2022 年 11 月 13 日

・説教  ローマ人への手紙8章35-39節「キリストの愛」

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2022.11.13 召天者記念礼拝

鴨下直樹

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 今週、水曜日から金曜日まで掛川で行われました、「CPIカンファレンス」という会議に参加してきました。CPIというのは、「チャーチプランティング・インスティテュート」と呼ばれるもので、日本にいる多くの宣教師たちが集まるカンファレンスです。今回も400名ほどの方々が参加していました。

 その中の一つの講演で面白い話を聞きました。それは、人が人生の危機を経験するときに、三つの質問をすることで、問題点が明らかになるというのです。

 一つは、「自分が何者であるのか?」という質問です。二つ目の質問は、「自分の目的は何か?」「ゴールはどこか?」です。そして、三つめは、「自分はどこに所属しているか?」というものです。

 これはキリスト教の話ではなくて、どのジャンルでも共通することですが、この3つの問いで問題点が明確になるというのです。

 そもそも、私たちが人生の危機を迎えるというのは、どういう時でしょうか? よく言われるのは、自分の人生が大きな節目を迎える時です。学校を変わるとか、新しい勤め先に変わるとか、結婚をするとか、退職するとかいうような、人生の大きな節目を迎える時です。

 あるいは、仕事の中でトラブルを抱えて、優先順位が分からなくなってしまうというようなこともあるのかもしれません。

 自分の存在そのものを問う、自分の目標を問う、そして、自分の関係を明らかする。この三つのことは、自分の身に起っている問題の答えを私たちに与えてくれるといいます。

 今日、召天者記念礼拝のために、私たちはここに多くのご家族の方々をお迎えしております。コロナのために、礼拝にお招きすることを控えていたのですが、今年は3年ぶりにご家族のみなさんを礼拝にお招きしました。こうして、多くの方が集ってくださって、天に召された方々の事を心に留め、また私たち自身のいのちの意味を考える時が与えられています。

 私たちにとって大きな危機を迎えるのは、何と言っても家族の死です。今まで共に生きて来た最愛の家族を失うということは、大きな喪失感を私たちの心にもたらします。そして、それと同時に、人は死んだらどうなるのだろうか? そもそも、自分は何のために生きているのだろうか? これまで関わって来た人たちとの関係はどうなるのだろうか? そんな思いが浮かび上がってきます。そんな、まさにこの三つの問いを、ご家族を失った時にもいろいろと考えられるのかもしれません。そして、悲しみに暮れる中で、明確な答えが出ないまま、時間が過ぎて行くということも経験するのです。

 この3つの問いかけは、その人の年齢や、経験の差によって答えが違ってくるのかもしれません。 (続きを読む…)

2022 年 8 月 28 日

・説教 ローマ人への手紙16章17-23節「善にはさとく、悪にはうとく」

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2022.08.28

鴨下直樹

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 約一年半にわたって、ローマ人への手紙からみ言葉を聞き続けてきました。今日で、ローマ書は最後の文章です。

 パウロは、ローマ人への手紙の中で、丁寧に福音を語り継いできました。この前のところでは、丁寧にひとりずつ名前をあげて挨拶を語りました。ローマの教会と、パウロがどれほど深い結びつきがあったかということが、ここからよく分かりました。

 そして、この最後の所で、パウロは改めて、ひとつの警告の言葉を発しました。

 17節です。

兄弟たち、私はあなたがたに勧めます。あなたがたの学んだ教えに背いて、分裂とつまずきをもたらす者たちを警戒しなさい。彼らから遠ざかりなさい。

 このように記されています。

 私自身、これまでの信仰の歩みの中で、「教会分裂」というものを何度も目にしてきました。それはとても悲しいことです。さまざまな意見の食い違いや、考え方の違い、思わぬ出来事を通して、それは起こってしまいます。
ここで、パウロは最後に「分裂とつまずき」を警戒するようにと言います。

