2024 年 9 月 22 日

・説教 マルコの福音書3章13-19節「十二使徒を任命」

Filed under: 内山光生師,礼拝説教 — susumu @ 06:27

2024.9.22

内山光生


序論

 今日の箇所は、前回の箇所から舞台が変わります。すなわち、イエス様たちが一旦、群衆たちから離れ、山の上で起こった出来事が記されています。13節から順番に見ていきましょう。

I 山に登られた主イエス(13節)

 13節には、「イエスが山に登り」とあります。マルコの福音書では省略されていますが、別の福音書では、イエス様がお一人で山に登って祈られたことが記されています。福音書では、何度も、イエス様やその弟子たちが山に登る場面がありますが、多くの場合、何らかの意味があって山に登っているのです。

 ではイエス様は何を祈られたのでしょうか。それは、イエス様について来ている人々がたくさんいる中から、ついに12人を選ぶ時がやってきたので、誰を選べば良いかについて、父なる神のみこころを探り求めるために祈りをささげられたのです。

 多くのクリスチャンは、イエス様が重大な決断をされる時に、深い祈りをささげられたことを見習って、同じように、自分たちに重大な決断が迫られた時に、みこころが示されるようにと祈りをささげるのです。いつも、そのような深い祈りをささげる訳ではないが、人生の岐路に立たされるような、例えば、進学先だとか、就職先だとか、結婚相手を決める時などは、多くの人が、いつも以上に神に深い祈りをささげるのではないでしょうか。

 時には、自分の願っている通りにはならない、そんな苦しみを味わいながらも、しかし、最終的には、神様が示されたた道をしっかりと受け止めるようになる、そんな事を人生の内で何度も何度も味わうのです。そして、そのような経験を通して私たちは、神様への信頼が深まっていくのです。

 さて、多くの人々は、組織の中の重要な人物を選ぶ際に、優秀な人なのかどうか? 人格的に優れているかどうか? 誠実かどうか? 信頼できるかどうか? 等を基準に考えるのではないでしょうか。もちろん、そのような選び方が間違っているとは言えません。ところが、イエス様が十二使徒を選ばれた基準は、人間の感覚とは異なっていたのです。

 すなわち、16節以降に記されている十二使徒は、その時代において、特別、優秀な人物だった訳ではないのです。また、人々から尊敬されていたという訳でもありません。家柄が良いとか、人格的にすばらしいという事でもなかったのです。  (続きを読む…)

2024 年 9 月 15 日

・説教 マルコの福音書3章7-12節「汚れた霊どもを戒める」

Filed under: 内山光生師,礼拝説教 — susumu @ 06:21

2024.9.15

内山光生


序論

 8月末から9月上旬にかけて、全国各地のお店でお米が不足している状態となっていました。マスコミの報道が影響したのでしょうか。ますますお米がお店からなくなっていったのでした。政府は国全体では在庫が足りている。また、新米の入荷が始まるのですぐに問題は解消すると言っていました。そしてその通りに、今となっては新米がどんどん入荷してきて米不足は収束を迎えたようです。ただ、値段が例年よりも高くなっているとのことです。

 余談ですが、9月上旬に私の実家でも、米の収穫を終えました。私も少し手伝いをしに行きましたが、例年になく苦労をしました。というのも、肥料を多くやりすぎたせいでしょうか、稲穂が倒れてしまったのです。そうなると、米を刈り取るコンバインがうまく作動せずに、何度も機械のメンテナンスをしながらの作業となるのです。

 そんな訳で通常2日で終わる作業が2倍の4日かかってしまいました。けれども、なんとか収穫できた事に感謝を覚えます。私の父が後何年、米作りができるかは分かりませんが、今まで、神様が守り導いて下さったことに感謝をいたします。

I 様々な地域の人々が主イエスの元に来る(7~8)

 7~8節から順番に見ていきます。

 前回の箇所では、イエス様が安息日に「片手のなえた人」を癒した出来事が記されていました。そして、イエス様に敵対している人々、つまり、パリサイ人たちが「イエス様を殺害する計画をし始めた」と記されていました。

 それまでイエス様は、町々の会堂、すなわち、シナゴーグにおいて、安息日ごとに聖書の解き明かしをするという方法で福音を宣べ伝えていました。けれども、パリサイ人たちの敵対心が大きくなった事を受けて、イエス様たちは、町から離れガリラヤ湖の方に向かったのです。

