共に考えたいと思います。
ダビデは、あの姦淫と殺人の罪を問われたウリヤ事件の前に、都をヘブロンからエルサレムへと移していました。そして、自分の住む家、王宮を建てています(Ⅱサム5:11-12)。その建設にあたっては、ツロの王ヒラムから、見事な杉材と建てるための技術者をも提供されていました。イスラエル王国の背後にある主の祝福を、このような形でも見る事ができました。新しい都となってダビデがまず考えた事は、何だったか…。皆さんなら何を考えますか? 彼は、主の臨在の象徴であった”主の箱”を都の中心にお迎えし、据えることを考えました。まだその時、神の箱はキルヤテ・エアリムという場所にありましたので、彼は早速それを実行に移します。その様子は第2サムエル記6:1-23、また第1歴代誌13章から16章に書かれています。
ところが、その運搬中、ウザという人が命を落とします。神の箱を新しい牛の車に載せて運んだところ、牛が神の箱をひっくり返しそうになって、ウザが手を伸ばしたために、主はウザを打たれたのです。それで、ダビデは神の箱を都に運びいれる事を差し控えました。この人命を失う出来事を通して、ダビデは神の箱の運搬について深く考えさせられたようです。第1歴代誌13:11‐13には、3ヶ月間、ガテ人オベデ・エドムの家に箱が置かれていた事が記されています。神の箱がそのまま置かれたまま、いったいオベデ・エドム家はどうなってしまうのか、さぞやダビデは心配だったことでしょう。ところが、その後オベデ・エドム家は祝福されていきました。その事に励まされたのでしょう、「今度こそ」という思いで、ダビデはもう一度箱を都に迎えようとします。前回の誤りを悟ったと思われる記事があります。
Ⅰ歴代誌15章
15:1 彼はダビデの町に自分のために家を造り、また、神の箱のために場所を定め、そのために天幕を張った。
15:2 そのとき、ダビデは言った。「レビ人でなければ、神の箱をかついではならない。主は、主の箱をかつがせ、とこしえまでも、ご自身に仕えさせるために、彼らを選ばれたからである。」
15:3 ダビデは全イスラエルをエルサレムに呼び出して、主の箱を定めておいた場所へ運び上らせようとした。
15:4 そこで、ダビデは、アロンの子らとレビ人とを集めた。
15:5 ケハテ族から、そのつかさウリエルと、彼の同族の者百二十人。
15:6 メラリ族から、そのつかさアサヤと、彼の同族の者二百二十人。
15:7 ゲルショム族から、そのつかさヨエルと、彼の同族の者百三十人。
15:8 エリツァファン族から、そのつかさシェマヤと、彼の同族の者二百人。
15:9 ヘブロン族から、そのつかさエリエルと、彼の同族の者八十人。
15:10 ウジエル族から、そのつかさアミナダブと、彼の同族の者百十二人。
15:11 ダビデは祭司ツァドクとエブヤタル、それにレビ人たち、ウリエルとアサヤ、ヨエルとシェマヤ、エリエル、アミナダブを呼び、
15:12 彼らに言った。「あなたがたはレビ人の家のかしらです。あなたがた自身も、あなたがたの同族の者たちも、身を聖別し、イスラエルの神、主の箱を、私がそのために定めておいた所に運び上りなさい。
15:13 最初の時には、あなたがたがいなかったため、私たちの神、主が、私たちに怒りを発せられたのです。私たちがこの方を定めのとおりに求めなかったからです。」
15:14 そこで、祭司たちとレビ人たちは、イスラエルの神、主の箱を運び上るために身を聖別した。
15:15 そして、レビ族は、モーセが主のことばに従って命じたとおり、神の箱をにない棒で肩にかついだ。
前回は、いくら新しくとも”牛の車”で運搬しました。本来、神の箱は人が担ぐことが定めです。まず、その運搬方法が間違っていました。そして、箱の運搬は、誰もが触ったり行ってよいことではありません。レビ人の職務でした。続けて読みますと・・・