 続く18節の前半でパウロはこう言っています。

そのような者たちは、私たちの主キリストにではなく、自分の欲望に仕えているのです。

 と書かれています。

 ここに「自分の欲望に仕えている」とあります。この「欲望」と言う言葉に注がついていまして、そこには、「直訳、自分の腹に仕えています」となっています。

 「自分の腹に仕えている」というのは面白い言葉です。少しイメージしてみたいのですが、自分の腹の中で葛藤が起こるわけです。神様が喜ぶことと、自分が喜ぶこと。どちらを取るか。この「自分の腹に仕えている」というのは、新改訳2017では「自分の欲望に仕えている」となっているわけですから、自分の思いが勝ってしまうわけです。

 分裂やつまずきをも引き起こす人たちは、自分自身の腹、欲望に仕えている。自分のためにやっているのだとここで、パウロは警告しています。

 とても厳しい言葉です。何も、最後にこんなこと言わなくてもいいのにとも思えるのですが、パウロとしては、やはり大切な教会が分裂するようなことがないようとの思いから、最後の最後、ダメ押しのように出て来た言葉なのでしょう。

 教会の分裂の場面を見ると、それぞれに立派な言い分があります。ただ、その言葉を聞いていると、最終的には自分の言い分を貫くことに終始してしまって、結局のところ主の思いとは違うところに立ってしまうことになるのです。たぶん、そういう場合、その人の心の中では、平和が無くなってしまっているはずです。自分の言い分ばかりがどんどん大きくなっていく時というのは、気をつけなければならないのです。

 教会を分裂させたり、人をつまずかせる強い意見というのは、よくよく気をつけなければなりません。それは、主に仕えているのではなくて、結局、自分の腹に仕えているのではないか?とパウロは問いかけているのです。 (続きを読む…)

2022 年 8 月 7 日

・説教 ローマ人への手紙16章1-16節「パウロからよろしく」

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2022.08.07

鴨下直樹

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 8月に入りました。8月は教会の諸集会の多くが休会となります。また、聖書の学びと祈り会は、これまで信徒交流会としておりましたが、今は長老たちが担当してくださることになっております。先週の水曜日と木曜日にも、それぞれの長老たちが担当してくださって、今日の聖書箇所の学びをいたしました。特に、木曜の祈祷会の時にはM長老がここに上げられている1人1人について大変丁寧に調べて来てくださって、ずいぶん盛んな学びになりました。

 この箇所には26人の名前と、5つの家族のことが取り上げられています。一人ひとり取り上げて考えてみますと、実にいろんな人とパウロが関わりを持っていたことが分かります。

 そこで、M長老は「パウロはこれらの人たちとの交わりが濃密であったからこそ、よろしくと挨拶しているのだ」と言われました。

 そんなに深い交わりがなければ、わざわざ挨拶しなかっただろうというのです。このことは、私たちにいろんなことを投げかけていると思うのです。

 今、芥見教会は宣教40周年記念礼拝を行っておりまして、この教会に関わりのある先生方をお招きして、礼拝説教をしていただいております。二週間後には前任の後藤喜良師をお招きすることになっています。

 特に、この教会はドイツ人宣教師、ジークフリード・ストルツ先生の開拓によって生み出された教会です。もし、ドイツからこのような手紙が届いたことを想像してみると、そこには、同盟福音の最初の信徒となったOさんによろしく、F長老夫妻によろしく、M長老夫妻によろしく、Aさんのご夫妻によろしくと、この教会の創世期におられた方々の名前が書かれていることでしょう。そして、その人たちは本当に嬉しく思うのだと思います。それと同時にストルツ先生のことを知らない方が沢山いるわけですから、その人たちは何を思うだろうかと思います。

 前回来てくださった森岡先生からもはがきが教会に届いております。まだ10年ほど前のことですから、森岡さんのことを知っている方は大勢おります。知っている方の手紙が届きますと、懐かしい思いがよみがえってきたり、一緒に働いた当時のことを思い起こして、主のしてくださった御業の数々を思い起こすことができるわけです。

 しかし、パウロはローマの教会にまだ行ったことがありません。しかも、ローマの教会というのは、少なくとも何百人という人たちが既にいたと考えられます。もちろん、会堂は複数の会堂があったはずです。そういう教会に手紙を送る時に、この挨拶はどういう機能をもったでしょうか。

