2020 年 5 月 16 日

新型コロナウイルス感染症流行下の礼拝について

Filed under: お知らせ — susumu @ 21:02

芥見教会として今後の礼拝について以下のようにいたします。(2020/7/19 更新)

礼拝について

芥見教会では、礼拝が「三密」状態になりやすい集まりである性質を考え、今後も慎重に対応していきたいと考えています。
当面の間は緊急事態宣言中と同様に、家庭での礼拝を基本としてください。

2020年7月26日以降は、午前9時の礼拝はありません
午前10時半からの礼拝を、同時にネット配信いたします。
また礼拝終了後も、教会のホームページからライブ礼拝の録画・録音を視聴できるようにいたしますので、ご自宅での礼拝を継続いただけます。

礼拝に来られる方へ

  1. 必ずマスク着用で礼拝にお越しください。
  2. 出入りの際、礼拝堂に備え付けのアルコール消毒を行なってください。
  3. 席は、一列に2名までとし、1~2列おきにお座りください。
  4. 賛美歌の歌唱は1節のみ、大きな声で歌うことはできませんので、ご協力ください。
  5. 挨拶などは屋外で、少なくとも2メートルの間を開けてお願いします。
  6. 人数が多いと判断した時には、1階集会室にて、モニター越しでの礼拝をお願いすることになります。
  7. 教会での飲食はしないようお願いします。

以上のことを守っていただくことにご同意いただいた上で、礼拝に集われる方はお集いいただきますようお願いします。

芥見キリスト教会
長老会

2021 年 1 月 20 日

ざっくり学ぶ聖書入門11 サムエル記 第二

Filed under: 聖書の学びと祈り会 — susumu @ 19:56

2021 年 1 月 17 日

・宣教40周年記念礼拝説教 詩篇100篇「感謝の歌を!」

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 07:21

宣教40周年記念礼拝

2021.01.17

鴨下 直樹

⇒ 説教音声の再生はこちら

説教全文はただいま入力・校正作業中です。 近日中に掲載いたします。

Lineライブ

午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。

(礼拝前半)証し:赤塚尚武


 

(礼拝後半)説教:鴨下直樹


 
 芥見キリスト教会の皆さん、宣教40周年おめでとうございます。

 1981年1月18日の礼拝からこの教会の宣教は開始されました。先ほど、芥見教会の最初の受洗者であるAさんが証しをしてくださいましたが、そこでお話しされたように最初の礼拝に集われたのは、Oさん夫妻とAさん夫妻、そして今は高山にみえるIさんご夫妻と学生の7名だったそうです。

 その時から、今週で40年を迎えました。本来でしたら、これまでこの教会で労してくださった先生方をお招きして、特別な記念礼拝をしたいところですが、今はコロナウィルスのために、大きなお祝いをすることもできません。それどころか、先週からこの岐阜県でも緊急事態宣言がだされていまして、この場に集って礼拝をすることを控えておられる方もいるという状況です。

 そう考えてみれば、芥見教会の40年の歩みというのは、荒野の40年であったということができるのかもしれません。30周年の時にもお話ししたのですが、この教会はこれまで、最初の宣教師であるストルツ先生、そして宮園先生、飯沼先生、背戸先生、浅野先生、後藤先生をお迎えし、私で7人目の牧師ということになります。30年で7人の牧師というのは、かなり多い方です。その間、きっとみなさん色んな思い出や経験がおありになると思います。

 この40年の間、芥見教会は実に豊かな経験を与えられてきました。そして、イスラエルの民が、荒野を40年さまよいながら主に導かれてきたように、この教会も主に導かれてきた40年であったということができます。

 イスラエルの民は40年ですべての世代が入れ替わりました。けれども、本当に幸いなことですが、芥見教会のほとんどの方々が、今日まで代替わりすることもなく、こうして40年のお祝いをすることができるということも、本当に感謝なことです。

 神の民は、主との契約に生きる民です。主は、その民に約束を与えてくださいました。あなたがたを約束の御国に招き入れ、そこで子孫繁栄の約束を頂いたのです。この約束は、今も変わることはありません。

 神の民であるイスラエルは、約束を与え、果たしてくださる主なる神さまに感謝をささげる歌として、この詩篇100篇を賛美してきました。この詩篇には、神の約束に生きる民にとって大切なことが歌われています。

