2025 年 3 月 23 日

・説教 マルコの福音書5章21-34節「長血の女性」

Filed under: 内山光生師,礼拝説教 — susumu @ 07:58

2025.03.15

内山光生

イエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」

序論

 今日の箇所から次回の箇所にかけて、イエス様による二つの奇跡が記されています。そして、この二つの共通のテーマは、「信仰による癒し」となっています。人間の力ではどうすることもできない、そういう病にかかって苦しんでいる人が、「イエス様なら癒すことができる」という信仰によって、癒しがなされていく、そういう場面です。また、これらの奇跡は、病気の癒しだけでなく、魂の救いをもたらすことも強調しています。

 この事は、別の聖書箇所に記されている「神様が一方的に救い出して下さる」との教えと矛盾しているかのように思えるかもしれません。けれども、それは強調する部分が異なっているだけであって、私たちがイエス様を信じるようになるかどうかは、やはり、神様による導き、あるいは聖霊の働きがあるかどうかにかかっている、そういう点では、全く同じだと言えるでしょう。
 

I ヤイロの娘のところへ向かう主イエス(21~24節)

 21~24節から順番に見てきます。

 これらの箇所は、次回に詳しく取り扱いますので、簡単に説明していきたいと思います。

 ヤイロという人物が出てきています。この人は会堂司という立場にあります。ユダヤ人の会堂では安息日ごとに礼拝がささげられていましたが、その礼拝に関する責任を任されていた人です。そのヤイロという人が、イエス様の下にやってきて「死にかけている自分の小さな娘を助けてほしい」とお願いをしたのです。

 その願いに応じるために、イエス様はすぐさま、ヤイロの娘のところに向かわれたのです。ところが、その途中で、大勢の群衆がついてきたのでした。

II 長血の病で苦しんでいた女性(25~26節)

 25~26節に進みます。

 イエス様が、ヤイロの娘のところに行かれる途中で、別の出来事が起こりました。長血をわずらっている女性が出てきています。長血というのは女性特有の病であって、血が止まらなくなるという症状があるようです。これが現代医学において、どういう病なのかは専門家の目から見れば幾つかの候補を挙げることができるかもしれません。でも聖書には、具体的な病名までは記されていませんので、あくまでも「血が止まらなくなる病気」と理解しておけば良いでしょう。

 この女性は、12年という長い期間、病で苦しんでいました。その間、いろいろなお医者さんに診てもらったのですが、しかし、医者代がかかるだけであって、治ることはありませんでした。それどころか、かえって悪い状態となっていたのです。

 今の時代では、少なくとも医療が発達している国々においては、このような事はめったに起こらないのではないかと思うのです。一つの病院で原因が分からなかったとしても、別の病院に行く、あるいは、評判の良いお医者さんの下に行けば、何とか治療をしてもらえる、そういう可能性が高いからです。例外的には、いわゆる難病と呼ばれているものだとか、腫瘍が末期的な状態になっている場合は打つ手が無い場合もありますが、そうでない限りは、何とかなるのが今の医学の現状だと思うのです。

 しかしながら、イエス様の時代においては、この長血という病を治すことができるお医者さんが、ほとんどいなかった、そういう時代だったのだと思われます。この女性は、自分にできる限りの事をやりつくしたのです。多くのお医者さんに治してもらうことを期待したが、もう治療してもらうお金も無なってしまった。こうして、病気による苦しみと経済的な苦しみを味わっていたのです。更には、彼女は堂々と多くの人々の前に行くことができない、そういう立場に立たされていました。

 というのも、旧約聖書の教えによれば、「血を流している者は汚れている」とみなされていて、多くの人々の前に出ていくことが禁止されていたからです。今の時代でも、伝染病にかかった人が強制的に隔離されるように、イエス様の時代においても、血が止まらなくなっている人は、人々との距離を置かなければならなかったのです。 (続きを読む…)

2025 年 3 月 16 日

・説教 マルコの福音書5章1-20節「良い知らせを伝えなさい」

Filed under: 内山光生師,礼拝説教 — susumu @ 00:22

2025.03.15

内山光生

しかし、イエスはお許しにならず、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」

序論

 今日の箇所は、いつもより長めとなっています。よく知られている出来事ですので、「あっ、この箇所か」と思う方が多いのではないかと思います。全体が長いということもあって、あまり細かい所までは見ていくことができないですが、なるべく丁寧に解説していきたいと思います。

I 汚れた霊につかれた男性(1~5節)