 パウロのことを知らない人もいたと思います。噂ぐらいは聞いたことはあるかもしれません。ある意味で異邦人伝道をはじめたのはパウロですから、ひょっとすると、近寄りがたい有名人というイメージだったかもしれません。その人から教会に手紙が届いたのです。そして、その最後のところで、「何々さんによろしく」という言葉を聞いた時に、ローマの教会の人たちの中に、何が起こったか。これは想像するしかないのですが、これだけたくさんの名前があれば、一人くらい知っている人の名前があったでしょう。すると、その人のところに行って、「パウロ先生とお知り合いなのですか?」と会話が生まれたと思います。ああ、この人もあの人も、パウロ先生と濃密な交わりがあったのかということが明らかになったのだと思うのです。

 この挨拶の部分というのは、今まで黒一色の言葉が、急にカラーになるような、そんな役割を果たしたのではないでしょうか。

 こんなにも、たくさんの人の名前が挙げられているのです。

 たとえば、最初に名前が挙げられているケンクレアの教会の女性執事のフィベという人があります。この1節の「奉仕者」という言葉ですが、元の言葉では「ディアコノス」という言葉で、執事という意味で使われるようになった言葉です。このあと、しばらく女性たちの名前が続きます。ずいぶん、大勢の女性の奉仕者が当時から活躍していたことが分かります。3節にプリスカという名前が出てきます。この人はローマの人で、夫のアキラはユダヤ人でした。当時、ユダヤ人がローマで争いばかり起こしていたので、皇帝クラウディウスがすべてのユダヤ人を追放するという出来事が起こります。そのために、アキラとプリスカの夫婦は、エペソにやって来ていまして、その時にパウロと出会っています。 (続きを読む…)

2022 年 7 月 31 日

・説教 ローマ人への手紙15章22-33節「私のために祈ってください」

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2022.07.31

鴨下直樹

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 2023年の9月に、この東海地区で第七回伝道会議が計画されています。会場はこの岐阜市にあります長良川国際会議場です。私は、この会場に近い教会の牧師であるということで、この話し合いに加わるようになりまして、数年前からこの伝道会議の準備を進めています。今は、開催地委員会というこの東海地区で責任を持つ10名ほどの牧師たちと毎月話し合いをしています。また、全国の代表の方が集まる実行委員会や、他にも「プログラム局」や、伝道会議の時に東海宣言というのを出そうとしておりまして、この「宣言文委員会」という集まりにも所属しております。

 それ以外にも、事務局の働きや会場の責任やら、ボランティアの働きなどで、毎週2回ほどの会議に参加します。コロナのためにオンライン会議という方法が用いられるようになったおかげで、全国に飛び回らなくても良くなりました。けれども、そのおかげで会議をお断りするということも難しくなりました。

 あまりに会議が多すぎて教会の働きに支障が出てきています。そのことをある責任を持っている先生に相談しましたら、この東海地区の宣教協力のために忙しくしているのだから教会の人には喜んでもらってくださいと言われてしまいました。

 昨日も、この地域の主だった先生方を9月に行われる「伝道会議一年前大会」の夕食会に招待するということで、その準備をしておりました。この岐阜県には70を超す教会があります。さまざまな教団があります。主だった教会に招待状を送ると言いましても、10教会位に収めてくださいと言われています。開催地委員会の先生方から鴨下先生にお任せしますのでと託されてしまっていますので、責任が重大です。

 幸い、私は教会を選ぶだけで、招待状を送ってくださるのは大会実行委員会です。本当ならすべての教会に招待状を送りたいくらいですが、お金のかかることですからそういうわけにもいきません。教会のリストを見ますと、半数以上の教会は、私は一度も見たこともない教会ばかりです。けれども、それぞれのところで、キリストの教会が宣教をしていると思うと、とても嬉しい思いになります。これらの教会が協力しあってこれから一緒に協力しあうことができるようになることを考えているのです。

 今日のパウロの手紙は、手紙の送り先であるローマの教会に、これから訪ねて行きたいと思っているということが記されています。ただ、パウロも目的地はローマではなく、イスパニアだと書いています。なぜ、イスパニアに行きたいかというと、もうこの地方に伝道する土地が残っていないからと言うのです。

 パウロはこの時アカイア地方のコリントにいたと考えられています。これは、第三次伝道旅行の時で、エルサレム教会への献金を集めていた時のことです。マケドニアとアカイア地方、つまりピリピやテサロニケ、コリントの教会などで献金を集めて、これからエルサレムまで行こうとしているときのことだということが、この内容から分かります。

