2026.03.15
内山光生
イエスは腰を下ろすと、十二人を呼んで言われた。「だれでも先頭に立ちたいと思う者は、皆の後になり、皆に仕える者になりなさい。」
マルコ9章35節
序論
今、キリスト教の暦では、受難節となっています。それゆえ、一年のうちでイエス様の十字架の苦しみについての説教を聞く機会が最も多い時期だと言えるのです。そして、今、私たちはマルコの福音書から学んでいて、イエス様の受難の予告がより具体的な内容となってきている場面です。
そういう中にあって、主イエスは弟子たちに大切な事を教えられたのです。すなわち、今日のテーマは「皆に仕える者になりなさい」です。
今日の箇所を順番に見てきたいと思います。
I 受難予告の意味が理解できなかった弟子たち(30~32節)
30~32節を見ていきます。
イエス様と弟子たちは、ガリラヤ地方を通って、宣教の活動拠点であるカペナウムという町に向かっていました。今までは、イエス様は多くの群衆に福音を伝えることに積極的でしたが、今は「人に知られたくない」との思いが出てきていたのです。どうしてでしょうか。その理由は31節に書かれています。
イエス様はすでに弟子たちに対して、ご自身が殺されるという事を予告していました。けれども、弟子たちの誰もがその内容を理解できていませんでした。まして、群衆に向かって声を大にして伝えたところで、理解されないどころか、誤解を招く危険がありました。それで、主イエスは、今は「人に知られたくない」と思っていたのでした。
イエス様は、すでに弟子たちに対してご自身の受難について伝えていましたが、マルコの福音書ではもう一度、その内容が繰り返さています。「人の子は人々の手に引き渡され、殺される。」と。ここで「引き渡され」との表現が出てきています。この表現はこれから先のキーワードどなっていきます。そして、引き渡される事に関して、3つのステップがあることがほのめかされています。
1つ目のステップは、ユダによって祭司長たちに引き渡される事です。2つ目のステップは、ユダヤ人議会によってピラトの手に引き渡される事です。3つ目はピラトからローマの兵士たちの手に引き渡される事です。そして、最終的には十字架の上で殺されるのです。
ただ、イエス様が受難の予告をする時は、必ず「三日後によみがえる」と、復活する事実をきちんと伝えているのです。その事を知っている私たちは、最終的には喜びがおとずれる事を知っているがゆえに、絶望する気持ちにはなりにくいのです。けれども、弟子たちは、イエス様が間もなく死ぬことすら受け止めることができずに、当然、復活なんて、全く想像すらできなかったのです。それゆえ、彼らは「殺される」とのことばを聞いた時に、「もうその話は聞きたくない」という思いが出てきたり、あるいは、「イエス様が殺されるはずがない」と考えたりして、イエス様の言っている事が本当の事だと受け止めることができなかったのです。 続きを読む ・説教 マルコの福音書9章30-37節「皆に仕える者になりなさい」


