2026.03.01
鴨下直樹
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ルカの福音書も今日から第22章に入ります。先週から主イエスの十字架の苦しみを覚える受難節、レントに入っています。ルカの福音書もこの第22章からいよいよ明確に受難の出来事が記されていきます。
まず、この1節から7節までに書かれているのは、ユダの裏切りの計画が始まったという出来事です。そして、その背後には祭司長、律法学者たちの思惑が働いていたことが記されています。今回、この聖書箇所を読みながら、改めて考えさせられるのは、2節の言葉です。
「祭司長、律法学者たちは、イエスを殺すための良い方法を探していた」とあります。彼らは、まがりなりにも宗教指導者たちです。もちろん、聖書の戒めをよく知っている人たちです。「殺してはならない」という戒めもよく理解していたはずです。それにも関わらず、主イエスに対する殺意が生まれているのです。
どうして殺意が生まれたのか、ルカはこの2節で「彼らは民を恐れていたのである」と書いています。ここには二通りの意味があることが考えられます。第一の意味は、祭司長、律法学者たちは、主イエスの人気が高まるにつれて、イスラエルの人々の心が自分たちの大切にしている教えを軽んじることになってはならないという、彼らの宗教的な熱心さから生じる不安や恐れです。もう一つ考えられる彼らの恐れは、主イエスに人気が集中することへの妬みです。群衆の反応への恐れです。そのどちらかであったかは分かりませんし、あるいは両方の思いがあったのかもしれませんが、祭司長や律法学者たちは主イエスの殺害計画を立て始めます。
他の福音書のマルコによると、彼らが恐れた理由として「民が騒ぎを起こすといけない」と書かれています。つまりこの過越の祭りの時期に行うのは民衆の暴動が起こる可能性があるといけないからだという事を理由としていることになります。マルコの福音書によれば「今ではない」という判断の理由が民衆を恐れたからだとしていることになります。
いずれにしても、祭司長たちの中では主イエスを殺すという思惑はすでに固められていたわけです。
すると、そこに主イエスの十二弟子の一人であるユダが訪ねて来ます。ユダは祭司長たちに「どのようにしてイエスを彼らに引き渡すか相談した」と4節にあります。祭司長たちにしてみれば渡りに船です。5節にこうあります。「彼らは喜んで、ユダに金を与える約束をした。」 続きを読む ・説教 ルカの福音書22章1-13節「人の計画と主イエスの計画」