 まず1節から5節を見ていきます。

 イエス様と弟子たちは、ガリラヤ湖を渡って反対側の岸、すなわち、東岸にやってきました。到着した場所はゲラサ人の地と呼ばれていました。その地は、いわゆるユダヤ人ではなく異邦人が住んでいる地域でした。それゆえ、今までに経験した事のないような困難やトラブルが起こる事が予想できたのです。

 ゲラサ人の地においてイエス様と弟子たちを待ち受けていたのは、汚れた霊につかれた人でした。イエス様は、以前にガリラヤ地方において、多くの悪霊で苦しんでいる人々を解放してきました。けれども、今回の場合は、今までとは様子が異なっていました。すなわち、すでにイエス様が助けてきた人々よりも、遥かに状態の悪い人と出会ったのです。その汚れた霊につかれた人は、なんと墓場に住みついていたのです。

 どこの国においてもそうなのですが、墓場というのはさみしい場所であって、その周辺にはあまり人が住まないものです。もちろん、住宅街の一角に墓場がある、そういう場所もあります。また、お寺さんの敷地内に墓があったりしますが、一般的には、墓場の中に住みつく人というのは、めったにいないのです。

 どうやら、この汚れた霊につかれた人は、あまりにも狂暴で誰かに危害を加える危険があったと思われます。それで、人々が自分たちの安全を守るために、無理やりその人を墓場に連れてきたようです。そして、彼に足かせと鎖をつなぐ事によって、隔離しようとしていたのです。ところが、この人は、足かせと鎖をひきちぎって、辺りをうろついていたのです。彼は墓場や山で叫び続け、更には、石で自分のからだを傷つけていたのです。

 周辺の町や村に住んでいる人は、この人の事で頭を悩ませていたと思うのです。いや、当の本人も、苦しんでいたのだと思うのです。叫び続けたり、自分のからだを傷つけるというのは、それを見た人は、なんとも複雑な思いにさせられた事でしょう。一部の心優しい人は、かわいそうにと思って、なんとかして助けてやりたいと思ったかもしれない。しかし、どうやって助ければいいか分からない、そういう問題にぶちあたった事でしょう。一方、多くの人々は、気分が悪くなると感じて、目をそらしたり、近寄ろうとしなかったと思うのです。

 多くの人々は、不気味な雰囲気を漂わせている人を見ると、距離を置いてしまうのです。ですから、誰もこの汚れた霊につかれた人を助けようとしないし、それどころか、彼を見ると、皆、逃げていく、そういった情景がイメージできるのではないでしょうか。一方、この汚れた霊につかれた人は、孤独な状態にたたされていて、精神的に非常に辛い思いとなっていた事でしょう。

 私たちというのは、どうしても自分や自分の家族の身の安全を大切にしようとします。それゆえ、乱暴で大きな声を出している人とは関わろうとしない、そういう態度を取ってしまうのです。それは、しかたがないと言えばしかたがない。しかしながら、神様は、どのような酷い状況に立たされている人であっても、その人の存在を決して忘れていない、そこに気づくことができればと思うのです。 (続きを読む…)

2025 年 3 月 9 日

・説教 マルコの福音書4章35-41節「どうして怖がるのですか」

Filed under: 内山光生師,礼拝説教 — susumu @ 10:21

2025.03.09

内山光生

イエスは彼らに言われた。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」

序論

 先月の2月は個人的な事情によって休暇を頂いたので、久しぶりの説教の奉仕となります。まだまだ寒い日が続いていますが、梅の花も咲き始めており春の兆しを感じる事ができるのではないでしょうか。家庭菜園をしている方は、3月上旬前後といえば、じゃがいもを植える時期かと思います。すでに植え付けが終わった方がいるかと思います。私の実家でも2週間程前に、種イモを3キログラム程、植えつけました。家庭で食べる分には十分な収穫が期待できますが、天候が守られ順調に育つように神様にお祈りをしていきたいと思います。

 さて今日から始まる箇所は、前回までとはテーマが異なっています。前回までは、大きなテーマとしてイエス様が「神の国の奥義」について語られていました。そして、今回からはイエス様の行った奇跡を通して「ご自身がどういうお方なのか」を示そうとしています。けれども、どの奇跡も、奇跡そのものに強調点があるのではなく、その奇跡を目撃した人々がどのような反応をしたかがポイントとなっています。

 すなわち、今日の箇所も、単にイエス様がすごい奇跡を行ったという事ではなく、もちろん、すごい奇跡には違いないのですが、ポイントは弟子たちがどういう反応を示したかにあるのです。そのことを通して、今の自分たちの信仰生活にどのように生かしていけばよいかを考えていきましょう。