全地よ に向かって喜びの声をあげよ。

 この詩篇は主の御前に感謝をささげる賛美の歌です。その内容は喜びと感謝に満ちています。命令形で書かれていますけれども、この言葉には嫌な響きはありません。主は喜びと感謝を創造してくださる主だからです。

 この詩篇は、冒頭の1節から7つの命令形の言葉が続きます。
「喜びの声をあげよ」
「主に仕えよ」
「御前に来たれ」
「知れ 主こそ神」
「賛美しつつ大庭に入れ」
「感謝せよ」
「御名をほめたたえよ」

 この七つの命令形の言葉の中に、約束に生きる主の民が、何を大切にしてきたのかが、全て語られています。主を喜ぶこと、主に従う事、主の御前で礼拝をささげること、主を知ること、御前で賛美すること、感謝すること、主の御名をほめたたえること。

 この七つの命令形の言葉の主語はすべて「あなたがた」です。つまり、私たちに期待されていることです。

 そして、この七つの言葉はすべて、礼拝と深くかかわっている言葉です。主を礼拝すること。これこそが、主の民の最大の使命であり、私たちの務め、責任なのです。 (続きを読む…)

2021 年 1 月 13 日

ざっくり学ぶ聖書入門11 サムエル記 第一

Filed under: 聖書の学びと祈り会 — susumu @ 19:33

おわび

今回の「ざっくり学ぶ聖書入門」の前半で、書籍の内容を紹介する内容があったため、配信規約違反(著作権保護)のため、Lineライブ管理者により前半(約15分)が削除されております。以後内容については注意して配信したいと思います。後半だけではわかりにくい内容になりましたことをお詫び申し上げます。

2021 年 1 月 10 日

・説教 詩篇144篇「わが岩なる主」

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 07:43

2021.01.10

鴨下 直樹

⇒ 説教音声の再生*1はこちら

*1:ライブ録画から抽出した音声を掲載しています。聞きづらい点はご容赦ください。

Lineライブ

午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。


 
 今年も、しばらく詩篇のみ言葉を聴き続けていきたいと願っています。

 今日の詩篇は、「王の詩篇」と呼ばれる詩篇の最後のものです。この詩篇の祈り手は、王さまの立場で記されているのです。またこの詩篇は詩篇の18篇がもとになって書かれました。今どきの言葉で言えば、詩篇18篇をリメイクしたのです。詩篇18篇の王の詩篇に影響を受けて、詩人が自分でも作ってみた。そんな内容です。

 表題には「ダビデによる」と書かれていますが、ダビデ作というのではなくて、「ダビデによせて」というような意味だと思っていただけるとよいと思います。

 ただ、とても興味深いのは、ギリシャ語の七十人訳の方では「ゴリヤテに対して」とか「ゴリヤテと戦う」という意味の言葉が表題に付加されています。この詩篇を作った人は、ダビデがゴリヤテと戦う時のことを思い返しながら、この詩篇を作ったと考えられたようです。

 そんなことを少し心に覚えながらこの詩篇の言葉に耳を傾けてみたいと思います。

 この詩篇は「わが岩なる主」という呼びかけの言葉ではじまります。

 みなさんは、お祈りをするときに、「わが岩なる主よ」と呼びかけて祈ったことがあるでしょうか? 祈りは、私たちが主をどのように呼びかけるかということが、とても大切です。どういうお方に祈ろうとしているのか、この呼びかけに、私たちの信仰の姿勢や、その後の祈りの内容がすべてかかってきます。この詩篇にならって、私たちもお祈りをするときには、すぐに祈りはじめるのを少し待って、はじめに主をどのように呼びかけたらよいのかを少し考えて祈ってみるとよいかもしれません。

 「岩」というのは、どんなイメージでしょうか。

 私たちの生活の身近に、「岩」はあまりないかもしれませんので、私たちがお祈りするときに、神さまのことを「岩」にたとえるというイメージはなかなか湧いてこないのではないでしょうか。

 「岩」は人が簡単には動かすことができないものです。昔からそこにあり、それを自分たちの都合で取り除くというよりは、その岩があることを前提に考えていかなければなりませんでした。ずっとそこにありつづけるもの。変わらなく存在するもの。それが、岩のイメージです。