 ちなみに、これからパウロが行きたいと考えているイスパニアは、新改訳2017の最後に地図15というところがありますので、そこを見てもらうと、どのくらい距離が離れているかよく分かると思います。

 当時と今とでは人口が違いますが、岐阜とか東海地区というような範囲に留まっていないのです。パウロや、当時のキリスト者たちの伝道はとても活発で、瞬く間に福音が各地に広がっていったのです。

 今日の箇所で重要な意味を持っているのは、パウロがまずエルサレムに戻って援助することにしているという部分です。 (続きを読む…)

2022 年 7 月 24 日

・説教 ローマ人への手紙15章14-21節「パウロの務め」

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2022.07.24

鴨下直樹

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 私たちは今日の聖書の箇所を耳にする時に、びっくりする言葉があることに気づきます。

 それは、パウロ自身の「神様への奉仕に誇りを持っている」という言葉です。

 ここまでなかなか言えないのではないでしょうか。その後で、パウロは「キリストの福音をくまなく伝えました」とも言っています。

 私たちはパウロのこの言葉が誇張したものではないことをよく知っています。全世界にキリスト教が広がったのは、このパウロの宣教の成果であったといえます。パウロと私たちを比較しても始まらないかもしれません。ただ、そこで私たちがどうしても気づいておきたいのは、このパウロの原動力はどこから来ているのかということです。

 パウロをここまで突き動かしたものと同じものを、私たちは頂いているはずなのです。ですから、このパウロが知っているものを、私たちが見落としてしまっているなら残念なことです。

 パウロの記したローマ人への手紙はこの15章14節から結びの部分に移ります。パウロがどのようにこの手紙を締めようとしているのか。ここにはいくつもの興味深い内容が記されています。

 たとえば15節のところで「ただ、あなたがたに思い起こしてもらうために、私は所々かなり大胆に書きました。」と書いています。

 パウロ自身、この手紙でこれまで少しいろいろ言い過ぎてしまったかなという思いがあるということなのでしょう。パウロは所々かなり大胆な語り方をしたと言っています。大切なことを思い起こしてもらうために少し大げさに話して、印象付けるというやり方は時にかなり有効です。復讐はわたしのものとか、上に立てられた権威に従うべきだとか、借りをつくるなとか、弱い人を受け入れるように、というような具体的で、印象的なことをパウロは語り続けて来ました。すでに、聞いたはずのことを思い起こしてもらって、主の願っておられることを心に刻むことができるようにしてきたのです。

 ここで、パウロはこの手紙をまとめるにあたって、「私は確信しています」とここでも、かなり強い言葉を使っています。

 パウロがここで、自分が何のために働いているのかということを語っていくのです。

 パウロが何のために働いているのですか?と尋ねられたらどう答えるか?そのことが、この箇所で記されています。

 皆さんは何のために働いていますか?あるいは働いてきましたか?いろんな答えがありそうです。給与を得て家族を支えるためという答えもあるでしょう。自分の生きがいを叶えるためという方もあるかもしれません。

 前回の説教で「神の栄光のため」という話をしました。自分が仕事をすることで神様のすばらしさが証されるために、自分は働いている。そんな答えを出すことのできる方もあるかもしれません。 (続きを読む…)

2022 年 7 月 10 日

・説教 ローマ人への手紙15章7-13節「神の栄光のために」

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2022.07.10

鴨下直樹

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 今日私たちに与えられている聖書の7節に「神の栄光のために」という言葉が出てきます。神の栄光のために生きる。教会に来るとよく耳にする言葉かもしれません。
 
 ウエストミンスター大教理問答の最初の問いに、こう記されています。

問1「人間のおもな、最高の目的は、何であるか。」
答 「人間のおもな、最高の目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を全く喜ぶことである」

 教理問答というのは、洗礼を受ける方のために、聖書の基本教理を教えるために作られたもので、牧師が問いを尋ねると、その問いに、信者が答えるという形式で書かれています。つまり、答えをまるまる暗記するように求められているわけです。