 あのパリサイ人たちは、当時のユダヤ世界では、宗教的に最も権威のある立場でした。そして、イエス様に対してあからさまに敵意をむき出しにしていました。それを見ていたイエス様の弟子たちや群衆は、どちらが正しいと思ったのでしょうか。

 言うまでもなく、イエス様の弟子たちはイエス様の言っていることが正しいと受け止めていました。それに加えて、大勢の群衆たちも、イエス様の言っていることが正しいと受け止めたのです。その証拠として、イエス様たちが町から出て行っても、イエス様が向かう所について行ったのです。

 もしもパリサイ人たちの言っている方が正しいと受け止めていたならば、どうしてイエス様たちについて行くでしょうか。人々がイエス様について行ったのは、安息日に「善いことをする」のが当然だと受け止めたからです。また、安息日に「いのちを救うこと」が正しいと確信していたからです。

 確かに、パリサイ人たちや律法学者たちは、旧約聖書に預言されている救い主に関する知識を持っていました。、しかし、目の前に救い主が現れているにも関わらず、そのお方が誰なのかに気づけなかったのです。反対に、旧約聖書の知識をそれほど持っていない群衆たちは、イエス様の言葉や行いを見て、この方について行きたいとの思いが出てきて、その気持ちを行動に移し、イエス様たちについて行ったのです。 (続きを読む…)

2024 年 9 月 8 日

・説教 マルコの福音書3章1-6節「善か悪か」

Filed under: 内山光生師,礼拝説教 — susumu @ 09:29

2024.9.8

内山光生


序論

 前回の箇所は安息日に関することがテーマとなっていました。すなわち、イエス様の弟子たちが安息日に麦の穂を摘んだことが律法に違反するのか、しないのか、が問われていました。それに対して、イエス様は「安息日は人のために設けられた」と答えました。更には、「人の子は安息日にも主です。」と宣言したのです。これらの言葉は、パリサイ人たちから反発をまねく内容でした。

 とはいえパリサイ人たちは、すぐに反論してきた訳ではありません。ただ、彼らの心の中が怒りの感情で支配されていて、チャンスがあれば主イエスを訴えようという気持ちが出てきていたのです。

 今日の箇所は、前回の内容とつながりがあることを理解しながら順番にみていきましょう。

I 主イエスを訴えようとする人々(1~2)

 1~2節に進みます。

 主イエスは安息日ごとに、どこかの会堂に行って聖書の解き明かしをしていました。1節に記されている会堂がどこの町にあったのかは、はっきりとは分かりません。可能性としてはカペナウムだったかもしれません。あるいは別の町だったかもしれません。

 そこでイエス様は、病人を癒すことが目的で会堂に入った訳ではありません。でも、そこには「片手の萎えた人」がいたのです。この片手の萎えた人は、恐らく、イエス様の評判を聞いていて、自分の手を治してもらえるかもしれないと期待していたのだと思われます。

 イエス様は苦しんでいる人々に愛の御手を差し伸べるお方です。そういうことを知っていたパリサイ人たちは、主イエスが安息日にこの片手の萎えた人を治すかどうかをじっと見ていたのです。彼らは、主イエスが安息日にしてはならないことをするかどうかを見極めようとしていたのです。つまり、もし主イエスが、片手の萎えた人を治すならば、すぐにでも「あなたは安息日にしてはならないことをしている」と訴えようとしていたのです。

 誰かに対して初めから悪い感情を持っていたり、偏見があるならば、その人からどのようなメッセージを聞いたとしても、心に届かない、そういうものです。パリサイ人たちは、すでにイエス様の言われた言葉に対して疑問を抱いていました。というのも、イエス様の安息日に対する考え方と自分たちの考え方に大きな違いがあったからです。

 パリサイ人たちは、自分たちは先祖から伝えられた教えを忠実に守っていて正しい考え方をしていると確信していました。

 例えば、「安息日は働いてはいけない」「収穫作業をしてはいけない」、「病人を治療することも禁止されている」と理解していました。一方、イエス様は、弟子たちがお腹をすかして安息日に麦の穂を摘んだ時に、弟子たちは間違った事をしていないと考えていました。また、安息日であっても病人を治しても良いと考えていました。 (続きを読む…)

