2016 年 6 月 28 日

子どもと親のプログラム(7~8月のご案内)

Filed under: 子どもと親のプログラム,教会の活動 — susumu @ 15:16
  • Mama’s cafe
    ...7月26日(火)朝10:00~12:00
    (毎月第4火曜日、参加費:300円…デザート&飲み物)
    お申込みは⇒こちらから(23日頃までにお願いします)
  • 未就園(0歳から)のお子さんと親のプログラム「こひつじクラブ」
    ...7月12日(火)朝10:30~12:00
    (毎月第2火曜日、参加費:親子で200円)
  • 就園児(3歳から)と親のプログラム「ハレルヤちびっこ」
    ...7月はファミリーチャペルコンサートのため休会です。ぜひご家族でコンサートにお越しください!
  • 小学生のためのプログラム「サタデージョイ」
    ...7月2日、16日(土)朝10:00~11:30 参加無料(7月9日は休会/7月23日~8月末の夏休み期間は休会です。)
  • 学生&青年のクラブ 芥見JC
    ...7月16日(土)流しそうめん!
    お申込み・お問い合わせは⇒こちら
  • 安心スペースで小さい子連れの方にも好評!「パッチワーク会」
    ...7月15日(金)朝9:30~12:00
    (毎月第3金曜日/茶菓代100円)

  • 今年度の「ノーバディーズパーフェクト(NP)受付中!
    ...9月7日~10月12日 全6回、水曜午前

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第29回「55+の会」のご案内

Filed under: 55プラス,教会の活動 — susumu @ 14:17

日時: 2016年7月7日(木)14時~16時
場所:芥見キリスト教会 一階集会室
語り合いのテーマ:「予期せぬ出来事」
ショートスピーチ:古川秀昭さん

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2016 年 6 月 26 日

・説教 エペソ人への手紙4章1-16節(1)「招きにふさわしく生きる」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 11:48

 

2016.06.26

鴨下 直樹

 
 エペソ人への手紙の4章に入りました。お気づきの方もあるかもしれません。パウロはここに来て、急に「なになにしなさい」という戒めの形で、命じ始めています。パウロの手紙はいつもそうですけれども、前半は、どのように考えたらいいのか、信仰の基本的な考え方について丁寧に語ります。そして、後半は、具体的な勧めをいたします。このエペソ人への手紙も例外ではありません。パウロは、エペソなどのアジアの教会の人々にこの手紙が回覧されることを知っていました。そこで起こっていたさまざまな問題、特に、異邦人のキリスト者たちと、ユダヤ人のキリスト者たちとの間に起こる争いに、いつも心を砕いていました。そして、主イエスの信仰に生きようとする人々は、この問題を乗り越えて、この主の福音に自分たちが生きることができ、さらに多くの人々に主の福音を伝えていくことができることをパウロは信じていました。そのためには、まず、何よりもキリストの心を知ること、教会とはどういうところであるのかを語る必要がありました。それで、パウロは丁寧に、キリストがなにをして下さったか、そして、教会はどのように生きるのかを語り続けてきたのです。

 そこで、パウロはここからさらに具体的に教会に生きるキリスト者たちに語りかけようとしています。1節です。

さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。

 パウロは、この時牢獄に捕えられていました。ですから、この手紙は獄中書簡などと呼ばれているわけです。自分は捕らわれている、牢に閉じ込められている。そういう囚人がするべきことは何かというと、「刑に服する」ということです。このとき、パウロは教会の人々にお勧めしたいことがあったのです。それは―今、パウロは、囚人として刑に服している。何故かというと、キリストに捕えられた者であるから。自分を捕えた主のために牢に閉じ込められることもパウロは喜んで耐えることができる。ですから、あなたがたも、このキリストに捕えられた者としての生き方をしなさい―そう勧めているのです。この「勧めます」と言う言葉は、「傍らに立ってはげます」という意味の言葉です。どこか高みから、あるいは、知らないところから声高に命じているのではありません。自分は今、実際に捕えられている。だから、分かる。捕えられる時に、求められているのは、これは不当だ、自分はそんなつもりではなかったと、必死に抵抗するということよりも、むしろ、そこに身をゆだねて生きるということしかできない。そのように、あなたがたも、キリストに捕えられたのだから、キリストの願っているように生きてほしいと勧めるのです。 (続きを読む…)

2016 年 6 月 19 日

・説教 エペソ人への手紙 3章14-21節(2)「人知をはるかに超えたキリストの愛」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 18:47

 

2016.06.19

鴨下 直樹

 
 今日は、このエペソ人への手紙のパウロの祈りの部分から先週に引き続いてみ言葉を聞きたいと思っています。特に、今日の中心的なみ言葉は17節から19節の言葉です。パウロはその祈りの中でこんなことを祈っています。

こうして、キリストがあなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。

 パウロはここで何を祈っているかというと、このエペソの教会に集まっている人たちが、「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように」と祈っているのです。