15:16 ここに、ダビデはレビ人のつかさたちに、彼らの同族の者たちを十弦の琴、立琴、シンバルなどの楽器を使う歌うたいとして立て、喜びの声をあげて歌わせるよう命じた。
15:17 そこで、レビ人は、ヨエルの子ヘマン、彼の同族からベレクヤの子アサフ、メラリ族から彼らの同族クシャヤの子エタンを立てた。
15:18 第二の部類に属する彼らの同族の者たちも、彼らとともにいた。すなわち、ゼカリヤ、ベン、ヤアジエル、シェミラモテ、エヒエル、ウニ、エリアブ、ベナヤ、マアセヤ、マティテヤ、エリフェレフ、ミクネヤ、門衛オベデ・エドムとエイエル。
15:19 歌うたいは、ヘマン、アサフ、エタン。彼らは青銅のシンバルを用いて歌った。
15:20 ゼカリヤ、アジエル、シェミラモテ、エヒエル、ウニ、エリアブ、マアセヤ、ベナヤは、十弦の琴を用いてアラモテに合わせた。
15:21 マティテヤ、エリフェレフ、ミクネヤ、オベデ・エドム、エイエル、アザズヤは、八弦の立琴に合わせて指揮した。
15:22 レビ人のつかさケナヌヤは荷物の係りで、荷物のことを指図した。彼はそれに通じていたからである。
15:23 ベレクヤとエルカナは、箱を守る門衛であった。
15:24 祭司たち、すなわち、シェバヌヤ、ヨシャパテ、ネタヌエル、アマサイ、ゼカリヤ、ベナヤ、エリエゼルは、神の箱の前でラッパを吹き鳴らす者、オベデ・エドムとエヒヤは箱を守る門衛であった。
15:25 こうして、ダビデとイスラエルの長老たち、千人隊の長たちは行って、喜びをもって主の契約の箱をオベデ・エドムの家から運び上ろうとした。
15:26 神が、主の契約の箱をかつぐレビ人を助けられたとき、彼らは七頭の雄牛と七頭の雄羊とをいけにえとしてささげた。
15:27 ダビデは白亜麻布の衣を身にまとっていた。箱をかつぐすべてのレビ人、歌うたいたち、荷物係長ケナヌヤ、歌うたいたちも、同様であった。ダビデは亜麻布のエポデを着けていた。
15:28 全イスラエルは、歓声をあげ、角笛、ラッパ、シンバルを鳴らし、十弦の琴と立琴とを響かせて、主の契約の箱を運び上った。
15:29 こうして、主の契約の箱はダビデの町にはいった。サウルの娘ミカルは、窓から見おろし、ダビデ王がとびはねて喜び踊っているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。
ここには、その行列の様子も書かれています。その編成は楽器を持った集団、”聖歌隊”を最初に置きました。続いて、荷物の係や護衛が続いています。このように、今回はきちんと役割分担がなされ、慎重な準備が移送のために整えられています。 神を礼拝するという聖なる行為が、単なる思い付きや準備不足であるとか、場当たり的な方法でなされていない事を私たちは、この箇所から汲取る事が出来るでしょう。
さて、レビ人とは、どういう部族だったのでしょうか。民数記にこのように記されています。
民数記3章6節から
3:6 「レビ部族を近寄らせ、彼らを祭司アロンにつき添わせ、彼に仕えさせよ。
3:7 彼らは会見の天幕の前で、アロンの任務と全会衆の任務を果たして、幕屋の奉仕をしなければならない。
3:8 彼らは会見の天幕のすべての用具を守り、またイスラエル人の務めを守って、幕屋の奉仕をしなければならない。
3:9 あなたは、レビ人をアロンとその子らにあてがいなさい。彼らはイスラエル人の中から、正式にアロンにあてがわれた者たちである。
3:10 あなたは、アロンとその子らを任命して、その祭司の職を守らせなければならない。ほかの人で近づく者は殺される。」
3:11 主はモーセに告げて仰せられた。
3:12 「わたしはイスラエル人のうちで最初に生まれたすべての初子の代わりに、今これからイスラエル人の中からレビ人を取ることにした。レビ人はわたしのものである。