2024 年 8 月 18 日

・説教 マルコの福音書2章23-28節「人の子は安息日にも主です」

Filed under: 内山光生師,礼拝説教 — susumu @ 09:24

2024.8.18

内山光生


序論

 我が家では、毎年、夏になると私の実家の三重県桑名にあります「多度滝」に泳ぎに行くのが恒例となっています。そして先週、実家に行く次いでに泳いできました。

 そこは川がせき止められて泳げるようになっていて、「天然プール」と呼ばれています。、プールと言っても深さがせいぜい80センチ程度で、どちらかというと小学生、あるいは幼稚園児・保育園児にちょうど良い深さとなっています。

 その天然プールの特徴は、水温が低いという事です。だいたい20度くらいの水温でしょうか。最初、水につかる時、とても冷たいと感じるのですが、しばらくすると心地よい感じとなっていくのです。だから、猛暑と呼ばれるここ数年、ますます、利用客が増えているようです。ちなみに、入場料は無料ですが、駐車場代が1000円かかります。

 芥見からは2時間近くかかるので遠いと思いますが、もしも三重県方面に行くことがあれば、ぜひ、お出かけください。

I 主イエスの弟子たちの行動を非難するパリサイ人(23~24節)

 では23~24節から見ていきます。

 23節で、イエス様の弟子たちが麦畑で麦の穂を摘んでいました。しかしながら、その日は安息日だったのです。当時のイスラエルでは、他人の畑であっても、道具を使わなければ、たとえば鎌などを用いなければ、多少の麦ならば摘んでも良いとされていました。それは、貧しい人を助けるという教えがイスラエル全体に広まっていたからです。

 ですから、弟子たちは他人の麦畑で麦の穂を摘んでいましたが、それ自体は悪いことをしている訳ではありませんでした。問題なのは、「安息日に仕事をしてはならない」という教えをどのように理解しているかでした。

 パリサイ人たちは、イエスという人物が律法の解き明かしをしていて、人々から良い評判を得ていることにいらだっていました。おそらく、同じ宗教家としての嫉妬心がでてきたのでしょう。そして、イエス様の行動に何か問題を見つけ出して、文句を言ってやろうと思っていたのです。ところが、イエス様の行動には、なかなか落ち度を見出すことができません。それで、イエス様の弟子たちの行動に目をつけたのです。

 推測ですが、イエス様の弟子たちが安息日に麦の穂を摘んでいたのは、今回が初めてではなく、何度も何度も繰り返していたと思うのです。そして、すでにパリサイ人たちは、そのことを知っていたのでしょう。それで、彼らは安息日に主イエスの弟子たちが麦の穂を摘んでいるのを見つけるや否や、イエス様に対して文句を言ったのです。

 「なぜ彼らは安息日にしてはならないことをするのですか。」と。

 当時のパリサイ人たちは、旧約聖書の教えだけでなく、彼ら独自のルールを作っていました。そして、安息日に具体的に何をしてはならないかを決めていました。ですから、彼らにとっては、安息日に麦の収穫をすることは禁止事項であり、大いに問題があると理解していたのです。一方、イエス様の弟子たちは、安息日であっても、お腹がすきます。だから、手で麦の穂を摘む程度ならば、ルール違反ではないと考えていたのでしょう。もしも、その行動がルール違反と分かっていたならば、弟子たちは安息日に麦の穂を摘まなかったと思うのです。つまり、弟子たちは悪いことをしているという意識がなかった一方、パリサイ人たちにとっては、明らかにルール違反であり、両者の考えが対立していたのです。

 そこでイエス様はパリサイ人たちの文句に対して反論していきます。  (続きを読む…)

2024 年 8 月 11 日

・説教 マルコの福音書2章18-22節「新しい皮袋に」

Filed under: 内山光生師,礼拝説教 — susumu @ 00:56

2024.8.11

内山光生


序論

 7月末から8月1日(木)にかけて、私たち家族は大阪に行きました。一番の目的はUSJに行くことでした。当初から、夏は暑いので覚悟が必要だと思っていましたが、やはり暑かったです。例えば、アトラクションで順番待ちをしている時は、まさに我慢大会のような苦しさがありました。一緒に並んでいる人の顔色を見ると、たいていの人が疲れ果てた雰囲気を醸し出していて、それを見ると更に疲れが出てくるのでした。しかしそれでも、順番がまわってくると、その暑さがいっきにふきとび、思う存分、楽しむことができました。

