2026.02.22
鴨下直樹
私ごとから始めて恐縮なのですが、コロナ禍があってからインターネットの動画配信サービスを見ることが増えました。そうすると、最近の傾向というのが分かってきます。特に「異世界転生もの」と呼ばれる作品がずいぶん増えました。これはゲームなどの影響もあるかもしれませんが、主人公が何かのきっかけで、今の世界とは全く異なる異世界に飛ばされてしまって、そこでモンスターと戦いながら生き延びるという作品です。私は、この系統の作品が好きで時折見ることがあります。けれども、一昔前は違いました。私が子どもの頃の多くの作品は、ヒーローものが圧倒的でした。善と悪との戦いを描くものが多く、最後にヒーローが登場して悪をやっつけるという作品です。こういう作品を見慣れているうちに、私たちはいつの間にか、力は正義であるという思いを植え付けられていきます。
けれども、その力は常に「暴力」を伴うわけです。そして、敵が悪の場合は暴力を振るうことが正当化されるのだと考えてしまうようになります。では、その場合、敵と悪の基準はどうなるのでしょうか? 確かにゲーム作品などのタイトルにあるように “完全超悪” という世界であれば分かりやすいのです。悪が常に破滅と破壊だけを繰り返す、愛の心も優しさもない絶対的な悪であれば滅ぼされても構わないと考えることは容易なのですが、私たちが生きている世界に「完全超悪」「絶対悪」と呼べるものは、全く無いとは言えませんが、そこにもさまざまな思いは有るわけです。
今日の聖書の箇所には主イエスがいよいよ受難に向かう前の、最後の遺言のような言葉が語られています。そこで何を仰っているかというと、「しばらくするとエルサレムは軍隊に囲まれるようになる。そうなったらみんな逃げるように」と勧めておられるわけです。
主イエスが歩んでおられた時代、すでにイスラエルの土地やエルサレムはローマに支配されていました。けれども、この時代は比較的穏やかにユダヤ人たちが生活できるようになっていました。当時のローマはイスラエルの人々に特別な保護を与えていたからです。けれども、その日々は長くは続きませんでした。実際に主イエスがおられた時から約40年後の紀元70年にエルサレムはローマに取り囲まれて、陥落してしまいます。
自分の愛する国が敵国に支配されてしまう時に、主イエスは人々に「正義の名のもとに」あるいは「神の名のもとに戦いなさい!」とは仰らないのです。そうではなくて、「逃げなさい」と語りかけておられます。24節にこうあります。
人々は剣の刃に倒れ、捕虜となって、あらゆる国の人々のところに連れて行かれ、異邦人の時が満ちるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。
この神の都エルサレムは外国人たちに踏み荒らされると仰っているのです。この話を聞いているのはユダヤ人たちですから、心穏やかに聞いてはいられない話だと思います。「こういう時代が間もなく来るから戦争できるように準備をしておきましょう!」と叫べば国民から70%ぐらいの支持率は得られそうな話をしているわけです。けれども、主イエスは「力による平和」「武力による平和」を語られはしないのです。 (続きを読む…)