3:13 初子はすべてわたしのものだからである。エジプトの国でわたしがすべての初子を打ち殺した日に、わたしは、人間から始めて家畜に至るまでイスラエルのうちのすべての初子をわたしのものとして聖別した。彼らはわたしのものである。わたしは主である。」
このように、レビ人はイスラエルの民の中で聖別された民、つまり、主の為に取り分けられた部族でした。主にお仕えするため、つまり、礼拝のために取り分けられていました。また、レビ人は、ゲルション族、ケハテ族、メラリ族の3氏族からなりますが、部族ごとに任務が異なっています。幕屋の中の物を運搬する部族、つまり契約の箱、机、燭台、祭壇などや、これらに用いる聖なる用具を運搬するのはケハテ族でした(民3:31)。天幕やおおい、垂れ幕とそのすべてに用いる紐についてはゲルション族(民3:25)、メラリ族の務めは、幕屋の板、横木、その柱と台座、すそのすべての用具、庭の周りの柱と釘とひもなどです(民3:36)。このように、その氏族ごとに天幕の運搬の役割が決められていました。
さて、この運搬はどうなったのでしょう、16章を読んでみます。
Ⅰ歴代誌16章
16:1 こうして、彼らは、神の箱を運び込み、ダビデがそのために張った天幕の真中に安置した。それから、彼らは神の前に、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげた。
16:2 ダビデは、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげ終えてから、主の名によって民を祝福した。
16:3 そしてイスラエルのひとりひとりみなに、男にも女にも、それぞれ、丸型のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を分け与えた。
16:4 それから、レビ人の中のある者たちを、主の箱の前に仕えさせ、イスラエルの神、主を覚えて感謝し、ほめたたえるようにした。
16:5 かしらはアサフ、彼に次ぐ者は、ゼカリヤ、エイエル、シェミラモテ、エヒエル、マティテヤ、エリアブ、ベナヤ、オベデ・エドム、エイエル。彼らは十弦の琴や、立琴などの楽器を携え、アサフはシンバルを響かせた。
16:6 祭司ベナヤとヤハジエルは、ラッパを携え、常に神の契約の箱の前にいた。
16:7 その日その時、ダビデは初めてアサフとその兄弟たちを用いて、主をほめたたえた。
今度は無事に箱の移送が済みました。正しい方法で移送がすみ、ダビデは感謝に満ちて祝福を民全体に分かち合います。「その日その時」・・・、この時以来、聖歌隊が”主をほめたたえる”働きを担う事となりました。そして、神の臨在の象徴である箱の前で、聖歌隊によって捧げられた感謝の賛美がこの8節から36節に書かれていますので、皆さん家でじっくりお読みください。この豊富な賛美の言葉には驚かされますが、これらは後日、さらに展開されて詩篇の多くのものとなっています。例えば、96篇、105篇、106篇などです。このように、この日を境に、聖歌隊の奉仕が始まりました。
では、その任務は、どのようなものだったのか…37節から、このように記されています。
16:37 彼は、その場所、すなわち、主の契約の箱の前に、アサフとその兄弟たちをとどめておき、毎日の日課として、常に箱の前で仕えさせた。
16:38 オベデ・エドムと彼らの兄弟たちは六十八人いたが、エドトンの子オベデ・エドムとホサを門衛とした。
16:39 祭司ツァドクと彼の兄弟である祭司たちを、ギブオンの高き所にある主の住まいの前におらせ、
16:40 全焼のいけにえを、朝ごと、夕ごとに、絶えず、また、すべて主のイスラエルに命じた律法に書かれているとおりに、全焼のいけにえの壇上で、主にささげさせた。