 いわゆるインバウンドで、大阪の道頓堀周辺は外国人観光客でにぎわっていました。昔、20代の頃、道頓堀を散策した事がありましたが、これほどまでに多くの人が集まっているのは初めての体験でした。

 普段、芥見周辺で過ごしている私にとっては、かなり刺激のある夏季休暇となりました。

I 断食についての質問(18節)

 18節から順番に見ていきます。

 旧約聖書の時代では、しばしばイスラエルの民は断食をしていました。なんのために断食をしたのかというと、「贖罪の日」とよばれている日に、罪を悔い改める行為として、民全体で断食を行ったのです。

 また、イエス様の生きている時代においては、それ以外に、パリサイ人たちや宗教熱心な人々は、週に二度、月曜日と木曜日に断食を行っていました。

 さらにまた、バプテスマのヨハネやその弟子たちは、神のさばきを免れるために断食をして神に祈っていたのです。

 断食をすることは、決して悪いことではありません。しかし、何の目的で断食をするのか、そこはよく考えた方が良いと思うのです。

 バプテスマのヨハネやその弟子たちは、決して、イエス様に敵対している立場ではありませんでした。けれども、イエス様とその弟子たちが取税人たちと一緒に飲み食いしているのを知って、疑問に感じたのです。

 バプテスマのヨハネやその弟子たちは、自分たちが、一生懸命断食をしながら罪のさばきから逃れるために神に祈りをささげていました。一方、イエス様とその弟子たちは、自分たちの行いとは正反対の事をしていました。果たして、イエスというお方は、本当に救い主なのだろうか。そのような疑問が出てきたのです。

 また、イスラエルの人々は、パリサイ人と呼ばれる律法の指導者たちから、週に二度、断食するようにと言われていました。そして、実際にパリサイ人たちは忠実に断食をしていたのです。

 見た目だけで判断すれば、バプテスマのヨハネやその弟子たちやパリサイ人たちの方が、明らかに宗教熱心だと言えるでしょう。

 イエス様の良い評判は、かなり広い地域まで広まっていました。しかし、イエス様とその弟子たちの行動を見て、疑問に思う人たちが現れ、イエス様に直接質問したのです。

 「なぜあなたの弟子たちは断食をしないのですか。」 (続きを読む…)

2024 年 7 月 21 日

・説教 マルコの福音書2章13-17節「医者を必要とするのは病人」

Filed under: 内山光生師,礼拝説教 — susumu @ 07:38

2024.7.21

内山光生


序論

 昨日行われた子ども食堂は、97名の参加がありました。毎回、たくさんの方々が芥見教会の子ども食堂に来てくださっていることを神様に感謝いたします。

 子ども食堂では、毎回、メニューが違っていて、よく工夫されているのが分かります。準備をして下さっているボランティアの方々に感謝をいたします。

 小学・中学・高校といよいよ夏休みに入ったと思います。今週は、猛暑日が続くと予報されているので、外で遊ぶよりも室内のクーラーのきいた部屋で過ごすのが良いかもしれません。夏バテにならないよう私も気をつけたいと思います。では今日の箇所を見ていきましょう。

I 召しに応じたレビ(13~14節)

 13~14節を見ていきます。

 この前の箇所は、イエス様がカペナウムの家で中風の人を癒した出来事が記されていました。そして今日の箇所13節では、イエス様はカペナウムの町を出てガリラヤ湖のほとりへ向かった事が記されています。

 イエス様の評判はガリラヤ地方全体に広められていました。それで、群衆がイエス様のもとに集まってきたのです。そして、イエス様は群衆に福音を宣べ伝えたのです。

 14節に移りますと、恐らくカペナウムから割と近い場所と思いますが、イエス様は、レビという取税人が座っているのを見つけました。レビとは、あの12弟子の一人、マタイの事を指しています。恐らく元々の名前がレビであって、弟子になった時、マタイという名前が与えられたのでしょう。

 レビすなわちマタイは、取税人という仕事をしている人です。ですから、最初の弟子に選ばれたペテロたちとは違って、人々から嫌われていた職業の人だったのです。

 取税人は、ローマ帝国の手下となって同じユダヤ人であるにもかかわらず、同胞のユダヤ人から法外な税金を取りたてていました。ですから、今で言う税務署とは、やっている事が異なっていたのです。当時の取税人は、例えば、本来1万円の税金を集めればよかったところを、その何倍も、つまり、2万円とか3万円を集めていたと言われています。そして、1万円だけをローマに収め、残りを自分のふところに入れていたのです。