 年末に下仁田教会に奉仕に行ったとき、川沿いの道を走っていると、「夫婦岩」という看板がありました。見てみると、それほど大きくはないのですが、二つの岩がそれぞれ寄りかかって支え合っている岩が、川の真ん中にありました。川があふれることがあっても、ずっとそこに有り続けるから、看板まで出してあるのだと思うのです。岩というのは、そのように、いつも変わらず、そこにあるのです。そんな岩のイメージと主なる神のイメージがそこで重なっているのです。

 何があっても変わることなく、周りに惑わされることもなく、いつも変わることのないお方が、私たちの主なのだと祈っているのです。そういうお方に、この祈り手はこれから祈ろうとしているのです。

わが岩なるが ほめたたえられますように。

という言葉の後にはこういう言葉が続きます。

戦いのために私の手を
戦のために私の指を鍛えられる方が。

 岩である主が、私の手と指に戦いを教えてくださるというのです。

 岩と格闘するというのは、普通はあまりイメージできません。ただ、最近はそうでもないのかもしれません。今世間を騒がせている「鬼滅の刃」というアニメがあります。その主人公の竈門炭治郎は、最初の修行で、岩を刀で断ち斬るというところから始めるのですが、もちろんそれは、この聖書がベースになっているわけではないと思います。この漫画の主人公の炭治郎は、その修行で岩を斬ってしまうのですが、普通は斬れません。だから漫画になるわけです。ただ、絶対的に不可能だと思えるものに挑み続けることが、自分を強くしてくれるという表現があそこには込められているのでしょう。

 そう考えれば、岩なる主が私の手や指に戦いを教えてくださるというイメージも理解しやすくなるかもしれません。 (続きを読む…)

2021 年 1 月 3 日

・説教 ルカの福音書6章36節「憐れみ深く生きよう!」

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 06:58

2021.01.03

鴨下 直樹

⇒ 説教音声の再生はこちら

Lineライブ

午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。


 

「あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くなりなさい。」

 今年のローズンゲンによる年間聖句は、このルカの福音書の6章36節のみ言葉です。この一年、この御言葉を心に留めて歩みたいと願っています。

 今、まさに世界に求められているのは、この御言葉に尽きるのだと思うのです。昨年、私たちは大変な一年を過ごしました。そして、その大変さは今年一年も続くだろうと考えられています。新型コロナウィルスの拡大は、この冬になってますます広がっています。もう、私たちは「未曽有の危機」とか、「緊急事態」という言葉さえも、あまり危機感を感じないほど、耳慣れしてきています。

 人と人とが顔を合わせて会話するという、この当たり前の人とのコミュニケーションが禁止されているのです。入院している家族との面会も許されていませんし、老人ホームのような施設でも家族の面会が禁止されています。

 人を愛している、大切にしているということを伝える手段が奪われてしまうような、そんな生活を、私たちはなおもし続けていなければならないのだというのです。

 そして、それは、権力を持っている誰かが、禁止しているというのでもないのです。自主的にそうするように要請されているのです。

 そんな中で、私たちはこの御言葉をこの一年の聖句として与えられているのです。

「あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くなりなさい。」

 私たちが、何よりもまず、心にとめなければならないのは、私たちの父なる神は、「憐れみ深いお方である」という事実です。

 主は、この憐れみ深いというご自身の性質を、主イエスを通して、私たちに示してくださいました。

 ルカの福音書の第6章というのは、マタイの福音書で語られている山上の説教と呼ばれる内容と、似ているのですが、ルカの福音書では6章の17節で「イエスは彼らとともに山を下り、平らなところにお立ちになった。」と書かれていまして、そこでなさった説教が記されているところです。それで、「平地の説教」と一般に言われているところです。

 そこで、主イエスは弟子たちに、また主の教えを聞きたいと思って集まって来た人々に、説教をされました。特に、この部分は6章26節から36節では「愛すること」が語られています。そこで語られているのは、敵を愛することと、与えることです。

 愛するというのは、観念なのではなくて、具体的な働きとなって示されるのです。敵を赦すこと、そして、与えることが、愛することだと言っているのです。

 主イエスの敵とはいったい誰のことを指しているのでしょう。単刀直入に言えば、それは、私たちのことを指しています。

27節、「憎む者たちに善を行いなさい。」
28節、「あなたがたを呪う者たちを祝福しなさい。」
29節、「あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬も向けなさい。」
30節、「求める者には、だれにでも与えなさい。」
31節、「人からしてもらいたいと望むとおりに、人にしなさい。」