I 向こう岸へ渡ろうと言われた主イエス(35~36節)

 35~36節に進みます。

 場面は、ガリラヤ湖です。時は夕方と記されています。その日の昼間は、イエス様が群衆を前にして「神の国」についての解き明かしをしていました。そして夕方になった時に、イエス様は弟子たちに対して「向こう岸へ渡ろう」と命じられたのです。

 それに対して弟子たちは、イエス様の言われた事に素直に従ったのです。イエス様の弟子たちの中には、漁師だった人が何人もいました。だから、彼らが自分たちで舟を操作して反対側の岸に移動することは特に難しい事ではなかったのです。

 確かに、夕方になっているので辺りが暗くて前に進むのに苦労するかもしれない事を予期することはできたでしょう。ガリラヤ湖というのは、山に囲まれた地形ということもあって、突然、嵐がやってくる事で知られていました。けれども、プロの漁師たちが舟を漕いでいるので、大丈夫だろうと思っていたのでしょう。というのも、漁師たちは今までの経験から、大きな嵐が来そうだと感じたならば、舟で移動をする前に「イエス様。今は天候が良くないと思います。きっと嵐がやってきますので、舟で移動するのはやめましょう」と言うことができたと思うのです。そういう判断をしていなかった事から考えると、少なくとも、岸から離れる時には「嵐がやってきそうだ」とは思っていなかったのだと推測できるのです。

II 嵐で怯える弟子たち(37~38節)

 37~38節に進みます。

 どれくらい進んだのでしょうか。イエス様と弟子たちが乗っている舟の周辺に、激しい突風が起こったのでした。そして波が襲いかかり舟の中が水でいっぱいになったのでした。繰り返しますが、弟子たちの中には漁師たちがいました。その漁師たちでさえも、恐怖につつまれる程の嵐がやってきたのです。弟子たちは必死になって、舟の中に入ってきた水を外にだそうとしたと思います。また、舟から振り落とされないために必死で何かをつかんでいたかもしれません。一瞬にして、弟子たちとイエス様は命が危険な状態に立たされたのです。

 ところが、イエス様はこの危機的状況の中にあって、舟の端っこで寝ておられたのです。私たち人間の感覚からすれば、このイエス様の姿は、常識ではありえないと言わざるをえないのです。 (続きを読む…)

2025 年 3 月 2 日

・説教 ルカの福音書16章14-18節「神の国の福音に生きる」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 06:41

2025.03.02

鴨下直樹

⇒ 説教音声の再生はこちら

 主イエスは話のとても上手なお方です。今日のルカの福音書のこの箇所にも主イエスのお話の上手さがよく現れていると言えます。

 前回の話、不正な管理人の譬え話をなさったあとで、神に対して忠実に富を用いることをお話しになられました。この話を主イエスは弟子たちに向けてお語りになられたわけですが、その話を聞いていたパリサイ人たちは、この話を嘲笑いながら聞いていました。主イエスの話をあざ笑ったのです。それに対して話されたのが今日の箇所です。ここには、主イエスの話の巧みさがよく出ているとても面白い箇所だと言えると思います。

 パリサイ人たちがこの時、主イエスの話を聞いて、なぜ笑ったのかというとパリサイ人なりの理由があります。それは、申命記28章にも書かれているのですが、イスラエルの民が主の戒めを守り従うなら祝福されるという約束があります。それで、ユダヤ人たちは仕事が成功して富を得るのは神からの祝福のしるしだと考えていました。それなのに、主イエスは「神にも富にも仕えることはできない」と言われたので、それはおかしいと考えたのです。この考え方に関しては、パリサイ人たちは自信を持っていたと思いますし、実感でもあったのだと思うのです。

 富を得られるのは神からの祝福のしるし。パリサイ人たちはそのように考えていたのです。それなのに、主イエスは富のことを「不正の富」と言ったり、「この世の富」と言ったりして、神と富を別々のものとする考え方を示されました。この話を聞いて、パリサイ人たちは主イエスの考え方には同意できない、これは神の考えに反する教えだと考えて嘲笑ったのでした。

 それで、主イエスはお金の好きなパリサイ人たちに対して話されたのが、この14節以下の話です。この時に主イエスが話された言葉、今日の聖書箇所には少しびっくりする言葉が投げかけられています。15節です。途中からお読みします。