 こんなおかしな事が、どうして許されるの? と疑問に思うかもしれません。しかし、当時のローマ帝国は、自分たちにきちんと税金を収めてくれれば、余分に税金を集めていようが見て見ぬふりをしていたのです。

 当時の多くのユダヤ人たちは、取税人を嫌っていました。そして、彼らと仲良くすることはありませんでした。

 にもかかわらず、イエス様は取税人レビに声をかけたのです。「わたしについて来なさい」と。ここに人間の感覚と神様の決断とに大きな違いがあるのです。

 ある人々は、イエス様の弟子となって福音を伝える働きをするのならば、人々から信頼されている仕事についている人がいいに違いないと思うかもしれません。確かに、そういう場合もあると思うのです。しかし、神様が誰を招くかに関しては、私たちの常識や感覚とは異なっているのです。

 レビは、すでにイエス様の評判を聞いていたと思うのです。もしかしたら、直接、イエス様の話を遠くから聞いていたかもしれません。あるいは、間接的だけれども、誰かから良いうわさを聞いていたかもしれません。しかし、そんなお方が自分に声をかけて下さるなんて、驚くべき事であったに違いありません。 (続きを読む…)

2024 年 7 月 14 日

・説教 マルコの福音書2章1-12節「罪を赦す権威」

Filed under: 内山光生師,礼拝説教 — susumu @ 06:37

2024.7.14

内山光生


序論

 最近、蝉の声がよく聞こえてくるようになりました。すでに何度か、真夏日となった日がありますが、もうすぐ梅雨が明けて、いよいよ夏本番を迎えようとしています。

 私は4月から芥見教会で奉仕をさせて頂いていますが、あっという間に4か月目となっていることに驚きを覚えます。この調子だと、すぐに1年が過ぎ去るのではないかと感じるのです。

 では順番に聖書を見ていきましょう。

I 中風の人が運ばれてくる(1~3)

 1~3節を見ていきます。

 前回の箇所は、ツァラアトに冒されていた人がイエス様によって癒された出来事が記されていました。それから数日経ってイエス様はカペナウムに戻ってきました。

 カペナウムの町の人々は、イエス様の評判を聞いていたものの、まだ、直接イエス様に会っていない人々が大勢いたと思われます。あるいは、もう一度、イエス様に会いたいと思っていた人もいたと思うのです。それで、イエス様が滞在している家に、多くの人々が押し寄せたのです。

 イエス様が滞在している家の中には、大勢の人が集まりました。更には、戸口のところまでびっしりと人で隙間がないほどになりました。そして、イエス様は、人々に向かって福音を宣べ伝えたのです。

 イエス様が地上世界に遣わされた目的は、あくまでも人々に福音を伝えることです。とはいえ、病で苦しんでいる人を癒したり、悪霊によって苦しんでいる人を解放したりして、助けが必要な人々に対して愛の御手を差し伸べました。

 この時も、イエス様は福音を伝えていたのですが、中風の人が連れてこられたと記されています。中風とは、現代の医学において、恐らく、脳卒中のような病だと考えられます。今の時代においても、脳卒中になると、後遺症が残って、身体の一部分が不自由になることがあります。そうなると、一人で生きていくことが難しくて、誰かの助けによって生活が成り立つのです。

 ここで登場してくる「中風の人」も、自力ではイエス様の元に歩いていくことができない人でした。それで、この人の家族あるいは仲間など四人の人の助けによって、イエス様に治してもらおうとやってきたのです。この姿を通して、この中風の人が周りの人々からどれ程大切にされていたかを垣間見ることができるのではないでしょうか。身体の不自由な人をなんとかして助けたい、その一心で、イエス様が戻ったとの情報が入るや否や、イエス様の元にやってきたのでしょう。 (続きを読む…)

2024 年 6 月 23 日

・説教 マルコの福音書1章40-45節「病のいやし」

Filed under: 内山光生師,礼拝説教 — susumu @ 06:59

2024.6.23

内山光生

序論

 今日の箇所には「病」、つまり「ツァラアトに冒された人」が癒された出来事が記されています。ツァラアトは、以前の翻訳では「らい病」となっていました。しかしながら、聖書の研究が進むにつれて「旧約聖書に記されているらい病は現代医学のらい病と同じではない」ことが分かってきました。