 主イエスが語る、人を愛するというのは、こういうことだと続けざまに語られています。これを、聞いていた人々はにこやかな顔のままでは、この言葉を聞くことはできなかったと思います。私たちにしてもそうでしょう。

「悪には悪で報い、愛には愛で報いる」というのが、私たちの世界の常識です。そして、それは、キリスト者であってもほとんど例外なしに、同じような感覚で生活してしまっていると思うのです。

 しかし、父なる神はそれを、私たちにしたのだというのです。そのことが、私たちに明確に示されたのは、あの、主イエスが十字架にかけられる前のゲツセマネの祈りの姿で、私たちはそのことを心に刻むことができます。敵を愛するということが、どれほど厳しいことなのかが、あの時の主イエスの姿の中に示されています。

 自分の敵のために、自分を傷つけてくる人のために、自分自身を与える、それが愛するということなのだということを、主イエスはあのゲツセマネの祈りを持って、私たちに示してくださったのです。それが、どんなに苦しいことなのか、どれほどつらいことなのか、まさに、愛するといことは、苦痛と困難を祈りによって乗り越えた先にあるものなのだというのです。

 「憐れみ深く生きよう!」という説教題をつけました。

 これが、この一年、主から私たちに託された宿題です。それは、とてつもない困難な課題です。

 そのために、祈るのです。そのために、お互い支え合っていくのです。そして、そのことができるようになるためには、あなたがたの父の憐れみ深さを知ることが何よりも重要です。

 その人のことが好きとか、嫌いとか、私たちの持つ感情に目を向ける時に、それは何に根差しているのかをよく知る必要があります。その判断を下しているのは、自分自身です。そして、そこにあるのは、自分自身の正義という判断が働いているはずです。もちろん、そこにはさまざまな苦い経験があるのかもしれません。これまでに、どれほど犠牲を払ってきたか分からないという部分があるのかもしれません。

 しかし、愛するのは、感情ではないのです。意志です。そして、その意志というのは、神のご意思なのだということです。神がそう願っておられる。そして、その神の意志は、私を愛するということのために費やされた意志でもあるのです。そして、この神の意志の背後には、神の正義があるのです。

 神が、その人を愛したいと願っておられるという、事実が、神の正義が私たちの意志を支えるのです。私も愛そうという思いを支えるのです。

 私たちの主は義なる神です。たとえ敵であったとしても、その人を義としたい、その人をよしとしたい、その神の思いがそこにはあるのです。

 私たちの父なる神は、あわれみ深いお方です。そして、そのお方は、その憐れみを、まず、何よりも私たちに示してくださいました。そして、今度は、私たちから、私たちの周りの人たちに示されることを願っておられます。

 私たちが愛を示すのはもちろん、敵のような人ばかりではありません。家族にも、友人にもそうです。教会の中でもそうです。私たちの周りには、強い人もいるでしょう。弱い人もいます。心寄せる人もいれば、苦手だと思う人もいます。主は、私たちに憐れみ深さを示すことを、その人たちを愛することを求めておられます。

 この主のご意思が、私たちを通して示される一年となることを私たちは祈り求めて生きたいのです。

 お祈りをいたします。

2020 年 12 月 31 日

今月の礼拝予定(2021年1月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 16:18

1月3日 降誕節第2主日

主日主題: 新年
聖餐礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: ルカの福音書6章36節
説教:「憐れみ深く生きよう!」鴨下直樹牧師

午後:役員会

1月10日 降誕節第3主日

主日主題: 再臨
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: 詩篇144篇
説教:「わが岩なる主」鴨下直樹牧師

1月17日 降誕節第4主日

主日主題: 宣教
宣教40周年記念礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: 詩篇100篇
説教:「感謝の歌を!」鴨下直樹牧師

1月24日 降誕節第5主日

主日主題: 幸い
公同礼拝: 午後7時
聖書: 詩篇119篇1-8節
説教:「幸いな人」鴨下直樹牧師

午後:礼拝準備会/月間予定確認会、避難訓練

1月31日 降誕節第6主日

主日主題: 清さ
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: 詩篇119篇9-16節
説教:「清さを保つ道」鴨下直樹牧師

2020 年 12 月 27 日

・説教 イザヤ書41章1-10節「恐れるな、私はあなたとともにいる」山田健長老

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 06:13

2020.12.27

山田健長老

Lineライブ

午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。


 

