・説教 テサロニケ人への手紙第一 5章21節「良いものをしっかり保ち」
2025.01.05
新年礼拝
鴨下直樹
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新しい一年を迎えました。今年の年間聖句はこのテサロニケ人への手紙第一 5章21節の御言葉です。
すべてを吟味し、良いものはしっかり保ちなさい。
これは、『ローズンゲン』が定めた年間聖句です。ローズンゲンというのは、ドイツにありますヘルンフート兄弟団という教会が、今から300年ほど前から始めた習慣です。この教会はその日、その日の聖書の御言葉を、くじ引きをして、それをその日の御言葉として生活をしていくという習慣から始まっています。「ローズング」というのは「くじ」という意味です。「ローズンゲン」というのは、その複数形です。ですから、「たくさんのくじ」というような意味になるかもしれません。日本では「日々の聖句」というタイトルで70年ほど前から翻訳、出版されるようになっています。ドイツの教会ではほとんどのクリスチャンが毎日の聖書を、このローズンゲンを通して読んでいます。私が芥見教会に来た時から毎年、年間聖句はこのローズンゲンから紹介させていただいています。
さて、今年の御言葉は私たちにこう語りかけています。
すべてを吟味し、良いものはしっかり保ちなさい。
読んでお分かりになるようにこれは命令形で書かれています。「良いものはしっかり保つように」という命令です。文章の前後関係がこれだけでは分かりませんので、まず「良いもの」というのは何を指しているかを理解することが大切になります。
そう思ってすぐ前の文章を読むと、「御霊を消してはいけません。預言を軽んじてはいけません」という二つの命令が書かれていることに気が付きます。つまり、ここでパウロが言っている「良いもの」というのは「聖霊」のことと「預言」つまり「聖書の御言葉」のことだということが分かります。
誤解しないように言っておくと「預言」と聞くと私たちはすぐに「未来に何が起こるかを告げる言葉」と考えてしまうかもしれません。けれども、これは「神から預かった言葉」がまず第一の意味ですから、パウロの意図からすると「説教」という意味で使っていることになります。礼拝で語られた説教を軽んじないで、聖霊が消えることがないようにということを勧めているわけです。
でも、そのようにして聞いた御言葉を鵜呑みにするのではなくて、その前に「すべてを吟味し」と言っています。「吟味する」というのは「見分ける」ということです。
今年の年間聖句のカードを先ほどみなさんにお配りしました。ドイツ語のカードに日本語を添えてカードを作りました。ここに描かれた絵には何かをふるいにかける様子が描かれています。この絵を見てみなさんは何をお感じになれるでしょうか。この絵を見ると、ふるいの上に残っているものが、綺麗な宝石か何かですから、上に残っているものが「良いもの」という理解になると思います。
けれども、ケーキを作られる方からすると少し変な感じがします。小麦粉をふるいにかけるのは、だまになっているものを混ぜないためで、落ちていく方が良いものということになります。しかも、よく見てみるとふるいの網目が結構荒くて、大きな石ばかりが残るわけでこんなに荒い網目でふるいにかけても大丈夫かと心配になるかもしれません。
もっともこの絵は聖書ではありませんので、この絵から伝わるイメージは人によって異なるのだと思います。けれども、この絵から分かるのは良いものを残したいというメッセージです。「良いものを大切に残しておくように」というメッセージがここには描き出されています。
今年の御言葉の少し前の16節から読むとそこにはこう記されています。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
有名な御言葉です。そして、パウロ自身がとても大切にした言葉でもあります。テサロニケ人への手紙第一は、パウロが記した最初の手紙であると考えられています。この喜びなさい、祈りなさい、感謝しなさいという言葉はその後の手紙でも何度も姿を表します。言ってみれば、パウロが大切にした言葉です。
喜ぶこと、祈ること、感謝することこれも、主から与えられた「良いもの」です。
私たちの中にはこういう人もいるかもしれません。「喜びなさい」と命令されても、喜べるものではないと。命令されると、なんだかやる気がなくなってしまう。そんな人は少なくないかもしれません。
年末の大掃除をみなさんもされたでしょうか。自分で気がついてやる分にはいいのです。けれども、誰からから「これもやっておいて」と言われると途端に気持ちが重くなってしまう。なんでこんなことを言うかというと、私がそういうタイプの人間だからです。