 ですから、今日のテーマは「愛を知る」ということです。私は愛知県の木曽川町で育ちました。子供の頃から、この「愛を知る」という言葉に愛着を持って来ましたが、不思議なことに、どこか遠くに旅行に出かけまして、「どこから来たのか」と聞かれますと、決まって「名古屋」と答えます。おそらく、愛知県に住んでいる人のほとんどがそう答えると思います。「木曽川町」なんて言っても誰も分かりません。しかも、この木曽川町は、私たちがドイツに住んでいた時に、隣の一宮市に吸収合併されてしまいましたので、今は無くなってしまいました。もちろん、そんなことがなくても、みんな「名古屋」と答えるわけです。愛知県に住んでいる人はあまり、この名前に誇りを持っていないようです。むしろ、この芥見の人の方が誇りを持っていると感じることがあります。芥見の人は岐阜駅の近辺に行くときには「ちょっと市内に行ってくる」という言い方をします。一応芥見も岐阜市内なのですが、そこは芥見の人のプライドなのか分かりませんけれども、自分たちは岐阜市内に住んでいるという自覚が不思議とありません。はじめ聞いたときに不思議に思ったのですが、今ではもう慣れてしまいまして、私も最近では「市内に行ってくる」という言い方を遣うようになりました。これは芥見を誇りとしているというようなこととは違うのかもしれませんが・・・。たいぶ余計な話をしていますが、愛を知るという名前の県に育っても、そこに住んでいる人たちはみな愛について知っているとは言えません。愛を知る、それこそがこの箇所のテーマです。

 今日は午後から古川さんを講師に「楽しいキリスト教美術講座」を行います。毎年、一年に二回、美術講座を行っています。今回は「印象派」と言われる画家たちを取り上げてくださるようで、私もとても楽しみにしています。「印象派」と言いますと、日本でも特に人気があるのはモネとかルノアールというような、まさに印象に残る綺麗な色使いで、独特のタッチで描かれているものをイメージされる方が多いと思います。また、その後で、後期印象主義というんだそうですけれども、セザンヌとかゴッホという人たちがあらわれます。特に、今日はこのゴッホの作品から何点か紹介してくださるようです。今回の美術講座のチラシにも印刷されていたのですが、ゴッホの描いた「善きサマリヤ人」という絵があります。これは、その前にドラクロワという画家が描いた作品の模写です。ゴッホは他にも、レンブラントの模写である「ラザロの復活」だとか、やはりドラクロワの模写の「ピエタ」も描いています。この模写、あるいは模倣と言ってもいいと思います。絵を描く人は誰でもそうだと思いますけれども、この模倣するというのが、描くことの基本なのだと思います。

古川秀昭「うさぎ」1956年,和紙,割りばし,墨
古川秀昭「うさぎ」1956年
和紙,割りばし,墨

 以前、古川さんのアトリエで、アルブレヒト・デューラーの「野うさぎ」を模写したものを見せてもらったことがあります。どうも聞くところによると、小学生の時に描いたもので、その絵を当時同級生だったAさんにプレゼントしたのだそうです。Aさんとは、やがて何年もして、再会して、結婚をすることになったのだそうです、その話を聞くだけでも何かとてもドラマチックな気がしますが、古川さんたちが結婚された後に、この、小学生の時に描いてプレゼントした絵を、奥様が大事に保管されていたことが判ったのだそうです。とても小学生が書いたとは思えない美しいものです。このように、模写する・真似をするということが、芸術家の道であることを、もう小学生の時から古川さんは知っていたのでしょう。マネをすることは美術の基本です。

 そして、実は、この模倣する、真似をするというのは、美術に限ったことではありません。芸術全般にもいうことができると思いますし、人間も、より良く生きるためにこの模倣をすることを通して、本当の自分になっていくという部分があるわけです。ですから、様々な人との出会いがその人の人格を築き上げていくためにはとても重要です。
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2016 年 6 月 12 日

・説教 エペソ人への手紙 3章14-21節「パウロの祈り」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 14:20

 

2016.06.12

鴨下 直樹

 
 今日のところは、パウロの祈りが記されているところです。昨日の家庭集会でも、祈りについてお話したのですが、この夏のキャンプのテーマでも祈りをテーマにしています。祈りは、私が牧師になったときからわたし自身のひとつの大きなテーマでもあります。神学生の時から、しばらく祈れなくなるという時期を経験しました。きっかけはたいしたことではないのです。仲間の神学生たちの祈りを聞いて、それを心の中で非難していたのです。けれども、人の祈りに耳を傾けて、文句ばかり言っているうちに、自分はどうだということになりまして、自分の祈りの生活を振り返って考えてみるようになりました。それで、自分も人のことを言えるほど豊かな祈りの生活ではないことに気づかされて、すっかり自信をなくしてしまったのです。

