2010 年 8 月 29 日

説教「私たちの信仰」 明田 勝利

Filed under: 特別説教,説教音声 — susumu @ 12:00

本日は甲府市の明田勝利牧師が説教をして下さいました。

説教 「私たちの信仰」
ヨハネ 9章 35~38節

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「私たちの信仰」   ヨハネ9章35〜38節

この朝、ヨハネ福音書を通して、私たちの信仰の背景について考えてみます。私たちの信仰を支えているものは何か。そのようなことを考えてみるとき、自分の信仰は、自分が支えているのではなく、過去から現在に続く、受け継がれてきた歴史があることに気づかされます。

ヨハネ福音書が、いつ、誰が、どこで書いたのか、正確には分かりません。ただ、四福音書の中では最後に書かれており、たぶん、紀元90年代後半終わりころに書かれていると考えられています。私にとって、聖書を読むとき、その時代背景に興味があります。人々がどのような時代に、何をどのように信じ、どのように生きていたのか。 (続きを読む…)

2010 年 8 月 22 日

・説教 主の祈り「罪を赦したまえ」 マタイの福音書6章12節

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 00:17

鴨下直樹

私たちは礼拝で主の祈りを祈ります。みなさんの中には、毎日この主の祈りを祈っておられるという方も少なくないと思います。宗教改革者ルターは、ここで教えられている祈りの一つ一つは、生涯にわたって祈らずにはおられないほどの重大なものばかりである、と言っています。それで、長い教会の歴史の中でも度々この祈りを私たちの日毎の祈りとするようにと勧められてきました。
しかし、日毎にこの祈りを真剣に祈ろうとする時に、どうしても立ち止まらざるを得なくなるのが、今朝私たちに与えられている御言葉であるということができると思います。
「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」という祈りです。
長く慣れ親しまれて来た文語訳聖書の主の祈りの言葉ではこうなっています。
「我らに罪を犯す者を我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
「私たちに罪を犯した者を私たちが赦したように、私たちの罪も赦して下さい。」と祈るのです。そうすると、そこでどうしても考えなければならないのは、「私たちが罪を赦したように」、文語訳の言葉では「我らが赦す如く」という言葉の持つ意味です。ここでは、もう私は人のことを赦していますから、どうか私の罪も赦してくださいと言うのです。

私が以前奉仕しておりました教会で、耳が聞こえなくなってしまった方が来ておられました。それまでは普通に聞こえていたのです。ところが、務めている会社でひどいいじめを受けて耳が聞こえなくなってしまったのです。やがて教会を訪ねるようになり、信仰を持つようになりました。そして次第に耳も聞こえるようになっていきました。ところが、その方がある時、私にこんな話をしてくださいました。私はこの主の祈りのこの部分になると声を出して祈ることができないのですと。いつも、ここだけは祈ることができずに黙っているというのです。このように心からは祈れないというのです。
このような厳しい経験はないかもしれませんけれども、みなさんの中にも主の祈りのこの部分が祈れなくなるというようなことがあるのではないでしょうか。 (続きを読む…)

2010 年 8 月 15 日

奨励「サムエルとダビデ」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 00:00

サムエル記16章11~13節

奨励「サムエルとダビデ」 山田健長老

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2010 年 8 月 8 日

「教会の活動」のページを修正しました。

Filed under: お知らせ — susumu @ 14:17

「教会の活動」のページを修正しました。

  • 教会学校の開始時間を変更しました。
  • 芥見JC(ティーンのための集会)を追加しました。

子どもフェスタが開催されました

Filed under: イベント — susumu @ 14:04

今年は快晴・猛暑のなか、子どもフェスタが開催されました!テーマは「たからもの」

ゲーム中

ゲーム中

午前中はエプロンおじさんとマー君登場。コッコちゃんによる宝探しゲーム、マレーネ先生によるメッセージ「大切なたからものは見つかった?」。

メッセージでマレーネ先生は「私の助けは全地をつくられた神から来る」というみ言葉から、僕のたからものはイエスさまと出会うこと、と説き、それからみんなでテーマソング「僕の宝物」を歌いました。

 

 

流しそうめん

流しそうめん

午後は流しそうめん。 そうめんの合間に流れてくるプチトマトやソーセージ、玉こんにゃく、ゼリー、チーズなどに歓声が上がっていました。 かき氷もおいしかった!!