2020 年 12 月 24 日

・聖夜燭火礼拝説教 ルカの福音書1章26-38節「お言葉どおりこの身になりますように」

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 21:12

2020.12.24

鴨下 直樹

⇒ 説教音声の再生*1はこちら

*1:ライブ録画から抽出した音声を掲載しています。聞きづらい点はご容赦ください。

Lineライブ

午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。


 
 今日、私たちに語り掛けられている言葉はこういう言葉です。

「おめでとう、恵まれた方。」

 スマートフォンでインターネットの記事を読んでいると、突然、「おめでとうございます。」という画面になって、よく読んでみると、「アイパッドが、あなたに当選しました。」という画面が突然現れたことがあります。そうすると、私はすぐにその画面を消して、検索をかけます。「アイパッド、当選」と検索しますと、すぐに「当選詐欺」という情報を見つけることができます。

 今から20年も前のことですが、当時はFAXでしたが、シェル石油のゼネラルマネージャーを名乗る人からのFAXでした。私と同じ苗字の、シェルのナンバー2の方が家族で事故にあってしまい、その莫大な遺産、たしか何千億円だったかという金額が書かれていました。そのお金が、もうすぐ政府に没収されてしまいます。そのため、誰かにこの遺産を引き継いでもらいたい。あなたはたまたま同じ苗字なので、あなたにその権利を差し上げたいので、銀行口座と名前、そして、暗証番号をFAXして欲しいという内容のFAXがナイジェリアから届いたことがあります。

 なぜ、暗証番号が必要なのかと思うわけです。不思議なもので、詐欺だとすぐに分かるのですが、少し夢があります。一瞬そんなにお金貰ったらどうしようかなぁなどと考える自分がいます。

 私たちはこの「おめでとう、恵まれた方」という言葉ほど、今日うさん臭い響きの言葉はないということを知っています。

 しかし、私たちはこのクリスマスに改めて、この言葉を聞きたいのです。

「おめでとう、恵まれた方。」これが、クリスマスの出来事の神からの最初のメッセージだったのです。

 今、私たちはそれぞれに、さまざまな異なる状況を抱えて生きています。誰もが、嬉しい思いで毎日生活しているわけではありません。今年、とりわけ今年のクリスマスは、世界中が闇に覆われた年のクリスマスだと言えると思うのです。

 この世界中に爆発的に広がっているウィルスのために、経済が停滞しています。外出自粛がまた叫ばれています。病院はひっ迫し、適切な医療を受けられない方々が沢山います。今、病気の人たちがいます。家族とこの年末年始も会うことができない人もいます。経済的にとても厳しい人たちも少なくありません。将来の姿が描けない中で、私たちは今、この聖書の言葉を聞こうとしているのです。

 そんな中で、何が「めでたい」と聖書は語ろうとしているのでしょう。不安しかない、押しつぶされそうな思いの中で、この聖書の言葉を聞こうとしているのです。

「おめでとう、恵まれた方。」

 何もおめでたくない。そんな言葉を聞くのもつらい、そんな中で、神はこの言葉を私たちに届けようとしているのです。

 何が、「おめでとう」なのでしょうか。クリスマスにはどんな喜びがあるというのでしょうか。

 ひょっとすると、私たちはこうして、教会に集まっては来ますが、本当のところ、クリスマスのめでたさなんていうものを、そもそも期待してここに来ているのでしょうか。

 この知らせを受けたマリアは、この時まだ十代の少女でした。

「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。

 
 当時は、スマホなんてありませんから、すぐに検索するというわけにはいきませんので、そうであれば考え込むしかできません。これは、いったいどういうことなのか?

