2025 年 12 月 31 日

今月の礼拝予定(2026年1月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 08:26

1月1日 新年

元旦礼拝: 午前11時
聖書:ヨハネ黙示録21章5節
説教:「すべてを新しくされるお方」鴨下直樹牧師

1月4日 降誕節第2主日

主日主題: 解放
聖餐式礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書:ルカの福音書21章1-5節
説教:「自己からの解放」鴨下直樹牧師

礼拝後:誕生月の祈り、拡大役員会

1月11日 降誕節第3主日

主日主題: 癒し
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「ダニエルと3人の友人」河合和世
聖書:マルコの福音書8章22-26節
説教:「はっきりと目が見えるようになった人」内山光生牧師

礼拝後:礼拝準備会/月間予定確認会

1月18日 降誕節第4主日

主日主題: 信仰告白
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「ダニエルと獅子の穴」鴨下愛
聖書:マルコの福音書8章27-30節
説教:「ペテロの信仰告白」内山光生牧師

1月25日 降誕節第5主日

主日主題: 伝道
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「ネヘミヤの祈り」内山のぞみ
聖書:テモテへの手紙第二 2章1-7節
説教:「成長し、成長させる喜びを知る」アイマン・ドロテア師

礼拝後:伝道の学び会

2025 年 12 月 28 日

・説教 ルカの福音書20章41-47節「あなたの主はどんな方?」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 00:33

2025.12.28

鴨下直樹

⇒ 説教音声の再生はこちら


 先ほど、私たちは洗礼入会式を行いました。洗礼に先立ってSさんの救いの証しを聞きました。Sさんは芥見教会に来られて10年以上、いわゆる求道生活を続けてこられました。どうなったら自分はクリスチャンになれるのか、教会に通う間、ずっと考え続けてこられたのです。

 きっかけは今年の夏のことです。私たちの教会は「信徒交流会」という名称で、毎年7月の後半から8月いっぱい、教会の水曜日と木曜日の祈祷会の時間を使って、信徒のみなさんが順に一人ずつ証しをする時間をもうけています。まだ洗礼を受けていなかったSさんに、長老が「この時間に証しをしないか?」と声をかけたのです。

 そこで聞いたのが、先ほどの証しの内容でした。お姉さんがエホバの証人に入ってしまって、そこから助け出すために、今から30年ほど前でしょうか、Sさんは豊橋の教会を初めて訪問したのです。その時に、牧師から「お姉さんをそこから救い出す前に、まず自分が信仰とは何かを知る必要がある」と言われて、教会に通うように勧められたのです。それがきっかけでSさんは教会の礼拝に通うようになったのです。それ以来30年近く、引越しをしたりしながらも教会に通い続け、そして芥見教会に来られるようになったのです。でも、その間どうなったら救いが理解できるのか分からないまま、時間が過ぎてしまったようです。

 この信徒交流会でSさんの証しをお聞きして、すでに信仰の歩みをしておられることがよく分かりました。もうすでに信仰に生きているので、これ以上何がどう変わったら良いか分からなかったのです。お姉さんを導こうとする、さまざまな牧師の説教を聞き続ける間に、お姉さんではなく、Sさん自身が信仰に生きる者とされていたのです。今日からこうして、私たちの教会の一員として共に信仰の歩みをすることができることを、とても嬉しく思います。

 今日の説教題を、「あなたの主はどんなお方?」としました。この問いかけは、主からの私たち自身への問いかけです。みなさんも、それぞれ様々な主イエスとの出会い方をしてこられたと思います。「私にとって主イエスは、私の隣にいつもいてくださるお方です」という方もあるでしょう。「私を苦しみから救い出して下さったお方です」という方もおられるかもしれません。私たちは、それぞれに主イエスのイメージを持っていると思うのです。

