2012 年 10 月 28 日

・説教 ガラテヤ人への手紙1章1-10節 「使徒パウロからガラテヤの諸教会へ」

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2012.10.28
宗教改革記念

鴨下 直樹

10月31日は宗教改革記念日です。それで、教会の暦ではこの日に一番近い主の日の礼拝で宗教改革を祝う習慣があります。今日からガラテヤ人への手紙の説教をしますけれども、それは大変意味深いことだと思います。宗教改革者のマルチン・ルターはこのガラテヤ人への手紙のことを「ガラテヤ人への手紙は私のケーテ・フォン・ボーラである」と言っています。このケーテ・フォン・ボーラというのはルターの妻の名前です。自分の妻のように愛したのがこのガラテヤ人への手紙であると言ったのです。聖書を自分の妻のように愛するなどということは、私たちにはあまり考えにくいことであるかもしれません。けれども、今日からこのガラテヤ人への手紙を通して、ルターがまるで妻のようだと言って愛したこの手紙を、私たちも、この主の言葉を愛することができるようになればと願っています。
今日は宗教改革記念を覚える主の日です。ルターは信仰の戦いを戦い抜いた宗教改革者でした。人は良いことを行なうことによって神から義、良いと認められるのではなく、信仰によるのだということをこの時、再確認したのです。そして、そのためにとても大きな役割を果たしたのがこのガラテヤ人への手紙でした。この使徒パウロの信仰の戦いの手紙があったからこそ、マルチン・ルターもまた信仰の戦いを戦い抜くことができたのです。

私たちにとって信仰の戦いと言う言葉はあまり現実味を帯びて感じられないということがあるかもしれません。しかし、私たちは毎日毎日いろいろな場面で、キリスト者としての決断を求められる時があります。そんな戦いというような仰々しいものではなかったとしても、やはりそこにはさまざまな心の迷い、葛藤があるでしょう。そこで、この手紙がルターにとって大きな助けとなったように、みなさんにとっても大きな助けになるものであると信じます。このガラテヤ人への手紙は戦いの手紙と呼ばれています。私たちもこの手紙を通して、パウロが戦いの中でガラテヤの教会の人々を愛していたか、そして、この手紙を聴く者たちに本当の自由を得させるため、救いを与えてくださった主のみ心をしっかりと聴き取りたいと願っています。

さて、この手紙はこう書き出します。パウロ、使徒。新改訳聖書はその原文の雰囲気をできるだけ味わうことができるようにと訳しました。パウロの手紙は主に口述筆記という形がとられました。パウロが手紙の内容を語り、書き手がそれを聞いて書くのです。この手紙の最後にパウロが自分の手で「私は今こんなに大きな字で、自分のこの手であなたがたに書いています。」と六章十一節にあります。それで、前任の後藤喜良先生はドイツにおられた時に、自分のことをパウロ後藤と呼ばせていたほどパウロに深い思い入れがあるようです。その後藤先生は、パウロはリウマチであったので文字があまりうまく書けなかったのではないかと言っています。何故かというと、後藤先生自身がリウマチだからです。
もちろんはっきりしたことは分かりませんけれども、パウロはこの手紙を書かせる時に、まず「パウロ」と口にし、次に「使徒」と言ったのです。このことは、この手紙の中で決定的な意味を持っています。パウロは自分は使徒であると、冒頭から宣言したのです。使徒というのは、みなさんも前回までマタイの福音書を聴き続けてきましたからお分かりのことと思いますけれども、主イエスの弟子のことを言います。特に復活の証人となったユダを除く十一人の使徒たちは、その後の教会の中で非常に大事な地位を占めるようになりました。復活の主にお会いしているからです。けれどもパウロはここで、自分も使徒なのだとその手紙の冒頭で宣言をいたします。何故かというと、「パウロは使徒ではない」と言って、パウロが伝道をして出来たガラテヤの教会を混乱させる人々がいたからです。
少し説明をする必要があるかもしれません。パウロの生涯については、私が芥見に来た最初の年から祈祷会でずいぶん丁寧に学びました。ここでは簡単に説明するにとどめたいと思います。パウロは生涯にわたって三度伝道旅行をいたしました。聖書の裏側に地図が載っている方は、そこにパウロの伝道の旅程が記されています。その第一伝道旅行の時にガラテヤの町々を訪ねまして、そこに教会が生まれました。私たちの教会も今から三十年以上前にドイツからジークフリード・ストルツ宣教師が来られて、この岐阜の芥見の地に教会が生まれました。まさにそのように、パウロは外国に出て行って、キリスト教のことなど知らない人に福音を語って教会が誕生したのです。ところが、パウロはその町にずっと留まっていたのではなくて、おもだった人を立てて、さらに次の町、次の町と伝道の旅を続けていましたから、じっくりと時間をかけて教会の人々を教育するということができません。そんなまだ出来たばかりのガラテヤの教会に、他のキリスト者たちが尋ねて来ます。教会の人々は大喜びで歓迎しながら、主イエスの語られた福音の話を聞かせて欲しいと頼んだのです。ところが、その外から来た人々の教えたことと、パウロが教えたことがずいぶん違います。特に、外から来た人々は「パウロは使徒ではないのだから、あの人の教えに留まることは危険である」と教えて回ります。そうすると、教会の中には大きな混乱が生じます。自分たちの教会を建て上げたパウロが正しいのか、それとも、今自分たちを指導しているこの人たちの教えが正しいのか、分からなくなってしまうのです。そんな知らせがパウロのところにもたらされた時に、パウロはいてもたってもいられなくなって書いたのがこの手紙というわけです。

