・説教 エペソ人への手紙 6章10-24節「神の武具を身に着けて」
2016.08.14
鴨下 直樹
エペソ人への手紙をはじめから順に聞き続けて来ました。今日で、最後の箇所になりました。この10節にはこう記されています。
終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
「終わりに言います」とありますから、パウロはここで手紙を締めくくろうとしているわけです。しかし、ここで語られているところは、非常に豊かな内容のある手紙の言葉です。それで、この箇所からだけでも一冊の本が書けてしまうほど、豊かな内容があります。けれども、「終わりに」とありますから、今日のところで終わりになるようにしたいと思います。
このエペソの手紙は教会の手紙と言われます。教会の歩みは、ひとりひとりがキリストのように歩むことです。そして、最後にパウロはここで三つのことを語りながらそのまとめとして、キリストのように歩むために生じる信仰の戦いについて語っています。
エペソ人への手紙はその最後に信仰には戦いがあるということを書いているわけです。信仰生活には実際にさまざまな戦いがあります。どのように信仰を証ししていくかという戦いもあるでしょう。あるいは、罪との葛藤もあるかもしれません。あるいは、信仰に生きるということ自体が戦いになることもあるのだと思います。パウロはこの手紙で、キリスト者のひとりひとりの生活が教会の歩みそのものなのだということを語りながら、最後に
主にあってその大能の力によって強められなさい。
とまず勧めています。これが最初の第一の勧めです。
「強められなさい」というのは命令形の受動態で書かれているからです。「強めていただきなさい」というわけです。神様に強めていただいて、信仰の戦いを戦うのだということを、最後に確認しようとしているのです。というのは、信仰の戦いというのは、自分の力でするものではないからです。それで、ここでも「主にあって」と言っているのです。 (続きを読む…)