16:41 彼らとともにヘマン、エドトン、その他、はっきりと名の示された者で、選ばれた者たちを置き、主をほめたたえさせた。「まことに主の恵みは、とこしえまで。」
16:42 ヘマンとエドトンの手には、歌う者たちのためにラッパとシンバルとがあり、また、神の歌に用いる楽器があった。また、エドトンの子らは門にいた。
16:43 民がみなそれぞれ自分の家に帰ってから、ダビデは自分の家族を祝福するために戻って行った。
毎日の日課で、常に箱の前で「まことに主の恵みは、とこしえまで。」と、主をほめたたえさせていくのです。このように、この章はダビデにとってのハイライトと言っても過言ではないでしょう。ところが、ダビデの心はこの天幕の礼拝で満足していたわけではなかったようです。彼の関心事が天幕ではなく神殿であったということ。17章からは、ダビデが既に神殿での礼拝を考えていた事が記されています。しかし、その神殿礼拝への関心と情熱は、主ご自身から留められてしまいました。22:6-10を見てみましょう。
Ⅰ歴代誌22章
22:7 ダビデはソロモンに言った。「わが子よ。私は、わが神、主の御名のために宮を建てようとする志を持ち続けてきた。
22:8 ある時、私に次のような主のことばがあった。『あなたは多くの血を流し、大きな戦いをしてきた。あなたはわたしの名のために家を建ててはならない。あなたは、わたしの前に多くの血を地に流してきたからである。
22:9 見よ。あなたにひとりの子が生まれる。彼は穏やかな人になり、わたしは、彼に安息を与えて、回りのすべての敵に煩わされないようにする。彼の名がソロモンと呼ばれるのはそのためである。彼の世に、わたしはイスラエルに平和と平穏を与えよう。
22:10 彼がわたしの名のために家を建てる。彼はわたしにとって子となり、わたしは彼にとって父となる。わたしはイスラエルの上に彼の王座をとこしえまでも堅く立てる。』
ダビデはこの理由によって、神殿建設の志は赦されませんでした。ダビデではなく、息子ソロモンにそれを託すように命じられています。ですが、その前の2節-5を見ますと、このようにあります。
22:2 そして、ダビデは命じて、イスラエルの地にいる在留異国人を召集し、神の宮を建てるため石材を切り出す石切り工を任命した。
22:3 ダビデは、門のとびらの釘および留め金用の鉄をたくさん用意し、青銅も、量りきれないほどおびただしく用意した。
22:4 また、杉の木も数えきれないほど用意した。シドン人とツロ人がダビデのもとに杉の木をおびただしく運んで来たからである。
22:5 ダビデは言った。「わが子ソロモンは、まだ若く力もない。主のために建てる宮は、全地の名となり栄えとなるように大いなるものとしなければならない。それで私は、そのために用意をしておく。」こうして、ダビデは彼が死ぬ前に多くの用意をしておいた。
22:6 彼はその子ソロモンを呼び、イスラエルの神、主のために宮を建てるように彼に命じた。
神殿建設は息子に譲りました。しかし、その為の準備を詳細に行っている様子がここには描かれています。準備万端、用意周到。言葉の通りです。そして、器は出来上がる。・・・やがて神殿は建つでしょう。しかし、それで完成ではありませんね。その中に入れるもの、つまり、中身、内容がそれ以上に大切である事を、皆さんはお気づきのはずです。その点についても、ダビデは抜かりがありません。
Ⅰ歴代誌23章1節から
23:1 ダビデは老年を迎え、長寿を全うして、その子ソロモンをイスラエルの王とした。
23:2 ついで、彼はイスラエルのすべてのつかさ、祭司、レビ人を集めた。
23:3 レビ人のうち、三十歳以上の者を数えたところ、ひとりずつ人数を調べた合計は三万八千であった。
23:4 「そのうち、主の宮の仕事を指揮する者は二万四千、つかさとさばきつかさは六千、
