・説教 マルコの福音書4章21-24節「自分が測るその秤」
2025.01.12
内山光生
2025.01.05
新年礼拝
鴨下直樹
新しい一年を迎えました。今年の年間聖句はこのテサロニケ人への手紙第一 5章21節の御言葉です。
すべてを吟味し、良いものはしっかり保ちなさい。
これは、『ローズンゲン』が定めた年間聖句です。ローズンゲンというのは、ドイツにありますヘルンフート兄弟団という教会が、今から300年ほど前から始めた習慣です。この教会はその日、その日の聖書の御言葉を、くじ引きをして、それをその日の御言葉として生活をしていくという習慣から始まっています。「ローズング」というのは「くじ」という意味です。「ローズンゲン」というのは、その複数形です。ですから、「たくさんのくじ」というような意味になるかもしれません。日本では「日々の聖句」というタイトルで70年ほど前から翻訳、出版されるようになっています。ドイツの教会ではほとんどのクリスチャンが毎日の聖書を、このローズンゲンを通して読んでいます。私が芥見教会に来た時から毎年、年間聖句はこのローズンゲンから紹介させていただいています。
さて、今年の御言葉は私たちにこう語りかけています。
すべてを吟味し、良いものはしっかり保ちなさい。
読んでお分かりになるようにこれは命令形で書かれています。「良いものはしっかり保つように」という命令です。文章の前後関係がこれだけでは分かりませんので、まず「良いもの」というのは何を指しているかを理解することが大切になります。
そう思ってすぐ前の文章を読むと、「御霊を消してはいけません。預言を軽んじてはいけません」という二つの命令が書かれていることに気が付きます。つまり、ここでパウロが言っている「良いもの」というのは「聖霊」のことと「預言」つまり「聖書の御言葉」のことだということが分かります。
誤解しないように言っておくと「預言」と聞くと私たちはすぐに「未来に何が起こるかを告げる言葉」と考えてしまうかもしれません。けれども、これは「神から預かった言葉」がまず第一の意味ですから、パウロの意図からすると「説教」という意味で使っていることになります。礼拝で語られた説教を軽んじないで、聖霊が消えることがないようにということを勧めているわけです。
でも、そのようにして聞いた御言葉を鵜呑みにするのではなくて、その前に「すべてを吟味し」と言っています。「吟味する」というのは「見分ける」ということです。 (続きを読む…)
主日主題: 新年
公同礼拝: 午前11時
聖書:ガラテヤ人への手紙4章8-12節
説教:「パウロの願い」内山光生牧師
主日主題: 年間聖句
聖餐式礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書:テサロニケ人への手紙第一 5章21節
説教:「良いものをしっかり保ち」鴨下直樹牧師
礼拝後:誕生月の祈り、役員会
主日主題: 信仰
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「盲目の人を癒す」内山のぞみ
聖書:マルコの福音書4章21-24節
説教:「自分が測るその秤」内山光生牧師
礼拝後:聖歌隊練習、礼拝準備会/月間予定確認会
主日主題: 喜び
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「幼児を抱く」河合和世
聖書:マルコの福音書4章25-34節
説教:「からし種」内山光生牧師
主日主題: 人生の意味
聖餐式礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「癒された10人」宮崎恵美子
聖書: ルカの福音書15章1-10節
説教:「猫に小判の譬え話」鴨下直樹牧師
2024.12.29
鴨下直樹
今日は今年の最後の礼拝となりました。最後というと、どうしてもこの一年を振り返りたくなります。皆さんにとって、この一年はどんな一年だったでしょうか?