青竹を使った工作タイムではそれぞれおきあがりこぼしを作り、それぞれ自分の作品と、竹おじさんからのプレゼント、一輪差しとリンドウをお土産にもちかえりました。

・説教 主の祈り「日毎の糧を」 マタイの福音書6章11節

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 10:11

鴨下直樹

この「日毎の糧を与えたまえ」という祈りは、私たちにとっておそらく最も身近に感じる祈りだと思います。この祈りはこの時代に生きる私たちにとってますます身に迫る祈りとなっているといえるかもしれません。この主の祈りについては、さまざまな時代に語られてきました。特に、私たちの国においても、いわゆるバブルと言われた時代、経済的な心配をそれほどしなくてもよい頃の説教というのは、多くが、私たちはこの祈りをしなくても食べるものには困らないけれど、それでもこの祈りを祈るのは何故か、という問いを持って語られることが多かったのです。ところが、このところの先行きの見えない経済、増え続ける税金などによって、もう一度この祈りが切実な響きを持つようになってきたと言えます。
このように、この日毎の糧を求める祈りというのは、必要が満たされるようにという祈りとして単純に理解すれば、私たちの生活の中心に置かれた祈りであると言えます。そして、この祈りが主の祈りの中の中心に位置しているのも偶然ではないだろうと思います。
礼拝の中で主の祈りを祈りながら、ここでようやくほっとすることができるということもあるのではないでしょうか。ここからが、私たちの日常の祈りであると感じるのです。確かに、この主の祈りは二つに分けることができると言われています。前半は神を讃える祈り、神についての祈りです。そして、ここから始まる後半部分が、私たちの祈り、私たちの生活に関する祈りであると理解することができるのです。 (続きを読む…)

2010 年 8 月 7 日

芥見キリスト教会 子どもフェスタ開催!

Filed under: お知らせ,イベント — 鴨下 愛 @ 20:30

8月7日(土)午前10時〜午後3時まで

夏の楽しい子ども達のイベントです。
はじめてのお友達、かんげいします!
まずは案内チラシをクリック!
(詳細を確認して、お問い合わせ/申し込みをしてください)

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2010 年 8 月 1 日

・説教 主の祈り「御心が行われますように」 マタイの福音書6章10節

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 20:32

鴨下直樹

今、私たちは「主の祈り」を学んでいます。主の祈りを通して祈る心を学んでいます。ここに、私たちが日毎に口ずさむべき祈りがあるのです。
祈りを学びたいという人に私はよく紹介する一冊の本があります。P・T・フォーサイスの書いた「祈りの精神」というものです。もう何度も版を重ねておりまして、これを出していた出版社が倒産してしまったために、もう手に取ることができないかと思いましたけれども、先日、また異なった出版社から出されることになったと聞きました。教会の図書にも入っておりますので、是非お読みいただきたいと思う書籍です。
先週から信徒による聖書の学びが始まり、非常に豊かな時間を過ごすことができました。それに先立ちまして、先々週の祈祷会で、この「祈りの精神」という書物の最初の部分を共に読みました。出席された方々は、すでに最初のところを一緒に読んだのですけれども、「最悪の罪は祈らない事です」と言う言葉から始まるのです。神と共に生きる者は、祈りながら、他者のため、他の人のために祈ることになると、最初に語りながら、祈りがどれほど私たちの生活に必要であるかを語ります。この本の第一章は「祈りの本性」というタイトルがつけられています。この前半の中心的な言葉はこういう言葉です。「あらゆる祈りのうち、真の祈りは、『神よ、あなたの御心がなりますように』という祈りである」と言っているのです。祈りというのは、私たちの生活に不可欠なものだけれども、その祈りの中心は、結局のところ「御心がなりますように」という祈りだというわけです。
この祈祷会である方が質問をしました。「自分の祈りは自分の事ばかりを祈っていたのだけれども、そういう祈りは間違っているのか」という質問です。みなさんもそのような問いを持たれるのではないかと思います。 (続きを読む…)

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