ですから、パウロの心の中にはそういう教会を混乱させている人々に対する憤りや、そんなことで心がぐらついてしまうガラテヤの教会の人々に対する不安があったのは当然のことでしょう。ですから、手紙を書くにあたって、まず、自分は使徒なのだ、キリストの弟子、自分も主の復活の証人なのだとどうしても宣言せずにはいられない思いがあったのです。ですから、パウロは続いてすぐに語り出します。

私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです。

と説明します。
そして、二節

および私とともにいるすべての兄弟たちから、ガラテヤの諸教会へ。

読んでみるとあまり気に留めることもない書き出しですけれども、パウロはここで自分の側にはすべての兄弟たちがいると書いているのです。そして、ガラテヤの諸教会にと書き送ります。パウロは大抵手紙を書く場合に、宛先の教会のことを「神の教会」と書くか、あるいは「どこどこにいる聖徒たちへ」と書きますが、ここにはそのどちらもついていません。読みようによっては、私の側にはすべての教会が共にいるけれども、あなたがたの教会は今神からさえもはなれてしまっているのだ、とも読めます。

はじめに予告しておりました月間予定表では、今日は五節までを説教する予定にしていましたけれども、十節までにいたしました。内容に踏み込んだほうが、パウロがこの手紙で何をしようとしているかがよく分かると考えたからです。六節からが手紙の本文に入ります。少し見てみましょう。

私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。

一気に八節までお読みしました。途中で切るに切れないほど、パウロは自分の心の内を一気に語り始めます。この語り出しがパウロの言いたいことのすべてであると言ってもいいほどです。
普通手紙を書くときには、事項の挨拶をして相手の様子をうかがいながら前回あったときのことなどを思い出すようなエピソードの一つでも書いて、最後に言いたいことを、特にきついことを言いたい場合などは少しだけ書く、といった具合にした方が敵意も伝わりませんし、配慮していることも分かりますから、そうしたほうがよさそうなものですけれども、パウロはそうはいたしません。単刀直入。一刀両断です。手紙の冒頭から、「そんな人はのろわれたほうがいい」などという手紙を書くことは私たちの生活では考えられません。もし、ストルツ先生からクリスマスカードが届いて、時候の挨拶も飛ばして、「あなたがたの中にこう言う人がいるならばその人はのろわれるべきです」などと書かれていたら何と思うでしょう。しかし、パウロはそうせざる得ないほど、ガラテヤの教会の危険が大きいものだと考えていました。呑気に季節のあいさつや、思い出話に花を咲かせている余裕などないのです。この手紙が届いて教会の人々に読まれるなら、すぐにでもパウロの語った福音と異なる福音を語った者を追い出してしまってほしいと考えているのです。まさに、戦いの手紙です。この手紙で、ガラテヤの教会の人々の生き死にがかかっているのです。一刻の猶予もないほどのことが起こっていると考えているのです。

ガラテヤの教会の人々が神から離れて教会に来なくなってしまったというようなことがおこっているのではないのです。教会には来続けている。熱心に集ってくるのです。しかし、そこで語られているのはもはや福音とは呼ぶことのできないものになってしまっているのです。この異なった福音についてはこれから順に内容が出てきますが、簡単に言ってしまうと、信じて救われるだけでは足りないのだということです。ユダヤ人のようにならなければならないというのです。割礼を受けなければならない。律法を守らなければならない。信仰だけではない、行ないも同じように大切であるということです。パウロは異邦人に向かって、主イエス・キリストを信じる信仰を語りました。ユダヤ人のようになる必要はないこと、正しい行ないをすることによって、その人の義が、義しさがしめされるのではないと語りました。そして、そのとおり信じて教会が生まれたのです。ところが、その人たちが主の教会に集っているのに、集い続けているのに、自分たちの間違いに気づかない。そのことがパウロには驚きなのです。