 人間は何なのために生きていますか? 人生の目的は何ですか? と尋ねられたら、「人間の目的は、神の栄光をあわらし、永遠に神を全く喜ぶことです」と答えるように教えるのです。

 私も、子どもの頃に、牧師であった父からこの問答を聞かされていました。何のためにこんな勉強をするのか? なぜ仕事をするのか? なぜ結婚するのか? 私たちが生きるために必要ななぜそれをするのか? という問いの答えは、神の栄光を現すために私たちは生きているのだということです。

 今日の聖書は7節でこの「神の栄光のために」という言葉が出てきます。私たちは神の栄光を現すために生かされている。そのためにも、お互いが受け入れ合いなさいというのです。

 私たちは、この神の栄光を現すために生きている。そのことを基準に考えるのだとパウロはここでまず語っています。

 これは、前の6節の祈りの言葉を受けて語ったものでもあります。教会はいろいろな人たちが心を一つにして、父なる神をほめたたえるところなのだからといいます。

 さて、この「神の栄光のため」と書かれている次の文章にこう書かれています。

キリストがあなたがたを受け入れてくださった…

と。この言葉は、この箇所の中心です。

 「あなたがた」は、だれのことを指しているかというと、ローマにいる二種類の人たち、つまりユダヤ人のキリスト者たちと、ローマ人のキリスト者たちを指しています。そのお互いを、キリストは受け入れてくださったのですよと言うのです。

 さらっと書かれていますが、この背後にはとてつもない出来事が起こっています。

 ユダヤ人のキリスト者たちは曲がりなりにもこれまでの歴史の中で神の教えを心に留め、主イエスがキリストであると信じた人たちです。聖書に書かれ、預言者たちが語り継いできた救い主とはキリスト・イエスなのだということを受け入れた人たちです。

 この人たちは本当にダイヤモンドのような人たちです。ほとんどのユダヤ人たちはこの神の約束を捨ててしまったり、キリストのことを認めない人たちばかりの中で、ユダヤ人のキリスト者たちは、それが主イエスなのだと分かったのです。

 彼らは律法を大切に、ユダヤ人のしきたりに生きて来て、その結果今の自分たちがあるということを受け止めることのできた人たちです。その人たちの感覚からすると、自分たちはキリストに受け入れられたというのは、喜びであったはずです。誇りであったはずです。

 ところが、異邦人は神を信じてこなかった人で、むしろユダヤ人のキリスト者を苦しめ、神に敵対してきた人たちです。ユダヤ人のキリスト者からすれば異邦人というのは、言ってみれば悪魔の手先のようにさえ思えたと思います。

 パウロはここで、「キリストはその異邦人たちも受け入れられたのだ」と言いました。まさに、奇跡的な出来事ですが、それが主イエスの十字架と復活だったと言ったのです。そのことを説明するために8節から12節までの言葉を使って説得を試みます。 (続きを読む…)

2022 年 7 月 3 日

・説教 ローマ人への手紙15章1-6節「心を一つに」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 00:19

2022.07.03

鴨下直樹

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 先週の祈祷会で、今朝の聖書箇所の学びをした時にF長老がこんな質問をされました。

 「このローマ人への手紙は、ローマに住んでいる人と、その土地に住んでいるユダヤ人のキリスト者の両方に宛てて書かれたものなんですね?」

 私は、はじめこの質問の意図がよく分かりませんでしたが、お話ししているうちに、だんだんその質問の意味が分かるようになってきました。

 私たちは、このパウロの手紙のことを、ローマ人への手紙と言っています。そうすると、私たちは無意識的に、ローマに住んでいるローマ人に向けて当てられた手紙だと思い込んでしまいます。けれども、当時のローマにはすでに大勢のユダヤ人たちが住んでおりました。ある聖書学者は、さまざまな当時の文献を読むと、当時のローマには少なくとも4万人のユダヤ人がいただろうということが分かると説明しています。そのユダヤ人たちは、当然ローマにあるシナゴーグと呼ばれるユダヤ人の会堂に集まります。そして、ローマで生まれたばかりの教会も、ユダヤ人の会堂を足掛かりにして生み出されていきました。