 旧約聖書では、「らい病」は様々な種類の皮膚病のことを指す時に用いられています。そこには幅広い病が含まれています。一方、現代医学のらい病は極めて限定された特定の感染症なのです。

 特に日本においては、以前は、らい病患者に対する差別や偏見があった事から、(現在は法律が改正されたので良い方向に進んでいますが、、、)誤解を与えないためにも「らい病」という言葉を使うのをやめた方が良いとの考えで、新改訳2017版では「ツァラアト」あるいは「ツァラアトに冒された人」と訳されています。別の翻訳では「重い皮膚病」と訳されている事もあります。

 何れにせよ、聖書に出てくる「ツァラアトに冒された人」が、大変みじめな人生を送っていたことは確かなことです。それは、単に病による肉体的苦しみだけでなく、社会的に隔離生活を強いられなければいけないという、精神的苦しみが伴ったからです。

 当時は、ツァラアトに冒されたならば、その人は、一般の人々の前に出て来ることが禁止されていました。恐らく、伴侶や親兄弟とも距離を置かざるを得なかった事でしょう。そのような悲惨な状況が変えられた人の話が今日の箇所に記されています。
 

I ツァラアトの人を癒された主イエス(40~42 )

 では今日の聖書箇所の40~42節から見ていきます。

 先ほど説明したように、当時のユダヤ社会では、ツァラアトに冒された人は隔離された生活をしなければなりませんでした。それゆえ、一般の人が大勢いるような場所に行ってはならなかったのです。

 そのことを考えると、このツァラアトに冒された人は、恐らく、イエス様に近づくためのタイミングを見計らっていたのではないかと思うのです。もしも誰かに「あの人はツァラアトに冒された人だ」と指をさされたら、その場にいることができなくなります。そうならないために、この人はイエス様の周りに人が少なくなった時を見極めて、そのチャンスを生かしてイエス様にお願いしたのではないかと思うのです。

 ツァラアトに冒された人は言います。「お心一つで、私をきよくすることがおできになります。」と。この人は、自分が重い皮膚病だという事、そして、他人が自分に触ると病がうつることを自覚していたのでしょう。だからイエス様に病気をうつさないために「お心一つで」と言ったのでしょう。この人は、それなりに気を遣っていたのです。

 さて、40節のこの人の姿を通して、教えられることがあります。それは「イエス様ならば、自分の病を癒すことができる。」と心から信じ、イエス様に近づいていった、という点です。というのも、この時代には、この人以外にも、多くのツァラアトに冒された人がいたと思われます。しかし、常識的に考えると、「人々が大勢いる場所には行くことができない。禁止されているのだから、、、。」と考えるものです。でも、この人は、そのような常識を乗り越え、なんとかして、自分の病が癒されたいと強く願ったのです。 (続きを読む…)

2024 年 6 月 16 日

・説教 マルコの福音書1章35-39節「ガリラヤ全域に福音が伝えられる」

Filed under: 内山光生師,礼拝説教 — susumu @ 00:20

2024.6.16

内山光生

序論

 今日は、父の日です。日常生活においてお父さん方が家族のために労しておられることを覚え、各家庭においてもお父さんに感謝を表す時となることを願います。

 また昨日の子ども食堂も、第三回目となりました。参加者とボランティアをあわせて99名が与えられた事を神様に感謝をいたします。

 さて今日の箇所のタイトルは「ガリラヤ全域に福音が伝えられる」とさせて頂きました。しかし、後でメッセージの準備を進めていく中で別のタイトルの方が良いかもしれない、と思うようになりました。ですから週報には記していませんが、サブタイトルとして「福音を伝えるために」とさせて頂きます。

I 主イエスの祈り(35節)

 では35節を見ていきましょう。

 前回の箇所によると、前の日の夜に、イエス様の元にカペナウムの人々が訪れました。病人や悪霊につかれた人々がイエス様に癒してもらおうと、やって来たのです。そして、イエス様は人々の期待に応え、皆、癒されたのです。