23:5 そして、四千人は門衛となり、四千人は私が賛美するために作った楽器を手にして、主を賛美する者となりなさい。」
この「主を讃美する者」というのは、「主をほめたたえる者たち」というのがへブル語の原意です。役職を示すタイトルではなく、「イスラエルの神・ヤハウェ」をほめたたえること。つまり、具体的な賛美の本質を示しています。幕屋を運ぶ必要のなくなったレビ人でしたが、モーセの規定による30歳以上の者が、礼拝のための奉仕に分担されていきました。ここでわかるように、聖歌隊の数はレビ人総数の約一割にも及びます。また、30節には
23:30 立って朝ごとに主をほめたたえ、賛美し、夕べにも同じようにすること。
そして、25章6節から8節を見ますと、このようにあります。
Ⅰ歴代誌25章
25:1 また、ダビデと将軍たちは、アサフとヘマンとエドトンの子らを奉仕のために取り分け、立琴と十弦の琴とシンバルをもって預言する者とした。その奉仕に従って、仕事についた者の数は次のとおりである。
25:2 アサフの子では、ザクル、ヨセフ、ネタヌヤ、アサルエラ。これらはアサフの子で、王の指揮に従って、預言するアサフの指揮下にあった。
25:3 エドトンについて。エドトンの子は、ゲダルヤ、ツェリ、エシャヤ、シムイ、ハシャブヤ、マティテヤの六人。立琴をもって主をほめたたえ、賛美しながら預言する彼らの父エドトンの指揮下にあった。
25:4 ヘマンについて。ヘマンの子は、ブキヤ、マタヌヤ、ウジエル、シェブエル、エリモテ、ハナヌヤ、ハナニ、エリヤタ、ギダルティ、ロマムティ・エゼル、ヨシュベカシャ、マロティ、ホティル、マハジオテ。
25:5 これらはみな、神のことばに従って、角笛を高く上げる王の先見者ヘマンの子らであった。神はヘマンに息子十四人と、娘三人を与えられた。
25:6 これらはみな、その父の指揮下にあって、シンバル、十弦の琴、立琴を手に、主の宮で歌を歌って、王の指揮の下に神の宮の奉仕に当たる者たちである。アサフ、エドトン、ヘマン、
25:7 彼らおよび主にささげる歌の訓練を受けた彼らの同族–彼らはみな達人であった。–の人数は二百八十八人であった。
25:8 彼らは、下の者も上の者も、達人も弟子も、みな同じように任務のためのくじを引いた。
彼らは、祭司と同様、24組、くじによって分けられていきました。アサフ、ヘマン、エドトンの3者はそれぞれ、ゲルション、ケハテ、メラリと、レビの3氏族の子孫で、各氏族から均等に選ばれています。彼らは、神殿が立つまでの当座は幕屋で、神殿が建ったら後はもちろんのこと、公的な礼拝において楽器を奏して神をたたえ、預言をすることが職務だ、と記されています。その為に訓練を受け、熟達する事が要求されました。この3者を中心とした聖歌隊は「歌」の訓練を受けた「達人」であった、人数は288人と記されていますから、四千人の中心的な役割をはたしていたと思われます。この達人は「教える者」という意味にも取れる言葉です。彼らは「主のためにささげる歌」を、主のために訓練をしていたという事です。
また、聖歌隊のメンバーは、1組12名で24組をくじで決めました。音楽の技量というものは、非常に個人個人に差があります。ですから、大事な働きの聖歌隊なのだから、歌える人ばかりを集めたらよいではないか・・・と考えます。ところが、そうではありませんでした。くじ引きでした。くじにすれば、色々なレベルの人が混ざる事になります。くじは、神の前に”奉仕をする”平等性を表していると考えられます。つまり、賜物の差を問題にしているのではなく、神のみことばに仕え、従い、忠実に訓練を受け、預言者としての役割を果たすこと・・・、この使命に生きる人々が起用されているのです。技量のある者は弱い者を助け、また励まし、育てるためにある。また、未熟な者は、その助けを受けつつ訓練を受け、成長し、職務に間に合うような者になること。このような相互な営みの中で、訓練と熟達のバランスをきちんと取り続ける事が、彼らの任務であったのではないかと私は考えています。