神はあなたがたの心をご存知です。人々の間で尊ばれるものは、神の前では忌み嫌われるものなのです。

 ドキッとする言葉です。「人々の間で尊ばれるもの」でイメージするのはなんでしょうか? 今だと野球は新しいシーズンのための準備の期間ですが、大谷選手の話でいつもニュースは持ちきりです。人々の間で尊ばれている大谷選手は、神には忌み嫌われているのか? そんなふうに考えてしまうと、よく分からない言葉とも言えます。

 主イエスはこのように少しドキッとする言葉を発されて、人々が考えるように促しておられるわけです。 (続きを読む…)

2025 年 3 月 1 日

今月の礼拝予定(2025年3月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 00:47

3月2日 降誕後第10主日

主日主題: 福音
聖餐式礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書:ルカの福音書16章14-18節
説教:「神の国の福音に生きる」鴨下直樹牧師

礼拝後:誕生月の祈り、役員会

3月9日 受難節第1主日

主日主題: 平安
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「最初の王サウル」内山のぞみ
聖書:マルコの福音書4章35-41節
説教:「どうして怖がるのですか」内山光生牧師

3月16日 受難節第2主日

主日主題: 福音
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「失敗した王様」河合和世
聖書:マルコの福音書5章1-20節
説教:「良い知らせを伝えなさい」内山光生牧師

礼拝後:聖歌隊練習、礼拝準備会/月間予定確認会

3月23日 受難節第3主日

主日主題: 癒し
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「選ばれたダビデ」鴨下愛
聖書:マルコの福音書5章21-34節
説教:「長血の女性」内山光生牧師

礼拝後:教団三月総会

3月30日 受難節第4主日

主日主題: 信仰
聖餐式礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書:ヨハネの福音書15章16節
説教:「私が牧師になったわけ」鴨下直樹牧師

礼拝後:聖歌隊練習、ゴスペルカフェ

2025 年 2 月 23 日

・説教 ルカの福音書16章1-13節「不正な富の用い方」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 08:12

2025.02.23

鴨下直樹

⇒ 説教音声の再生はこちら

 私ごとから始めて恐縮なのですが、この一週間この聖書箇所にずいぶんと悩まされてきました。手元にある本を何十冊読んだか分かりません。この聖書箇所は難解な箇所としてよく知られているのですが、実に、さまざまな解釈が存在します。同じように読んでいる人は一人もいないと言ってもいいくらい、それぞれが、まるっきり読み方が違うのです。

 聖書朗読をお聞きになられて、皆さんもこれが何を語っている話なのか、すぐには理解できないのではないかと思います。というのは、聞いていて引っかかる箇所がいくつもあるのです。

 ある管理人が「主人の財産を無駄遣いしている」という訴えから話が始まります。この管理人は「不正な管理人」と8節で命名されています。この「不正な管理人」は、「主人のお金の無駄遣い」がバレてしまって、首を宣告されます。ところが、まだ取引先のお客さんは、その管理人が首になったことを知りませんから、証文を安く書き換えてやることで、恩を売って自分が失職した際に家に迎え入れてもらおうと画策したという譬え話を主イエスがなさいました。どうみても、不正のうえにさらに不正を働いているわけですが、主人は、これを知ってこの「不正な管理人を褒めた」というのです。

 皆さんはこの話を聞いて、どう思われるでしょうか? ここに出てくる不正な管理人というのは、不正に不正を重ねて自己保身のために知恵を使った人物です。ここで主イエスが「この人はやがて裁かれるのだ」とか「こういう人の末路は惨めなものだ」と仰ったのであれば理解することもできます。しかしもし本当に主イエスが褒めておられるのだとしたら、真面目に、誠実に生きようとしているのが馬鹿みたいです。そもそも主イエスがこんなことを仰るなんて、きっと何か理由があるはずで、ここで語ろうとされている福音は何なのかが気になって仕方がないのではないでしょうか。

 主イエスのなさる話というのは、いつもそうですが予想のはるか上をいっている感じがします。「主人がほめた」のだとしたら一体何を褒めたのか? あるいは、そもそも褒められているわけだから、この管理人のしたことは実は悪いことではなかったのではないか? と、それらをめぐって実にさまざまな聖書解釈が存在します。 (続きを読む…)

2025 年 2 月 16 日

・説教 ピリピ人への手紙3章5-9 節「クリスチャンになると得をする!」 田中啓介牧師

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 07:55

2025.02.16

田中啓介

2025 年 2 月 9 日

説教:創世記3章13-21節「あなたはなんということをしたのか」野田喜裕牧師

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 09:03

2025.02.09

野田喜裕

2025 年 2 月 2 日

・説教 ルカの福音書15章25-32節「不満が溢れる心に」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 07:45

