2013.2.10
鴨下 直樹
「戦いの手紙」と呼ばれたガラテヤ人への手紙もここでようやく筆を置くことになります。そして、今日のところでパウロは、自ら筆をとって書いています。ここにパウロがどのような思いで戦っていたのか良く分かります。
パウロの戦いというのは、相手を飲み込むように威圧して力によって戦うことをしませんでした。自分の持つ力を示すことではなくて、神の愛を、恵みをさし示すことに終始心を注ぐ戦いです。愛がとどくために戦っているのです。
戦いといいますと、私たちは先週横浜で行なわれた全日本製造業コマ大戦の話を聞いたかもしれません。私たちの教会の長老であるYさんの会社がこの大会に優勝しました。新聞にも取り上げられたようで、わたしもさっそくインターネットで調べてその戦いの様子を見させていただきました。決勝戦の様子を見たのですけれども、決勝でYさんのまわすコマが勝った時には思わず目頭に熱いものがこみ上げてきました。
全国から二百社の応募の中からの優勝ということです。色々なコマがありますけれども、様々なアイデアのなかでいかに堅実に戦うことが大切かということをもう一度考えさせられました。今日の説教題を私たちの戦いとしました。私たちの歩みにも様々な戦いがあります。教会と戦いという言葉はあまり一つに結びつくというイメージがないかもしれませんけれども、信仰の歩みは戦いの歩みです。教会の歩みは戦いの歩みです。しかし、私たちの戦いは力でよって勝利を得る戦いではありません。私たちの業や、私たちが何かをなし得ることで勝利を得るわけでもありません。
パウロはこの手紙の結びの部分でこう言いました。
「割礼を受けているか受けていないかは大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」
パウロはここで力に生きるのではなく、大事なのは新しい創造であると語りました。最後にこの手紙を結ぶにあたってそのことはどうしても、自分の手で伝えたいと思ったのです。 (続きを読む…)