礼拝者や聖歌隊は、まず”神が聖であられる”ことを覚える必要がありました。万軍の主として、これは本当に恐るべきほどの聖なる神の臨在です。ですから、賛美は礼拝において添えられる単なる副産物や添え物ではなく、礼拝行為そのものであったという事ができます。ダビデ自身、賛美を礼拝の祭儀に関わる最重要事項の一つに位置付けていた事を、これまでの聖書の箇所から見てきました。この聖なる御方は、今も変わりなく聖であられます。私たちの礼拝や賛美によって、神をどのように見なしているかが明らかとなります。皆さんは、どのような神に向かって礼拝をささげ、賛美の歌を歌っておられるのでしょうか。
さて、これだけの準備をして、ソロモンに託された神殿礼拝が一体どうなったのか、皆さんは知りたくはありませんか? 第2歴代誌5章にチャンと書かれています。
Ⅱ歴代誌5章
5:1 こうして、ソロモンが主の宮のためにしたすべての工事が完成した。そこで、ソロモンは父ダビデが聖別した物、すなわち、銀、金、各種の器具類を運び入れ、神の宮の宝物倉に納めた。
5:2 そのとき、ソロモンはイスラエルの長老たち、およびイスラエル人の部族のかしらたちと一族の長たちをすべて、エルサレムに召集した。ダビデの町シオンから主の契約の箱を運び上るためであった。
5:3 イスラエルのすべての人々は、第七の新月の祭りに王のもとに集まった。
5:4 こうして、イスラエルの長老全員が到着したところで、レビ人たちは箱をにない、
5:5 箱と会見の天幕と天幕にあったすべての聖なる用具とを運び上った。これらのものを祭司たち、レビ人たちが運び上った。
5:6 ソロモン王と彼のところに集まったイスラエルの全会衆は、箱の前に行き、羊や牛の群れをいけにえとしてささげたが、その数があまりに多くて数えることも調べることもできなかった。
5:7 それから、祭司たちは主の契約の箱を、定めの場所、すなわち神殿の内堂である至聖所のケルビムの翼の下に運び入れた。
5:8 ケルビムは箱の所の上に翼を広げた。ケルビムは箱とそのかつぎ棒とを上からおおった。
5:9 そのかつぎ棒は長かったので、棒の先が内堂の前の聖所から見えていたが、外からは見えなかった。それは、今日までそこにある。
5:10 箱の中には、二枚の板のほかには何もはいっていなかった。これは、イスラエル人がエジプトから出て来たとき、主が彼らと契約を結ばれたときに、モーセがホレブで入れたものである。
5:11 祭司たちが聖所から出て来たとき、–列席したすべての祭司が各組の務めの順序にかかわらず身を聖別した。
5:12 また、歌うたいであるレビ人全員も、すなわち、アサフもヘマンもエドトンも彼らの子らも彼らの兄弟たちも、白亜麻布を身にまとい、シンバル、十弦の琴および立琴を手にして、祭壇の東側に立ち、百二十人の祭司たちも彼らとともにいて、ラッパを吹き鳴らしていた。–
5:13 ラッパを吹き鳴らす者、歌うたいたちが、まるでひとりででもあるかのように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシンバルとさまざまの楽器をかなでて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」と主に向かって賛美した。そのとき、その宮、すなわち主の宮は雲で満ちた。
5:14 祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである。
人が奉仕できなくなっています。神の圧倒的な臨在がそこに現されました。