 今日の聖書箇所は、そういうことを考える意味ではとても良い箇所と言えます。前回の終わりの言葉、40節にこう書かれていました。

彼らはそれ以上、何もあえて質問しようとはしなかった。

 主イエスがエルサレムに入られてから、ここまでずっとさまざまな質問が投げかけられてきました。きっかけは主イエスがエルサレムの神殿で商売をしていた人たちを追い出してしまったからです。それで、「あなたは一体何者ですか?」という質問が立て続けに投げかけられたのです。主イエスが彼らの問いかけに丁寧に、また見事に答えていかれる中で、彼らは主イエスの欠点を見つけることができず、質問することができなくなってしまいます。

 すると、今度は主イエスの方からお尋ねになられているのが今日の箇所です。主イエスの問いかけはこうです。

「どうして人々は、キリストをダビデの子だと言うのですか。」

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2025 年 12 月 21 日

・説教 マタイの福音書2章1-11節「礼拝をささげた博士たち」

Filed under: 内山光生師,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 00:12

2025.12.21

内山光生

それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。  

マタイ2章11節

序論

 先ほど、古川長老から絵画を通してのクリスマスのお話を聞くことができました。その絵画の中に東方の博士たちがキリストに礼拝をささげた場面があったと思います。今日は、その場面を中心として、いつもより短めの説教をさせて頂きます。

I エルサレムで質問した博士たち(1~2節)

 ではマタイ2章1~2節を見ていきます。

 イエス・キリストがお生まれになった時代に、当時のユダヤの国では、ヘロデ王が、その国を支配していました。それで、東の方からやってきた博士たちは、ヘロデ王のところに行って、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」がどこにいるかを尋ねたのです。

II 動揺したヘロデ王(3節)

 今の私たちの時代では、クリスチャンにとっては「キリストの誕生」は喜ばしい出来事です。いやクリスチャンでない人にとっても、クリスマスは、町がにぎやかになったり、おいしい食べ物で心が満たされやすい、そういう時期とも言えるのです。

 ところが、キリストが生まれた頃のユダヤの国は、キリストの誕生をお祝いすることが出来ない独特の雰囲気があったのでした。どうやら、ヘロデ王は人々からの評判が悪く、次々と周りの人々を殺害した結果、「あの王は、次に誰を殺すのだろうか。」とうわさされるような王だったのです。ヘロデは、なんと自分の妻や子どもさえも信頼できなくなり、殺害してしまった、そういう王だったのです。

 ですから、3節に「ヘロデ王は動揺した。」とありますが、彼は、本当に自分の地位が奪われるかもしれないと心配していたのです。そして、エルサレムの人々も、王がまた悪さをするのではないかと心配したのです。

 そういう訳で、ユダヤの国の中では、「キリストがお生まれになった」という知らせがあったにもかかわらず、人々は、王に目をつけられてはいけないと考えて、誰もキリストに礼拝をささげに行く人がいなかったのです。 (続きを読む…)

2025 年 12 月 14 日

・説教 マタイの福音書1章18-25「インマヌエルと呼ばれるお方」

Filed under: 内山光生師,礼拝説教 — susumu @ 07:18

2025.12.14

内山光生

「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。  

マタイ1章23節

※ 本日の礼拝説教は、内山師がインフルエンザにかかったために代読となっています。

序論

 皆さん、おはようございます。家族全員がインフルにかかりましたが、回復の方向に向かっています事を感謝いたします。来週には、皆さんにお会いすることができると思います。

 さて、今日は第三アドベントです。クリスマス礼拝が来週に迫っていて、世界中でクリスマスを待ち望む雰囲気が漂っていると思います。今日選んだのは、マタイの福音書によるイエス・キリストの誕生についての箇所です。マタイの福音書では、ヨセフ側の視点でイエス・キリストの誕生が描かれています。一方、ルカの福音書では、マリアの視点で描かれています。両方とも意味深い箇所です。今回は、ヨセフの視点で見ていきたいと思います。

I 聖霊によってみごもったマリア(18節)

 では18節から順番に見ていきます。

 まず確認したいのは、当時のユダヤ社会においては、現代の私たちとは異なる結婚の順序があったということです。すなわち、ユダヤ社会においては、男女二人が婚約をしたら、その時点で二人は夫婦と見なされていた、ということです。おおむね一年ぐらいの婚約期間のうちに、互いに結婚に向けての準備を進めていくのです。