 ですからローマにある教会には、多くのユダヤ人たちの信者がいて、そこにはローマ人の信者もいたことになるわけです。

 ところが、聖書はローマ人に宛てて書いたというので、どうしても私たちはローマの教会にいたであろうユダヤ人キリスト者たちの存在のことをつい忘れてしまうのです。

 それで、新共同訳聖書や、それに代わって訳された協会共同訳聖書では「ローマの信徒への手紙」としました。こちらの方が、誤解を招かなくなります。ローマの教会の信徒は、はじめから二種類の人たちが集まっていたのです。

 この二種類の人々が集まる教会には、当然のこととして、それぞれ異なる習慣や風習があります。ローマに住んでいた人々は、キリスト者になる前から、そのローマの習慣で生きてきましたので、ローマの習慣についてそれほど疑問には感じません。

 けれども、ユダヤ人はそうではありませんでした。旧約聖書を読むと、ユダヤ人がカナンの土地に住むようになる時に、神様は徹底して、異教の習慣を取り入れないようにと、律法で戒められたのです。それこそ、もともと住んでいたカナン人の食べ物の習慣は受け入れませんでした。豚やラクダを食べるということも禁止しましたから、その理屈でいけばローマに引っ越ししたユダヤ人たちもローマの食文化を簡単に受け入れられなかったのは当たり前のことでした。

 ところが、パウロの伝道していた時代になりますと、神様は、食べ物のことは問題にしないと方針を転換します。これが、そもそもの混乱の原因になっていったわけです。

 新しい時代。新しい契約の時代に教会は突入しました。ですから、古い考え方から抜け出せない、ユダヤ人と、新しいパウロの福音を聞いてキリスト者になる人たちと、二種類のキリスト者たちが当時の教会では、どちらの言い分が正しいのかということで争っていたのです。

 それが、このローマ書の14章から続いているテーマです。これからは、二つの考え方の人がお互いに理解し合って、受け入れ合って、愛し合っていきましょうとパウロは言っているのです。

 みなさんも、これまでの人生経験の中で、何度となく、違うものの考え方をする人とトラブルになるということがあったのはないでしょうか? (続きを読む…)

2022 年 6 月 26 日

・説教 ローマ人への手紙14章13-23節「神の国は義と平和と喜びです」

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2022.06.26

鴨下直樹

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 先週の火曜日から木曜日まで、教団の教役者研修会が開かれました。今回のテーマは「ヘルシーチャーチを目指して」というテーマでしたが、その内容は「パワハラ防止法の学び」でした。

 これは、今年の4月から施行された規則で、中小企業に対して守るよう義務化された法律です。私たちの同盟福音キリスト教会は包括法人ということもあって、この対象に該当します。今年の教団の3月総会で「ハラスメント防止に関する諸規則」が決議されています。その内容を知っておく必要があるということで、今回の研修会で、木曽川教会の会員で社会福祉労務士の方をお招きして研修会をいたしました。

 これは、基本的に、職場の上下関係を健全にするための規則です。上に立てられたものは、その立場を利用して精神的、また身体的苦痛を与えることのないようにというものです。特に、私たちの教団では女性教職が認められているのですが、そういうことに対しても注意する必要があります。

 本当は、こういう法律で守らなくても、聖書に書かれていることが理解されていれば問題ないわけです。
今日の13節にこう記されています。

こういうわけで、私たちはもう互いにさばき合わないようにしましょう。いや、むしろ兄弟に対して妨げになるもの、つまずきになるものを置くことはしないと決心しなさい。

「妨げとなるもの」、「つまずきになるもの」というのは、思いがけず人をつまずかせてしまう石や障害物を置かないようにということです。ただ、その石がたまたまそこにある石というのではなくて、罠をかけているようなもののことです。

 相手に対する配慮がないまま、その人を懲らしめようとする石というのは、私たちの生活の中にはいくらでも転がっているといえます。

 牧師同士のパワハラが起こらないともいえない世界に私たちは生きています。教会の中に、強い人と弱い人がいて、その間につまずきの石がある。そうなると、たちどころに相手のことを思いやる心はどこかにいってしまって、それぞれの主義主張がなされてしまう。そこで愛や配慮のない言動が起こってしまうのだとしたら、それは本当に残念なことです。