 すると御使いは、こう告げます。

「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。
見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。」

 本人の同意もなしに、一方的に、男の子を産むだろうと言うのです。何かが当たりましたというような知らせでは済まないのです。

 マリアは婚約していました。それなのに、子どもを産むことになるという知らせは、「おめでたい」知らせではありません。はた迷惑な話です。この神からの一方的で、拒否権もない、この知らせのどこに、おめでたさがあるというのでしょう。 (続きを読む…)

2020 年 12 月 21 日

【お知らせ】「ざっくり学ぶ聖書入門」の配信について

Filed under: お知らせ,聖書の学びと祈り会 — susumu @ 12:09

「ざっくり学ぶ聖書入門」は、クリスマス~年末年始の期間はお休みです。

2021年1月13日夜7時から次回の配信を再開します。

2020 年 12 月 20 日

・説教 ヨハネの手紙第一3章1-3節「御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい」

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 07:42

2020.12.20

鴨下 直樹

⇒ 説教音声の再生*1はこちら

*1:先週に引き続き、機材の不調により説教音声の録音ができませんでした。ライブ録画から抽出した音声を掲載しています。聞きづらい点はご容赦ください。

Lineライブ

午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。


 
 今日の説教題は、たぶん、私がこれまでつけた説教題の中で一番長い説教題だと思います。この手紙の一節の言葉をそのまま、タイトルにしました。

 今日、私たちが共に聞き取りたいと思っているのは、まさにこの言葉に尽きるのです。かつて、宗教改革者ルターは祈りについて「祈りは短ければ短いほど良い、言葉を補えば補うほど、意味が薄まるからだ」と言う内容の言葉を語りました。そういう意味では説教題も短い方がいいのかもしれませんし、この説教も、長くなればなるほど、意味が薄くなってしまうのかもしれません。

御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。

 今日、私たちが心に留めたいのは、この一言に尽きるのです。このことを考えて、私たちが、御父のくださった素晴らしい愛を心に留めることができるなら、それこそが福音そのものです。

 アドヴェントの第四週を迎え、今週クリスマスを迎えます。今年は、恐らく世界中の教会で、自粛ムードの中で祝うクリスマスになるのだと思います。大勢の人が集まることが難しい時ですから、どこの教会も今年はクリスマスのお祝いをする機会が大きく減っているはずです。私たちの教会でもそうです。例年行っているクリスマスの集まりをいくつも取りやめました。イブの燭火礼拝も、今年は外部には案内をしませんでした。また、教会の人もみなが集まってくることが難しい状況です。

 ただ、そんな中ですが、私たちはもう一度クリスマスの意味を思い起こしたいのです。最初のクリスマスは、そもそも大勢の人が祝ったわけではなかったのです。クリスマスは歴史の片隅で起こった小さなできごとでしかなかったのです。

 宿にも泊まることのできない若い夫婦が、子どもの出産だというのに、安全に産む場所も見つけられず、生まれた赤ちゃんは飼い葉桶に寝かされたのです。誰の心にも留まらないような、本当に小さなできごとでした。けれども、ここに父なる神の私たちへの愛が満ち溢れているのです。

 「飼い葉桶に寝ておられるみどりご」

 これが、クリスマスのシンボルです。神が、全力で私たちを愛してくださった愛の形がここに示されているのです。

御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。

 毎年、私たちはクリスマスを祝います。けれども、このことに私たちはどれほど思いを向けているのでしょうか。

 エペソ人への手紙では、この神の愛を「人知をはるかに超えたキリストの愛」(3:19)と表現しました。人の知恵では想像なしえない仕方で、神はこの愛を示してくださったのです。

 先週の火曜日の夜、一本の電話がかかってきました。いつも手話通訳をしていてくださるKさんが、倒れて救急にかかったという電話です。いつもそうですが、すぐにみなさんにお祈りをお願いしました。命の危険はないのですが、しばらく入院されることになりました。

 こういう時、みんなで祈ります。今までもそうでしたし、これからもそうです。そういう時に、私たちが神様に祈ることができるのは、私たちの神は、私たちに愛を示してくださるお方だと知っているので、私たちは望みを持って祈ります。祈ることができます。

 神の愛を信じることができるから、そのことを頼りに私たちは祈ることができるのです。ただ、やみくもに祈るのではないのです。神はこれまでに、この教会の方だけでも何度も何度も、多くの人の病を支えて来てくださったのです。

 私たちの神は、御子を私たちのために与えても良いと思うほどに、私たちを愛してくださいました。それは、私たちを神の子どもとするためです。
 「事実、私たちは神の子どもです。」と、この言葉につづく1節には記されています。

 今、私たちは神の子とされているのです。神様は、私たちを神様の子どもとするために、私たちを神の御子であるイエス・キリストと取り換えるという方法を示してくださいました。それが、父なる神が示した愛だったのです。

 神の御子と、私たちを取り換える。どうやってそんなことが可能となったのでしょうか。 (続きを読む…)

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