・説教 マルコの福音書1章1-8節「力のある方が来られる」
〈主の慈しみ〉
2024.4.14
内山光生
序論
皆さん、おはようございます。
4月から芥見教会で奉仕させて頂いております内山光生です。
私たち家族は諸事情によって昨年の9月頃から芥見教会の礼拝に集っております。そして私たちが芥見に集い始めてすでに半年以上経ちましたので、ようやく人々の顔と名前が分かるようになってきました。まだまだお話しした事のない方が大勢おられますが、皆様と少しずつ交わりを深めていけたらと願っています。
短く、自己紹介をいたします。
私は1972年生まれです。年齢は今は51才。今年の11月で52才になります。生まれは三重県の桑名市多度町で、両親共にクリスチャンです。幼い頃から教会学校や礼拝に集っていて、小学5年の頃にイエス様が救い主だということを知識としてではなく、心の底から信じることができるようになりました。そして、中学1年の夏に洗礼を受ける恵みにあずかりました。しかしながら、中学時代や高校時代は、あまりぱっとしない信仰生活を送っていました。今思うと、学校での悩みや受験の悩みなどで、神様に心を向ける余裕がなかったのでしょう。
その後、大学受験で失敗し、2年間の浪人生活を送りました。その試練を通して、私は神様の存在をより強く感じるようになり、大学1年の冬に、献身の思いが与えられました。祈りと導きの中で、5年間、会社員として働きました。そして29才の時に神学校に入学し、33才の時から牧師として奉仕をしています。
家族は妻と息子です。それでは聖書を順番に見ていきます。
I 表題(1節) ~はじめ~
1節を見ていきます。
ここには、イエス様がどういうお方なのかが示されています。そして、イエス様は神の子であって、キリストだということが分かってきます。そこで、「イエス・キリストの福音のはじめ」と表現されていますが、福音とは、どういう意味でしょうか。
私たちはしばしば福音とは「良い知らせ」という意味だと受け止めます。厳密には、「福音」は元々は別の意味だったのですが、聖書の中に出てくる「福音」は「良い知らせ」という意味でよいかと思います。 (続きを読む…)