 それで、パウロは断言します。14節です。

私は主イエスにあって知り、また確信しています。それ自体で汚れているものは何一つありません。ただ、何かが汚れていると考える人には、それは汚れたものなのです。

 このパウロの言葉は、画期的な意味を持った言葉でした。旧約聖書には「食物規定」と呼ばれる戒めがあって、「汚れた食べ物」のことが記されています。豚やらくだ、鱗のない魚、鳥の中でも猛禽類などは汚れている食べ物なので食べられないと戒められていました。ユダヤ人たちは、その戒めも何千年にわたって神様が定め、先祖たちが大切に守って来た教えとして、それこそいのちがけで守って来たのです。

 新約聖書になって、使徒の働きの中で、教会の代表であったペテロに天からそれらの食べ物の入った籠が天から降りて来て、それらの食べ物は「聖い」と主が宣言されました。その時から、これらの食べ物は食べても良いということになったのです。けれども、何千年も大切にしてきた考えをそんなに簡単に切り替えられるものではありません。けれども、パウロはここではっきりと、もはやそれ自体で汚れた食べ物というものは存在しないと断言したのです。ただ、それが汚れた食べ物だと考えている人にとっては、汚れたものなのだと言ったのです。これは、新しい時代に移ったことの宣言とも言えます。

 こうして、パウロは教会の中で、これまでの食べ物の理解が大きく変わったことを明らかにして、そのことでさばき合うことがないようにと注意を呼び掛けたのです。

 特に、この14節は「偶像に捧げた肉は食べてはいけない」と考えている人に向かっての言葉です。人を裁いてしまう弱い人に対してパウロは語っています。 (続きを読む…)

2022 年 6 月 19 日

・説教 ローマ人への手紙14章1-12節「強い人と弱い人」

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2022.06.19

鴨下直樹

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 今日の説教のタイトルを「強い人と弱い人」としました。

 みなさんは、自分がクリスチャンとして強い人か弱い人かと言われると、自分はどちらに属すると思われるでしょうか。多くの方は自分は弱いクリスチャンだと思っておられるのではないかと思います。

 今日、パウロがここで語っている強い人と弱い人というのは、私たちのイメージするものとは少し異なっているようです。

今日の聖書にはこう記されています。1節から3節です。

信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。ある人は何を食べてもよいと信じていますが、弱い人は野菜しか食べません。食べる人は食べない人を見下してはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったのです。

 ここで、パウロは誰のことを「強い人」と言っているのでしょうか?

 読んでみると分かるのですが、ある人は何を食べてもよいと信じています。その人のことを強い人と言っていることが分かります。そして、ある特定のポリシーを持っている人、ここでのパウロの言いたいことを言い換えると、何かをきちんと守ることが信仰の証を立てることになると思っている人のことを「弱い人」と呼んでいるようです。

 これは、私たちの持つイメージとは逆かもしれません。これは、よくお話しすることですが、当時の肉は、異教の神にささげられた肉が市場に並ぶわけです。どうも、そういうものが大半を占めていたようです。そうすると、熱心なクリスチャンは、異教にささげた肉は食べない方がいいと考えました。それは使徒の働き15章に記されているエルサレム会議の決定でもあったわけです。それで、結果として野菜を食べるという考えを持つ人が出て来たようです。パウロはここでその考え方を、信仰の弱い人と表現したのです。

 つまり、人をさばく側に立つ人のことを、信仰の弱い人と言うのです。そして、ここからが面白いところですが、そういう弱い人を受け入れてやりなさいとパウロは勧めているのです。当時のエルサレム教会の人々や、パウロの教えに反対するユダヤ人のキリスト者が沢山いて、パウロはその人たちと常に闘い続けてきたのですが、その人たちは弱いから、そういうのであって、そこで、自分たちが売られて喧嘩を買うのではなくて、受け入れていこうではないかと勧めているのです。怒っている人、強そうに見える人に、あの人は弱いから、受け入れてやりなさいというのではない、その反対のことを言っているのです。

 今日の説教のタイトルを「強い人と弱い人」としたのには理由があります。この聖書の箇所を読んだ時に、私はすぐに、このタイトルの本のことを思い出したのです。『強い人と弱い人』というポール・トゥルニエの本です。