子どもの頃からそうです。「勉強しなさい」と言われるととたんにやる気をなくしてしまう。命令されるのが気に食わないわけです。命令されると、自分がなくなってしまうそんなふうに感じてしまう。そんな人も中にはあるかもしれません。
少しだけパウロの代わりに代弁すると、パウロはここでたくさんの命令の言葉を語っています。良いことをいっぱい語っているのですが、パウロの手紙の後半はどの手紙も最後は命令形の言葉のオンパレードです。でも、その前にたくさん福音を語っています。これでもかと言うくらいに、神様の恵みと福音を語ったので、最後にちょっと言わせてね、という感じでパウロは書いているわけです。
ただ、ローズンゲンのように聖書の一部分だけを切り取って読んでしまうと、その前半部分を聞かないままに、命令の言葉だけを読むことになります。これが、聖書を読むときにやっかいなことなのです。
たくさん恵みを語って、私たちがどれだけ神に愛されているか、どれだけ多くの恵みをいただいているか、主イエスがどれほど私たちの近くにいて私たちを支えてくださるかをパウロは語ります。そして、だから試練があったとき、誘惑があったとき、間違った考えが私たちに迫ってきたときには、こうやって乗り越えなさいと、信仰の危機に対する対処の方法として、こうするといいよと命令の言葉を駆使して、私たちを励まそうとしているのです。
いつも喜んでいること、絶えず祈ること、すべてのことにおいて感謝すること、聖霊を消さないこと、御言葉を軽んじないこと、こういう良いもの一つ一つがあなたを守ることになるので、それをしっかり保ってほしいのですとパウロはここで語っているのです。
私たちが生きている世界には、私たちを神様から離れさせようとする様々な出来事が起こります。自然災害があります。戦争があります。政治不信や、経済的な厳しさがあります。そして、宗教に対しての警戒感が世の中には満ち溢れています。いろんなことを言う人たちが世界中にいて、インターネットの中にはさらに細かな不安を掻き立てる意見がひしめいています。何を信じたら良いのかわからない時代です。そして、常に私たちを騙そうとするものの危機が私たちのすぐ傍にある時代です。そんな中で生きている私たちに、今年のローズンゲンの御言葉は、私たちにとって大きな助けとなるはずです。
すべてを吟味し、良いものはしっかり保ちなさい。
私たちがそこでまず目を向けるのは「すべての良いものは主から来る」というこの確信から目を離さないことです。政治が必ずしも私たちを良くしてくれるとは限りません。お金が私たちを幸せにするとも限りません。健康であっても、それが安心を与えるものでもありません。
「すべての良いものは主から来る」
まず、この事実に目をとめることです。そうすると、この時代のものに惑わされることはなくなります。大切にするのは「聖霊」と「御言葉」です。これが、私たちに与えられている神からの贈り物、良いものです。「喜び」「祈り」「感謝」これらのものは、神からいただいたものに対する私たちの応答であって、私たちがしなければならない事柄ではありません。
一つのことだけをお話しして終わりたいと思います。
「いつも喜んでいなさい」とあります。けれども、なかなか喜べない状況というのはあると思います。私たちは、そういうときにこの御言葉を「いつも笑顔でいなさい」と誤って読んでしまうことがあります。笑顔でいられない状況というのはいつだって私たちに起こり得ることです。家族が病に倒れる。経済的に厳しいところに立たされる。あるいは、高い壁が立ちはだかっていて、その先が見通せないような状況に置かれることだってあるのです。
けれども、「いつも喜んでいなさい」という御言葉は、私たちを支える御言葉となる。それはカラ元気を見せることではなくて、辛く、厳しい状況の中にいても、十字架と復活の主が、私を支えてくださるという事実がある、そのゆえに私たちの心の奥深くで自分が支えられているという喜びが確かに存在するからです。
一つの有名な祈りの言葉をみなさんに紹介したいと思います。それはアッシジのフランチェスコを支えた祈りで、「我が神、我が全てよ」という祈りです。
「マイゴッド・マイオール」英語ではそう言います。
短い祈りです、1秒で祈れます。「すべてを吟味し、良いものをしっかり保つ」ための助けとなる祈りです。
道に迷うとき、道を踏み外しそうになるとき、試練に、困難に飲み込まれそうになるとき、私たちが罪に敗れ、悪に支配されないために、あるいは神からの光を失わないために、ぜひ、この祈りを覚えてください。
「マイゴッド・マイオール」、「我が神、我が全てよ」
この言葉が信じられない時は、信じられるようになるまで、何度も何度でも心の中で祈ってください。平安が私の心を支配するまでそう祈ったらいい。
「私の神が、すべてのすべてである」そう確信できる時、私たちは私たちに主が与えてくださった良いものを保つことができるのです。
お祈りをいたしましょう。