 この時、きっと夜遅くまで癒しの御わざがなされていたと思うのです。それで、イエス様は肉体的に疲れ果てておられたのではないかと推測できるのです。いや、肉体的だけでなく、霊的な疲れを覚えておられた事でしょう。にもかかわらず、イエス様は次の日の朝早いうちに起きて、祈りに専念されたのです。

 ある人は、前の日の疲れが残っているのならば、ゆっくりと寝ていればいいのにと思うかもしれません。私自身も、どちらかと言えば、ゆっくりと寝ているのが好きな方です。ところが、イエス様は自分の疲れを回復させるために、父なる神と祈りによる交わりを持つという方法をとっておられたのです。

 しばしばマルコ1章35節は、ディボーションをする時なら朝早くの時間が良いという聖書的な根拠とされています。確かに、その通りかもしれません。実際、多くの人は朝に聖書を読むと集中しやすいと思っているのです。もちろん、朝が苦手な人もいるかと思いますので、その場合は朝にディボーションしなければと思い込む必要はなく、むしろ、自分にとって一番聖書を読みやすい時間帯を選べばよいのです。

 というのも、他の箇所では、イエス様は昼間に祈っておられる場面がありますし、また夜中に祈っておられる場面もあります。だから、時間にこだわりすぎる必要はないのです。

 イエス様は祈る必要がある時、なんとかして、祈る場所を確保して父なる神との祈りによる交わりに専念されたのです。 (続きを読む…)

2024 年 6 月 9 日

・説教 マルコの福音書1章29-34節「多くの人を癒された主イエス」

Filed under: 内山光生師,礼拝説教 — susumu @ 06:22

2024.6.9

内山光生

序論

 はじめにお伝えしたいことがあります。それは、私が芥見教会において、なぜ”マルコの福音書”から説教をすることにしたかについてです。

私が神学校を卒業してから、最初にとりくんだのが”マタイの福音書”でした。単純に新約聖書の順番に従ってマタイを選んだのでした。順番からすると次はマルコといきたいのですが、私は個人的にルカが好きだったので、次にルカからメッセージをしました。

 そうすると、福音書の中で残っているのが、ヨハネとマルコになります。どちらを選ぼうかなと考えたとき、マルコの方が執筆年代が早いということに気づかされました。それなら、先にマルコをやろうという考えになりました。そういう訳でマルコを選んだのは執筆年代が早いということからです。

 さて、マルコの福音書の特徴は、イエス様の行いや出来事を簡潔に記している、そういう文体となっています。また恐らく、マルコはペテロを通して、イエス様の色々な話を聞いていたと推測できます。それゆえ、マルコの福音書にはペテロの視点が反映されていると言えるでしょう。マルコの福音書の特徴の細かい所については必要に応じてその都度、説明していくことにします。では、今日の箇所を順番に見てきましょう。

I シモンの姑をいやす(29~31節)

 29~31節を見ていきます。

 29節にある”一行”とは、”イエス様とシモンとアンデレ、ヤコブとヨハネ”のことを指しています。この一行はシナゴーグでの礼拝が終わるとすぐに、シモンとアンデレの家に向かったのでした。

 30節では、シモンの姑が熱を出して横になっていたとあります。何が原因で熱が出ていたのかは分かりません。普通の風邪だったのか、それともどこか病気があって熱が出ていたのか、その辺りは何も記されていないのです。だから、私たちがそれぞれ自分の頭の中で推測するしかないのです。いずれにせよ安息日でありながらも礼拝に行くことができない程に辛い状態だったのは確かな事です。

 ある人が考えるには、病人が寝ていたならば、その家を訪ねることは控えようとするかもしれません。なぜかというと、病気がうつったり、感染が人々に広がる危険があるし、何よりも、病人である当事者にとっては静かに寝ているほうが良いと思うからです。

 また、別の人は次のように思うかもしれません。「あの人は今、病気で大変そうだから、何か食べるものでも持っていってあげよう。直接、会うことができなかったとしても、それでもかまわない…」と。

 そういう風に、誰かが病気になった時に取る行動はそれぞれであって、どれが正しいかと判定することはできないのです。

 ところで、シモンたちは、家の中に病人がいるのを分かっていて、どのような行動を取ったでしょうか。それは、自分たちの姑が寝ていたけれども、イエス様を家に招き入れ、姑が熱で寝ていることをイエス様に伝えるということでした。 (続きを読む…)

次ページへ »

HTML convert time: 0.213 sec. Powered by WordPress ME