 このポール・トゥルニエは、スイスのジュネーブで心理療法士として働くキリスト者の医師で、たくさんの本を書いています。最も知られたものは、『人生の四季』というものでしょう。人生を四つの季節にあてはめて、それぞれの年代の特徴について記した名著です。

 この『強い人と弱い人』という本も、とても面白い考察が記されているのですが、はじめにこんな場面からはじまります。

 レストランでの出来事です。2、3歳の男の子が大声を上げて泣いています。その子どもの足元には破り捨てられた紙切れがあります。その子どもの近くで、母親は「さあ、この紙を拾いなさい」と叱っています。レストランの他の席についている人たちは、この騒がしい親子を眺めています。母親が強く言えば言うほど、子どもは大きな声で泣き叫ぶのです。

 周りの目がなければ母親は子どもを叩いたかもしれない。涙は弱い人間の武器だ。そう書いています。子どもは、レストランでは母親が他の場所のように力づくで自分を従わせることのできないことも見抜いている。また、母親がどっちみち負けるまで、この争いを続けることができないことも分かっている。トゥルニエはそう言います。

 こうして傷つけられた母親は、子どもの反抗によって二重に自尊心を傷つけられる。というのは、自分の子育てがうまくいかないことと、自分の方が歴然とした力があるのに子どもに負けたということになるというのです。 (続きを読む…)

2022 年 6 月 12 日

・説教 ローマ人への手紙13章8-14節「主イエス・キリストを着て」

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2022.06.12

鴨下直樹

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 パウロは「すべての人に対して義務を果たしなさい」と前回の終わりの7節で語りました。そして、今日の8節では「だれに対しても、何の借りもあってはいけません」と続きます。

 何の話をしているのだろうかと思うかもしれません。ここでパウロは、キリスト者の生き方のことを語っています。特に、ここでは国に対しての義務、責任を果たすということが言われています。

 積極的な戒めと、消極的な戒めというのがありますが、これは消極的な戒めと言えます。人に対して借りがあってはいけないと言います。何故かというと、自分の持っている自由を奪われてしまうことになるからです。

 後ろめたさがある、負い目があるとき、相手に支配されてしまいます。やらされていると思うと、とたんに楽しくなくなってきます。

 それは、家に帰ってきて宿題をすぐに終わらせてしまった子どものようなものです。やることをしていれば、もう自由です。何もとやかく言われることはない。それと同じように、国に対して税金を納めることも同じです。人に対しても借りを作らないで生きることも同じです。積極的な生き方とは言えませんが、そうやって、自分をまもる消極的な姿勢であっても、まずは借りがないということが大事だとパウロは言います。

 ただ、本当に言いたいのはその後の文章です。

8節

だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことは別です。

とパウロは言うのです。

 これは、積極的な生き方です。損をする生き方ですが、それは別だと言うのです。人に貸しを作るように生きるのは良いことだというのです。8節の続きはこうなっています。

他の人を愛する者は、律法の要求を満たしているのです。

 自分の方から他者を愛することは、律法の求めていることを超えているというのです。それで、その後で、十戒の後半部分が記されていまして、これは「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という言葉に集約されると言っています。

 十戒の後半部分の戒めである、隣人との関係を命じる戒めは、他人を愛するという言葉の中に入ってしまっているというのです。

 これは、相手に対して借りがあるので返すという行為ではなくて、自分の方から相手との関わりを作っていって、相手を愛で包んでしまうことです。積極的な愛のわざです。これは、人によっては余計なお世話だと思われるかもしれません。それは、そうなのです。愛するという行為は、相手に借りを作らせる行動になることだからです。だから、余計なことをしないで欲しい、私もお返しをしなくてはいけなくなるから、やめて欲しい、という言葉が出てくるのは当然といえば、当然なのかもしれません。

 もちろん、恩着せがましくやりなさいと言っているわけではありません。愛は、一方的な行為ですが、その人の心を思いやる心が当然求められます。

 先週の木曜日に、教団の泉会が行われました。オンラインと会場に集まってのハイブリット形式の集まりで、全部で70人以上の人が参加しました。

 とても素晴らしい内容で、私もはじめから最後まで泣きっぱなしでした。その内容は、今度教団内だけで限定配信されるようなので、ぜひご覧になってくださったらと思います。
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