先日のイブ礼拝の時にも少しお話ししたのですが、今年はお正月から能登の地震がありました。また、その後も何度も地震や水害が起こって、被災地域の人々には本当に厳しい一年となりました。ウクライナとロシアの戦争は更に拡大しましたし、イスラエルとハマスの戦争も起こりました。教会でも今年は2名の方が天に召されました。悲しい知らせの多い一年であったと言えます。
そんな中で、今日はMくんの洗礼式をすることができました。天にある、いのちの書に名前が書き記される人が増えるということは、この上もない喜びです。主が一年の最後に私たちに大きな喜びを備えてくださいました。
今日の聖書のみ言葉は次のように書かれています。「一人の罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです。」と10節に記されているように、今、御使いたちの前には大きな喜びが湧き起こっています。そして、私たちも今、大きな喜びの中にあります。
この世界のことを愛しておられる主は、この世界で起こる悲劇的な出来事の数々に心を痛めておられます。しかし、同時に救いに至る人々のことを神の御国では大きな喜びでお祝いしてくださるのです。今日は祝いの日です。教会の暦の中では今週から降誕祭です。主の御降誕を皆で喜んでお祝いする日です。そして、洗礼を受けて神の国の民に加えられたMくんのことを覚えて共にお祝いする日でもあるのです。
今日の聖書は私たちに「救いとは何か」を語ります。救われるというのは、どういうことなのか。そのことが、このルカの福音書には三つの譬え話で記されています。前回は、1節から7節までのところを読みました。ここには見つけ出された羊のことが記されていました。ここで語られている救いというのは、神に見つけ出されることです。ひとつ目の譬え話では、見つけ出されるということは、いのちが救われることだということが記されていました。迷い出た羊が陥っている危機というのは死の危険です。羊が迷い出てしまったままでは、常に死が傍に潜んでいるのです。けれども羊飼いに見つけ出された羊は、死の危険から抜け出すことができます。いのちが贖われること、確かないのちに入れられること、これが聖書の語る救いです。これを聖書は「永遠のいのち」という言葉で紹介しています。救いとは、死の危険から救い出されて、永遠のいのちを頂くことなのです。
今日洗礼を受けたM君もそうです。今日から、M君はたとえ死ぬことがあったとしても、神から永遠のいのちを頂いていますから、死の滅びを味わうことなく、神の御国で永遠に生きる者となったのです。だから、嬉しいのです。お祝いするのです。それが、前回の1節から7節までで語られている救いです。
では、今日の8節から10節には何が書かれているのでしょうか。この譬え話も、迷い出た羊の譬え話と非常に似ている話です。けれども、羊の場合は自分の意思で迷い出てしまうのですが、お金には意思はありません。ドラクマ銀貨10枚のうちの1枚が無くなってしまったというのです。「失われたお金、銀貨」の話です。 (続きを読む…)
2024.12.22
内山光生
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。
クリスマスの時期には、いろいろな観光スポットで、夜になるとイルミネーションが輝いております。私は、毎年、家族と共に三重県の長島にある「なばなの里」のイルミネーションを見に行くことにしています。
そこでは、全体としては、あまりクリスマスというイメージはありません。むしろ、日本人が喜びそうなテーマでLEDのライトが照らされています。今年は、まだ行っていないですが、ホームページによると富士山がテーマだそうです。このテーマは今までにも何度も有りましたので私個人としては、別のテーマの方が良かったと感じるのです。けれども、多くの日本人は富士山が好きだ、そういうことの表れなのかもしれません。
世界中で暗いニュースが多い今のこの時代において、人々は明るい光を求めて、心をリフレッシュしようとしています。
私はイルミネーションが輝いている観光スポットが好きです。ですから、過去20年間を振りかえっても、毎年、必ずどこかのイルミネーションを見に行っています。そして、毎度のようにスマホで写真を撮って思い出として残してきました。
人々が人工的に作り出す光、それは私たちの心を温かくする良い効果があります。元気な気持ちになったり前向きな気持ちとなる、そういう意味では、ある程度評価することができるのです。しかしながら、聖書が示している光は、それよりも遥かにすばらしい光を放っていることに気づいてほしいのです。聖書が放つ光は、私たちに一時的な癒しにとどまらず、永遠のいのちをもたらすからです。
9節に進みます。
この箇所に書かれている「まことの光」は、一体、誰のことを指しているのでしょうか。それはクリスマスの主人公であるイエス・キリストのことに他なりません。
今から2千年以上前に、イエス・キリストはユダヤのベツレヘムという村で、「まことの光」としてお生まれになりました。
そして、羊飼いたちによって礼拝がささげられました。更には、東方の博士たちによって礼拝がささげられました。
ところが、当時のユダヤの人々は、いろんな社会的、政治的事情から、救い主の誕生をお祝いしようとしなかったのです。 (続きを読む…)
2024.12.15
内山光生
良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちのことです。
今日の箇所はいわゆる「種まきのたとえ」の解説が記されています。前回の話を簡単にまとめると、ある人が種を蒔くといろんな場所に種が落ちた、と。例えば、道端や岩地や茨の中、そして、この三つの場所に落ちた種はいずれも実を結ぶことができなかった。しかし、良い地に落ちた種は、多くの実を結んだ、と。
言っている内容自体は、少なくとも当時の人々にとってはイメージしやすく簡単な話に思えるのですが、しかし、その本当の意味については、誰も理解することができなかったのでした。なんとイエス様の弟子たちでさえも、このたとえの意味が分からなかったのです。