教会の戦いと言うのはこの他の福音との戦いであると言えます。教会の教えの中に異なる福音が入り込むのです。説教の中に、役員会の中に入り込むのです。神を見ること、キリストの御業に目をとめないで、よかれと思い、人のためになろうとする人が聞きやすい言葉をもって語られます。神を神としないで、ただ人の心に寄り添おうとするところに入り込んでしまうのです。おそらく、ガラテヤの教会にやって来た人々も、間違ったことを意図して教えたわけではなかったと思います。パウロが語った福音はそれほど当時の教会の理解と大きくかけ離れていたのです。彼らはおそらく、それまでの教会の中心であったエルサレム教会で教えられてきたことを熱心に守ろうとしただけのことなのです。自分たちは間違っていない、自分たちが間違いであったなら他にどこに正しいことがあるのかと思ったに違いないのです。
宗教改革者マルチン・ルターは自らが愛したガラテヤ人への手紙の講解という大きな本を記しました。その中でルターはこう語っています。当時の教会はこう言っていたというのです。「神は何世紀にもわたって全教会を誤りの中にとどまらせておかれると思うか。教会が打ち壊され、くつがえされることはありえない、と大いに強調する。そして多くの人々はこの論旨に動かされてしまうのだ」と。これまで教会が神のゆるしのなかで行なってきたことだから、正しいのだという論理があるのだというのです。自分たちの行なってきたことの正当化です。間違ったことをしていれば神が途中でただしてくれるはずだという理屈です。
多くの人がこのように考えるのです。決断をするときに、おかしいのではないかと気づいていても、それを行なってみる。もし、だめならば神様が道を閉ざすだろうと。そうして、自分の責任を、さも神が認めてくださった決断であるかのように自分自身で錯覚してしまうのです。
挙げれば切りのないことですけれども、教会には実に多くの誤りに陥る危険が常に存在しています。人に優しいことは良いこと。神がそれを中断されなかったのだからそれは神の御心である。これまでやってきたことだから正しい。そのような考えの背後にあるのは、結局のところ神の名を使った自分の判断の肯定でしかありません。けれども、その誤りになかなか気づかなくなってしまうのです。なぜなら、ガラテヤにこの教えをもたらした人々も、宗教改革に至るまでの道のりを築き上げてきた人々も、決して悪意からことを始めたのではないからです。

パウロは語ります。すべては神中心なのだと。

いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。

と十節にあります。徹底的に、神にのみ集中するのだとパウロは語ります。
パウロはここで自分自身戒めていることを口にします。私は人の歓心をかうために福音を語ったのではない。自分は徹底的に主イエスに集中しているのだと。自分がかつてガラテヤで語った福音は、パウロ自身は主から受けたことでした。その福音を、自分が人気を博すために、人に聞きやすいことを水増ししたのだとしたら、それはキリストの僕とはいえない。当然、使徒だなどとは言えません。というのは、そのように考えられたからです。パウロが語っているのは、主イエスはすべての人のために十字架につけられて復活されたのだから、信じれば誰であろうと救われるのだ、という福音です。けれども、そうすると、ユダヤ人たちがこれまで必死に守り続けてきた律法は意味がなくなってしまうではないかと思えるのです。それで、パウロは自分の人気を得るために誰にでも聞くことのできる安易なことを言っているだけだという批判があったのです。しかし、もちろんパウロにそんなつもりはありません。私は断言してもいい、徹底的にキリストに集中しているのだ、とパウロはここで宣言しているのです。

今飛ばしましたけれども、冒頭の三節で

どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。

と語りました。これは、ただの挨拶や慣用句でもなんでもなくて、パウロの心からの願いです。神の恵みと平安は、罪の赦しと深く結び付いています。父なる神と主イエス・キリストからくる恵みは、まさに、神が成し遂げてくださった十字架と復活によってもたらされる罪の赦し以外にはありませんし、平安もまた、神による罪の赦しによってようやく人が得ることのできるものです。これは、主イエスがなしてくださった十字架と復活という御業以外にはなりたたないものです。
どれほど人に優しい言葉を語ろうと、どれほどこれまでの伝統を大事にしようと、父なる神と主イエス・キリストがしてくださった御業の他に、人に恵みと平安を与えるものはないのです。私たちが人の耳に優しい言葉を語る時、自分自身にそのような言葉をもって言い聞かせるとき、「大丈夫、これはいいことなのだから、大丈夫、これまでやってきてうまくいってきたのだから」と語る時、そこに神が与えようとしておられる恵みがあるのかどうか、主が語られた罪の赦しはどこにいってしまったのかをよく考えることが必要です。神が与えようとしておられる真の平安とはまったくちがったところで平安がつくられてしまうことに気がついて欲しいのです。神の与える恵みと平安は、主イエス・キリストによって示された十字架と復活によって与えられる罪の赦しにのみあることを知ってほしいのです。
使徒パウロはこの福音にガラテヤの教会の人々が生きて欲しいと願っているのです。いや、すべてのキリスト者が、キリスト者ばかりではない、すべての人がこの福音に生きて欲しいと願って、この手紙を書いたのです。

お祈りをいたします。

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