2026.02.15
内山光生
そのとき、雲がわき起こって彼らをおおい、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。彼の言うことを聞け。」
マルコ9章7節
序論
神の子であるイエス・キリストが地上世界に遣わされた目的は、十字架の贖いによって私たちの罪を赦すためでした。先週の箇所には、「神の国が力をもって到来している」ことを人々が見るようになるとありましたが、それは、イエス様がよみがえる事によって実現していくのです。
つまり、主イエスの弟子たちは、主イエスを裏切るユダを除いては、皆、よみがえりの主イエスに出会うのです。その結果、神の国がどういうものなのかを味わうようになるのです。しかし、その前の段階において、主イエスは三人の弟子、すなわちペテロ、ヤコブ、ヨハネだけに、短い時間ですが、ご自身の栄光の姿をお見せになったのです。
今日の箇所は、イエス様がどういうお方なのかを、三人の弟子たちに対して目に見える形で示された場面です。もちろん、私たちは聖書に記されている事でしか、この場面を知ることはできません。けれども、心の中で、もし自分がこの場面にいたとしたら、どういう気持ちになったのだろうかと思い描きながら読み進めていきましょう。
I 山上での変貌~ペテロ・ヤコブ・ヨハネの前で~(2~3節)
では2節から順番に見ていきます。
「それから、六日目に」とあります。それは、前回の箇所でイエス様が弟子たちに「神の国が力をもって到来しているのを見るまで、決して死を味わわない人たちがいます。」と宣言した時から数えて六日目を指しています。このことは、イエス様が言われたこの言葉と今日の箇所の出来事にはつながりがあることを示しています。
主イエスはペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山に登ったのです。この山は、恐らく、ヘルモン山だと考えられていて、海抜2800メートル程の高さの山です。これ程の高さの山となると、頂上までたどり着くまでにはかなりの体力を必要とします。今の時代は、高い山となれば登山をする人が大勢いますので、山登りの道中で誰かとすれ違うと思うのですが、イエス様の時代は、何らかの理由がなければ、高い山に登る人はいなかったと思うのです。しかし、イエス様は、しばしば、一人で祈りに専念する時に山に登られたように、イエス様にとっての山と言えば父なる神との交わりを持つ場所だったと言えるのです。 (続きを読む…)