 その時から、多くの祈りについての本を読みましたし、色々な信仰者の祈りの本を読みました。もう何冊読んだか分からないくらい読みました。そして、聖書の中に記されている祈りについても注意深く見るようになりました。特に、聖書の中に記された祈りを読んでいますと実に、色々なことに気づかされます。その一つに、聖書に記されている祈りは、いわゆる個人の願い事というのはあまりないということに気づかされます。このことは、祈りを学ぶ意味でも、とても大きいのではないかと思います。

 今日の箇所もパウロの祈りです。ここでパウロは何を祈っているのかというと、とてつもなく壮大な祈りをしています。「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように」と祈っているのです。みなさんの中に、こういうことをこれまでに祈ったことがある方がおられるでしょうか。ひょっとすると、私たちでは思いつきもしないようなことを、ここでパウロは祈っているのです。確かに、この祈りもパウロの個人的な願いごとであるかもしれませんけれども、むしろ、このいのりは、神が願っておられることを、パウロが祈っているようなものとも言えます。

 私たちは、祈りにおいて、自分の常識や限界を超えて、神に近づくことができます。それが、いのりです。祈りにおいて、パウロの祈りがそうであるように、神の思いと一つになると言ってもいいかもしれません。そういう祈りを祈ることができるときに、私たちは深い喜びに包まれます。
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2016 年 6 月 5 日

・説教 エペソ人への手紙3章1-13節「福音の奥義を知る者として」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 16:26

 

2016.06.05

鴨下 直樹

 
 みなさんは、自分が何者なのかということについてお考えになったことがあるでしょうか。不思議なことに、この問いは、私たち自身を問う問いですから、日ごとに自分に問いかけるべきものなのだと思うのですが、年を経るごとに問わなくなってしまう傾向があるように思います。自分が確立していない、そのために、何者かになろうとしている時期というのは、自分自身に問いかけるものです。けれども、次第に、諦めとともに、自分のことが分かったつもりになる。あるいはそれは、自分で、自分に期待できなくなるということと同じかもしれないのですが、何かになろうとすることを止めてしまうことによって、自分に対して期待心もなくなってしまうことが多いのです。

 私が言うのも変なことかもしれないのですが、若い、青年を見ていると、そのことを顕著に感じます。私からすれば、まだその人には無限の可能性があるように思えるのですが、中学、高校、大学を卒業し社会に出ると、なんとなく、自分はこのくらいの人間だということを周りを見ながら、納得してしまって、それ以上の自分になることを諦めてしまっている気がするのです。それは、ひょっとすると、私よりも年上の方々は、私くらいの年齢の者についても同様に感じているのかもしれません。私自身、最近、自分の口から、自分についてよく否定的な言葉を使っていることに気が付きます。これまでの牧師としての経験や、通って来た道のりを振り返りながら、まぁ自分はこんな程度だろうと、自分に見切りをつけてしまっているのです。

 今日、私たちに与えられている聖書の言葉は、エペソ人への手紙の第三章です。今日はその1節から13節までのところですが、ここでパウロは少し唐突に、自分のことを語り始めます。自分が何者なのかといことを書いているのです。実は、この箇所はこのエペソ人への手紙の中でも、特に重要な位置を占める箇所です。というのは、ここに書かれている内容で、ある人は、これはパウロの言葉ではないのだといい、ある人は、ここにこそパウロらしさが記されているのだという人もあります。あるいは、パウロと、パウロと一緒にいた仲間たちのことがここから読み取れると考える人もおります。私は、このエペソ人への手紙の説教を始めました時に、この手紙がそういう議論があるけれども、伝統的にパウロが書いたものとして受け止められて来たことを重んじて、パウロが記したものとして語りたいと言いました。このことは、このエペソ人への手紙を理解するうえでとても重要なことです。
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2016 年 6 月 2 日

今月の礼拝予定(2016年6月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 11:55

6月5日 三位一体後第二主日

主日主題: 神の奥義
聖餐式礼拝: 午前10時30分
聖書: エペソ人への手紙 3章1-13節
説教:「福音の奥義を知る」 鴨下直樹牧師
子ども:「海にできた道」 鴨下愛
聖餐式

午後:役員会

6月12日 三位一体後第三主日

主日主題: キリストの愛
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: エペソ人への手紙 3章14-21節
説教:「キリストの愛を知る」 鴨下直樹牧師
子ども:「天からのマナ」 河合和世

午後:ゴスペルカフェ、聖歌隊練習

6月19日 三位一体後第四主日

主日主題: 愛
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: エペソ人への手紙 3章19節
説教:「人知をはるかに超えた愛」 鴨下直樹牧師
子ども:「十の戒め」 鴨下愛/合同

午後:礼拝準備会、礼拝予定確認会、手話講座、キリスト教美術講座

6月26日 三位一体後第五主日

主日主題: 招き
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: エペソ人への手紙 4章1-14節
説教:「招きにふさわしく生きる」 鴨下直樹牧師
子ども:「12人の偵察隊」 山田茜

午後:各部会、福祉のつどい(於:岩倉教会)

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