2025.02.02

鴨下直樹

⇒ 説教音声の再生はこちら


 今日の説教題ですが、予定を変えて「不満が溢れる心に」としました。今日の聖書に出てくる兄息子の心を表した言葉です。

 「不満」。今日はこの言葉を少し考えてみたいと思うのです。というのは、私たちが生活している時、常に私たちはこの「不満」と対峙しながら生活しているからです。ガソリンがまた高くなった。スーパーの野菜が高い。そんな日常の細かな不満をあげればキリがありませんが、そういう物事に対する不満もありますが、「不満」の多くは人に向けられる感情であることが多いと思います。そして、そのような人に向けられる不満の感情の多くは、どこかに表されることなく、心の中に仕舞い込んでいることが多いかもしれません。それを口に出した途端、その人との関係が壊れてしまうこともあるからです。

 今日の聖書に出てくる二人の息子にもそれぞれに、異なる不満があったはずです。ここに出てくる二人の息子には、それぞれに心のうちに秘めた思いがあったはずです。そして、弟息子はある時それを口に出し、行動に移しました。それが、父に向けて言ったことば「お父さん、財産のうち私がいただく分をください」という12節の言葉に表されています。

 そして、「弟息子は、すべてのものをまとめて遠い国に旅立った。」と続く13節に記されています。

 弟息子は、父への不満、家への不満をそのような態度で表しました。しかし、この兄息子の方は、この時に一緒に財産をもらいましたが、弟のように財産を持って旅立つことはせず、父親の元に留まったのです。兄にも家を出るチャンスはあったかもしれませんが、兄は父のもとでそのまま仕事に従事していたわけです。立派な跡取りとしての務めは果たしていると言えます。少なくとも、周りからはそう見えているはずです。けれども、今日の聖書の箇所まで進むと、この時の兄息子の心の中に秘められていた不満が明らかになっています。

 兄が畑でいつものように仕事をしていると、何やら楽しそうな音楽と踊りの音が聞こえてきます。それでしもべに尋ねると、弟息子が帰ってきたので、父親が子牛を屠って盛大な宴会を催しているというのです。この瞬間、兄の心は一気に崩れてしまいます。

 兄には父の思いが理解できません。どうして弟息子を喜んで迎え入れるのか。盛大な宴会を開いているということは、弟息子を喜んで迎え入れたにちがいないのです。兄の心の中がざわつきます。弟に対する怒り、父親への不満が一気に噴出します。「こんな馬鹿らしいことがあるか!」それが、兄息子の心の中の思いです。

 この兄の思いは、誰もが共感する思いでもあります。兄からすれば自分が不当に扱われているような、そんな気持ちになるのも私たちには良く理解できるのです。

 「正直者が馬鹿を見る」という諺があります。それは、この世の中のあり方を表している言葉でもあります。けれども、それは聖書の考え方ではないし、神はそういうことを認めない。そうでなければ何が信仰かという思いが、私たちの中にはどこかにあると思います。

 信仰というものは、心を見てくださる神の御前にあって、誠実に生きること、真実に生きること。そこに神の祝福もあるはずです。私たちはそう考えます。私たちの主は人の心を見られるお方だからです。

 けれども、この聖書を読んでいるとやはり「正直者が馬鹿を見る」という思いが拭えない、そんな思いになるのかもしれません。聖書はここで何を私たちに語ろうとしているのでしょうか? (続きを読む…)

2025 年 2 月 1 日

今月の礼拝予定(2025年2月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 00:20

2月2日 降誕後第6主日

主日主題: 忍耐
聖餐式礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書:ルカの福音書15章25-32節
説教:「不満が溢れる心に」鴨下直樹牧師

礼拝後:誕生月の祈り、役員会

2月9日 降誕後第7主日

主日主題: 信仰
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「ザアカイ」河合和世
聖書:創世記3章13-21節
説教:「あなたはなんということをしたのか」野田喜裕牧師

礼拝後:聖歌隊練習、礼拝準備会/月間予定確認会

2月16日 降誕後第8主日

主日主題: 信頼
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「ギデオン」内山のぞみ
聖書:ピリピ人への手紙3章5-9節
説教:「クリスチャンになると得をする!」田中啓介牧師

2月23日 降誕後第9主日

主日主題: 忠実
聖餐式礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「ルツ」鴨下愛
聖書:ルカの福音書16章1-13節
説教:「不正な富の用い方」鴨下直樹牧師

礼拝後:教会総会

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