 ですから、マリアとヨセフは、すでに夫婦と見なされているけれども、しかし、まだ結婚している訳ではなかったのです。つまり、マリアが妊娠するというのは、あってはならない事だったのです。けれども、ルカの福音書を読むと、マリアのお腹にイエス様が身ごもった時に、御使いがマリアの前に現れて、聖霊によって身ごもったという事実をお告げになりました。それで、マリア自身は戸惑いながらも、感謝な事として受け止めたのです。

 ところが、聖書にははっきり書かれていないのですが、このマタイの記述を読むと、どうやら、マリアは御使いからのお告げがあった事や自分が聖霊によって身ごもっているという事を周囲に伝えていなかったように感じるのです。マリアは、感謝な思いを心に秘めつつ、沈黙を守っていたのでしょう。

 しかしながら、マリアのお腹が大きくなってくると、お腹に赤ちゃんがやどっている事実を隠しておくことができなくなります。それで、ついに、ヨセフはマリアが妊娠しているのに気づいてしまったのです。事情を知らないヨセフにとっては、様々な苦しい感情が心に湧き出ていたのではないうかと思うのです。例えば、「どうしてマリアは私を裏切ったのだろうか。」あるいは、「もしかしたら、誰かに乱暴をされたのではないか。その相手は誰なのだろう。」そういう感情が出てきていたとしてもおかしくなかったと思うのです。

 聖書は、ヨセフがどのように苦しい思いをしたかについては、一切、沈黙しています。ですから、本当のところは分からないのですが、ヨセフ自身が自分には身に覚えがないとなると、他の誰かと何かがあったに違いない、そう考えるのはごく自然な反応だと思うのです。 (続きを読む…)

2025 年 12 月 7 日

・説教 ルカの福音書20章27-40節「人はみな神に生きるのだから」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 07:12

2025.12.07

鴨下直樹

⇒ 説教音声の再生はこちら

 今日の聖書の箇所は、私たちにとってとても興味深い箇所です。というのは、天の御国に行った後、夫婦の関係はどうなっているのかということが書かれている箇所だからです。先日の祈祷会でも、みなさんいろんな意見を出されて、大変興味深い時となりました。

 実は、今週の月曜に私の東海聖書神学塾の恩師でもあった鈴木健二牧師が突然召されました。日曜の礼拝には元気に顔を見せて、みんなと一緒に食事をしておられたのに、その日の晩に、脳梗塞で召されてしまったというのです。この鈴木先生は、この地域のキリシタンの研究家でもあり、東海地区の宣教の歴史を丁寧にまとめ上げて、神学塾で昨年まで講義を受け持っておられました。難しい古文書などの解析にも長けておられた先生でした。そのために後任の教師を探すことが難しく、誰かが鈴木先生の講義を引き継がなければという話をしていたばかりだったのです。

 今日の聖書には36節でこう書かれています。

「彼らが死ぬことは、もうあり得ないからです。彼らは御使いのようであり、復活の子として神の子なのです。」

 とあります。天の御国で復活した人は、そこで御使いのような存在として、まさに復活の子として生きている、そのように書かれています。天の御国に生きる者とされた人は、そこで神と共に生きるものとされているのです。鈴木先生もまた、今、天の御国で復活の子として歩んでおられるのだと、今日の箇所から私自身も慰めを受けたのでした。

 私たちは、天の御国へいく時、そこで果たしてどんな生活をするのか、とても興味があります。それこそ、葬儀でよく語られる内容として「天の御国で再会」というテーマがあります。先月も私たちは召天者記念礼拝を行ったばかりです。すでに天に送った信仰の友や、家族のことを覚える時に、私たちは天の御国でもう一度再会する時のことを思い巡らしながら、その時をとても楽しみにしています。そんなこともありますから、私たちは天の御国、その人たちが、今どんな生活をしているのかと、想像することもあると思うのです。

