2013 年 2 月 25 日

【予告:3月31日(日)】サンドペインティングによるイースター・ストーリー ~神の子羊イエス~

Filed under: お知らせ,イベント — susumu @ 12:55

ガラス板の上に薄くまいた砂に手で描き、それを光で投影する
「サンドペインティング」(サンドアート)で、聖書のストーリーを鮮やかに描きます。

ドイツから来日する、コニー・クレメンツ氏によるサンドペインティングと、
フルート&ピアノによる音楽の、幻想的なコラボレーション。

日時: 2013年3月31日(日)午前10:30~12:00
復活(イースター)主日礼拝において
場所: 芥見キリスト教会 (岐阜市芥見南山1-8-8)

 

コニー・クレメンツ氏のサンドペインティング(YouTubeより)

 

イースター礼拝のご案内

サンドペインティングによるイースター礼拝のご案内

今月の礼拝予定(2013年3月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 12:07

3月3日 受難節第3主日

主日主題: 裁き
聖書: 詩篇25篇
説教:「主よ私の魂はあなたを仰いでいます」 鴨下直樹牧師
聖餐式

午後:各部定例会、聖歌隊練習

3月10日 受難節第4主日

主日主題: 神の霊
聖書: 詩篇31篇
説教:「私の霊を御手にゆだねます。」 鴨下直樹牧師

午後:役員会(13:30~)

3月17日 受難節第5主日

主日主題: 平和
聖書: 未定
説教: ヘルガ・タイス師

午後:礼拝準備会

3月24日 受難節第6主日

主日主題: 犠牲
聖書: 詩篇22篇
説教: 「わが神我が神どうして私をお見捨てになったのですか」 鴨下直樹牧師

午後:女性会、教団3月総会

3月29日 受難日礼拝 19:30~

聖書:
説教: 鴨下直樹牧師

3月31日 復活主日(イースター)礼拝

主日主題: 神の子羊
聖書: 詩篇32篇
説教: 「幸いなことよ、そのそむきを赦され、罪を覆われた人は」 鴨下直樹牧師
フルート、ピアノによる音楽とサンドペインティング(砂絵)による
イースター・ストーリー
 上演: コニー・クレメンツ ほか

午後:持寄り食事によるイースター祝会

2013 年 2 月 24 日

・説教 詩篇51篇 「清き心をつくり給え」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 10:30

2013.2.24

鴨下 直樹

 ときどきこんな想像をしてみることがあります。神様は天で人々の祈りの言葉をどのように聞いておられるのだろうかと。私たちの祈りのほとんどは、神への願い求めだろうと想像します。あるいは嘆きの訴えも多いことでしょう。神はいつも天で人々の祈りに耳を傾けながら、その祈りのほとんどは、「こうしてほしいのだ!」という激しい訴えを聞いておられるのではないかと思うのです。

 けれども少し視点を変えて考えてみたいと思うのですが、もし私たちがそういう言葉ばかりを聞き続けていたらどうなるのでしょうか。家族が「こうしてほしい!」と訴え、職場で同じ訴えが繰り返され、教会でも同じ言葉が繰り返される。「ああしてほしいのだ、こうして欲しかったのだ!」と、もし私たちがそのような言葉を聞き続けているならば、当然のことですが、気がめいってしまうに違いないのです。

 神は天で人々の祈りを聴きながら、それそこ毎日膨大な人々の祈りの姿をとった訴えの言葉を聞きながら、このお方はそれをどうなさるのだろうか。そんなことをふと、考えるのです。

 

 キェルケゴールというデンマークの思想家の書いた「神への思い」という小さな祈りの本があります。この本にはキェルケゴールの祈りが納められているのです。私が神学生の時に、祈りについてあれこれと思い悩んでいた時にこの本と出合いまして、私は衝撃をうけました。キェルケゴールという人は神学の学びをした人でしたけれども、牧師にはならずに、著作活動をした人です。常に、神を意識し続けてきた思想家です。心の繊細な人のようですけれども、この本の祈りの中でびっくりするような祈りばかりが書かれていました。例えばこんな祈りがあります。

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2013 年 2 月 17 日

・説教 マラキ書3章6ー12節 「主の祝福」

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 19:58

本日はマレーネ・シュトラスブルガー師が説教をして下さいました。

2013 年 2 月 10 日

・説教 ガラテヤ人への手紙6章11-18節 「私たちの戦い」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 10:30

2013.2.10

鴨下 直樹

 「戦いの手紙」と呼ばれたガラテヤ人への手紙もここでようやく筆を置くことになります。そして、今日のところでパウロは、自ら筆をとって書いています。ここにパウロがどのような思いで戦っていたのか良く分かります。

 パウロの戦いというのは、相手を飲み込むように威圧して力によって戦うことをしませんでした。自分の持つ力を示すことではなくて、神の愛を、恵みをさし示すことに終始心を注ぐ戦いです。愛がとどくために戦っているのです。

 

 戦いといいますと、私たちは先週横浜で行なわれた全日本製造業コマ大戦の話を聞いたかもしれません。私たちの教会の長老であるYさんの会社がこの大会に優勝しました。新聞にも取り上げられたようで、わたしもさっそくインターネットで調べてその戦いの様子を見させていただきました。決勝戦の様子を見たのですけれども、決勝でYさんのまわすコマが勝った時には思わず目頭に熱いものがこみ上げてきました。

 全国から二百社の応募の中からの優勝ということです。色々なコマがありますけれども、様々なアイデアのなかでいかに堅実に戦うことが大切かということをもう一度考えさせられました。今日の説教題を私たちの戦いとしました。私たちの歩みにも様々な戦いがあります。教会と戦いという言葉はあまり一つに結びつくというイメージがないかもしれませんけれども、信仰の歩みは戦いの歩みです。教会の歩みは戦いの歩みです。しかし、私たちの戦いは力でよって勝利を得る戦いではありません。私たちの業や、私たちが何かをなし得ることで勝利を得るわけでもありません。

 

 パウロはこの手紙の結びの部分でこう言いました。

「割礼を受けているか受けていないかは大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」

 パウロはここで力に生きるのではなく、大事なのは新しい創造であると語りました。最後にこの手紙を結ぶにあたってそのことはどうしても、自分の手で伝えたいと思ったのです。 (続きを読む…)

2013 年 2 月 3 日

・説教 ガラテヤ人への手紙6章1-10節「兄弟として共に生きる」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 10:20

2013.2.3

鴨下 直樹

 間もなく総会を迎えます。今朝、総会資料が配られておりますので、すでに目を通された方も多いと思います。その時に、ちょうどこの御言葉が与えられております不思議を感じずにはおられません。

 今日の聖書個所の冒頭にこのように記されています。

「兄弟たちよ。もしだれかが過ちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心で正してあげなさい。」

 今朝はこの聖書の言葉を少し考えてみたいと思います。

 

 「もし誰かが過ちに陥ったなら」とパウロは語りかけます。私たちの身近に、日常によく起こることです。私たちの日常の生活の中で、家族が過ちを犯す、兄弟が過ちを犯した時に、私たちはどうするのかということが問われているのです。もちろん、それは家の中のことだけに留まりません。教会でも同じことですし、地域の人との関わりも同じことです。そこで、私たちがよく経験するのは、誰か近しい人が過ちを犯した現場を目撃したら、鬼の首をとったかのように攻撃をしてしまうという場面です。攻撃する側は気持ちがいいのですが、攻撃される方としてみれば大変なことです。人はなかなか人の過ちを簡単に見過ごしにすることができないようです。何故なのでしょうか。

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