それで今日の箇所においては、イエス様がたとえの意味を解説していくのです。
最初にお伝えしておきますが、イエス様の解説を読んではっきりと意味が分かった時に、ある人々はまるで自分の事を指摘されているのではないか、と感じるかもしれません。しかし、その時、「自分が責められている」と感じてしまって信仰が揺れ動くとすると、それはイエス様が願っている事とは正反対のことになってしまいます。
ですから、私たちは聖書の教えをネガティブに受け取るのではなく、むしろ、自分自身の信仰が成長できるようにポジティブに受け止めていくことができればと願います。
では10~12節から順番に見ていきます。
前回までの場面では、大勢の群衆が集まってイエス様の福音に耳を傾けていた場面です。その後、群衆がいなくなりましたが、イエス様の12弟子に加えて幾人かが残っていたようです。そしてその場にいた人々がイエス様に向かって「種まきのたとえは、どういう意味なのかですか」と尋ねたのでした。
11節でイエス様は彼らの質問に答えていきました。どうやら今イエス様の目の前にいる人々や弟子たちには「神の国の奥義」が明らかにされているということ、一方、外の人たち、つまり、群衆にはその奥義が明らかにされていないと言うのです。それで、群衆に対してはすべてがたとえで語られているのだ、と。
どうやらイエス様がたとえを用いて「神の国」について語っているのは、根本的には人々が理解しやすいからという理由ではないようです。そういう事ではなく、「人々が見るには見るが知ることがなく、また、聞くには聞くが悟ることができない、そして、彼らが立ち返って赦されることがないためだ」というのです。
どういう事でしょうか。イエス様が語られたたとえというのは、イエス様に心を開こうとしていたり、あるいは、イエス様に対する信仰がある人にとっては、その本当の意味を悟ることができる、そういう性質があります。けれども、イエス様に対して心を開いていない人にとっては、そのたとえの解説を聞いたとしても、決して悟ることがない、というのです。
このことは、イエス様のたとえというのは、イエス様に心を開いている人とそうでない人が明らかにされていく、そういう事が起こる事を意味しています。 (続きを読む…)
2024.12.08
内山光生
そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」
イエス・キリストが人々に向かって福音を伝える際に、しばしば「たとえ」が用いられました。たとえによって語るメリットは、人々が自分たちの実際の生活と結びつけて考える事ができることです。また、語られた内容が心に残りやすいという点にあります。少なくともイエス様の時代に生きていた人々にとっては、イエス様が語るたとえを聞いて「あ~、これはそういう場面に違いない、あの話題ならばよく分かる」とうなずくことができたのです。
一方、21世紀の時代に生きている私たちは、当時の習慣や考え方がなんであったのかをよく理解しないと、イエス様が語ろうとしていた本当の意味がなんであるかが分からなくなるのです。ですから説教を準備する人々は、まず最初に、当時の人々がイエス様のメッセージをどのように受け止めたのかを理解するために色々と調べたりするのです。そして、その上で現代の人々に当てはめると、どのような意味になるのかを考えていくのです。
確かに、イエス様はたとえで語られる事が多かったです。けれども、このマルコ4章に記されているたとえは、別のたとえと比べると、ある特徴が備わっているのです。それは次回の箇所で取り扱うことになりますが、「たとえの解説」が記されている、ということです。解説付きのたとえ、そういう点において、このいわゆる「種まきのたとえ」は他のたとえと異なっているのです。
さて、今日の説教題は「聞く耳のある者」とさせて頂きました。4章3節で「よく聞きなさい」と書かれていて、更には9節で「聞く耳のある者は聞きなさい」と記されています。つまり、この1節から9節は全体として「聞くこと」が大きなテーマとなっています。そこで、「聞くこと」がどういうことを示しているのかを考えていきたいと思います。
では1~2節から見ていきます。
場面は湖のほとり、すなわち、ガリラヤ湖のほとりです。そこには多くの群衆が集まっていたのでイエス様は、舟に乗って腰を下ろしました。一方、群衆は陸地の方にいました。つまり、イエス様が舟に乗っていて、群衆は陸にいる、そういうスタイルでみことばが語られたのです。 (続きを読む…)
主日主題: 主の羊
聖餐式礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書:ルカの福音書15章1-7節
説教:「見つけ出された羊」鴨下直樹牧師
礼拝後:誕生月の祈り
主日主題: 待望
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「マリアの賛歌」可児宏子
聖書:マルコの福音書4章1-9節
説教:「聞く耳のある者」内山光生牧師
礼拝後:聖歌隊練習
主日主題: 望み
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「救い主の誕生」河合和世
聖書:マルコの福音書4章10-20節
説教:「良い地に蒔かれた者」内山光生牧師
礼拝後:月間予定確認会
主日主題: 喜び
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「羊飼いとみ使い」内山のぞみ
聖書:ヨハネの福音書1章9-14節
説教:「神の子どもとなる特権」内山光生牧師
礼拝後:クリスマス祝会
主日主題: 降誕
公同礼拝: 午後7時
聖書: イザヤ書60章1-2節
説教:「あなたの光が来る!」鴨下直樹牧師
主日主題: 再発見
聖餐式礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「マリヤとマルタ」河合和世
聖書: ルカの福音書15章8-10節
説教:「再発見する喜び!」鴨下直樹牧師
礼拝後:愛餐会
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