 今日の箇所は、主イエスに対して神殿側の人間である祭司長や、律法学者たちとの議論が終わって、また別の種類の人が登場して主イエスと議論をしています。今回新しく登場するのは、「サドカイ派」の人々です。この27節では「復活があることを否定しているサドカイ人たち」とあります。この人たちは、旧約聖書のモーセ五書だけを重んじる人々で、モーセ五書には「復活の話が書いてない」ということを理由に、復活はないと考えている人たちでした。

 確かに、旧約聖書を読んでいると、新約聖書のような「永遠のいのち」とか、「復活」というテーマはあまり出てきません。むしろ、「この地上で長く生きることができる」とか、「千だいに至る祝福」という言葉が多くて、その内容は、先祖に与えられた土地を、子孫が受け継いでいくことが神の祝福であるという考え方があるのです。ですからサドカイ派のような考え方も当然できるわけです。ここでサドカイ人が主イエスに復活はないことの証明として、聖書の申命記に書かれている「レビラート婚」という結婚についての考え方を取り上げています。これは、ここに書かれているように、子孫が先祖の土地を受け継ぐために、子どもがないままに夫が死んでしまった時には、弟たちが、その土地を受け継ぐべく兄嫁を妻として迎えるということが書かれているのです。それで、一つの例として、そうやって兄弟七人が次々に兄の妻を迎え入れたとして最後に、子どもが生まれないままみな死んでしまったとしたら、その妻は天の御国があるとしたら、誰の妻となるのか? ということを問いかけたわけです。この例は極端ですけれども、弟とその弟くらいまでが引き継いで土地を治めようと思ったけれども、子どもが与えられないままに亡くなってしまうようなケースというのは、当時も考えられたわけです。ただ、そうなると復活があった場合、天国では少しおかしなことになるのではないか? そう考えるとやはり、復活ということを考えるのは無理があるのではないかというのが、このサドカイ人の主張なわけです。

「では復活の際、彼女は彼らのうちのだれの妻になるのでしょうか。七人とも彼女を妻にしたのですが。」

33節にはそう記されています。

 サドカイ人には、サドカイ人の理屈があります。彼らの理屈では、この主張は正しい主張なのでしょう。それほどに、当時の価値観は土地を子孫に残すということが重要視されていたのです。日本でも100年ほど前までは同じような価値観がまだ存在していたと言えると思います。お家を存続させるために、先祖伝来の土地を守り継いでいくためには、個人の気持ちは無視される、そういう価値観です。

 しかし、この例に挙げられているような女性が存在したとしたらどうでしょう。死後にまで、この世のしがらみを持ち出され、一体誰の妻であるのかなどと言われたら、そんな天国ならいらないということにはならないのでしょうか。そういった想像の余地がないほどに、この時代の人々の価値観は絶対視されていたのです。 (続きを読む…)

2025 年 12 月 1 日

今月の礼拝予定(2025年12月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 14:27

12月7日 降節第2主日

主日主題: 主権
聖餐式礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書:ルカの福音書20章27-40節
説教:「人はみな神に生きるのだから」鴨下直樹牧師

礼拝後:誕生月の祈り、役員会

12月14日 降節第3主日

主日主題: インマヌエル
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「インマヌエル」内山のぞみ
聖書:マタイの福音書1章18-25
説教:「インマヌエルと呼ばれるお方」内山光生牧師

礼拝後:芥見コイノニア、聖歌隊練習、礼拝準備会/月間予定確認会

12月21日 降節第4主日

主日主題: 降誕
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:アートから読み解くクリスマスミステリー
聖書:マタイの福音書2章1-11節
説教:「礼拝をささげた博士たち」内山光生牧師

礼拝後:クリスマスランチ会

12月24日 聖夜

燭火礼拝: 19時
聖書:ルカの福音書2章1-7

12月28日 降誕節第1主日

主日主題: 喜び
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書:ルカの福音書20章41-47節
説教:「あなたの主はどんな方?」鴨下直樹牧師

礼拝後:祝会

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