・説教 ヨハネの福音書2章5-10節 「信」
本日は山田健長老が説教をして下さいました。
2014.4.20
鴨下 直樹
今日はイースターです。イースターの祝福がみなさまの上に豊かにありますように。今年は久しぶりに朝早くからみなさん教会にお集いになられて、共にイースターの朝食会をいたしました。日曜の朝早くからずいぶん多くの方々が参加してくださり、共に食事をすることができました。また、そこですでに聖餐をいたしました。お腹も満たされて、聖餐も受けたので、もう帰ろうとなさる方があるかと思いましたが、幸いみなさん、こうして礼拝に集ってくださり、共に主の復活を祝うことができることをとてもうれしく思います。
モーニング・サービスと言う言葉があります。もともとは、朝の礼拝という意味の言葉ですけれども、私たちにとって馴染み深いのは、喫茶店のモーニング・サービスのことでしょう。何かの番組で見ましたけれども、岐阜県というのは外食にお金を使うのが、全国で二番目の県だそうです。私もびっくりしたのですけれども、そのほとんどがモーニング・サービスなんだそうです。朝、喫茶店に行きまして、朝からコーヒーを注文しますと、サービスでトーストと玉子がついてくる。このあたりにお住まいの方、あたりまえの文化のようですけれども、全国的な習慣ではないんだそうで、東京の方はたいてい、このモーニング・サービスというの見て驚く方が沢山おります。
けれども、もともとは、モーニングにコーヒーを注文すると、トーストがサービスでついてくることではなくて、「朝、礼拝をすること」というのが、モーニング・サービスです。そういう意味でも、今朝、芥見教会のみなさんは、朝、モーニング・サービスをする前に、一緒にモーニング・サービスを受けまして、コーヒーと、パンと、イースターエッグをいただいたわけですが、礼拝のサービスのほうがもちろん大切なわけです。
なぜ、こんなだじゃれのような話から始めたのかと言いますと、今日は、このサービス、礼拝ということについて、この箇所から少しみなさんと考えてみたいと思います。 (続きを読む…)
カナダからやってきた子育て支援プログラム「ノーバディズ・パーフェクト」は、「完璧な親も、完璧な子どもも、存在しない」というメッセージのもとに作られた、子育て中の親さんを支援するプログラムです。
日頃感じている悩みや関心のある事について、グループで話し合っていきます。
専門の研修を受けた「ファシリテーター」が進行のお手伝いをしますけれど、そこには「講師」や「先生」はいません。
誰もが、ありのまま受け入れられている。そういう場をとおして、自分自身の長所に気づき、(完璧ではないけれど)「ベストをつくす」「必要なときには、まわりから助けを借りる」ことを学びます。
全6回: 2014年 6月11日~7月16日 毎週水曜日
時間: 午前10:00~12:00
参加費: 無料(茶菓代 1回につき200円) 託児あり
定員: 10名(最少開催人数 3~4人) ※申込締切 2014年6月4日(水)
進行: NP認定ファシリテータ
山田 茜(CFRC)、鴨下 愛(CFRC)
2014.4.13
鴨下 直樹
今日の箇所は最初に主イエスがなさった奇跡の御業が記されているところです。しかも、興味深いことに、その最初になさった奇跡は水をぶどう酒に変えるというものです。一般的に日本の教会では、禁酒・禁煙というイメージがあるかもしれませんけれども、そのイメージを大きく覆すものです。結婚の宴の席です。当時の結婚式というのは一週間かけてお祝いをいたしました。連日、ご馳走を食べて、ぶどう酒を飲む、中には相当飲んだ人もいたと思います。あまりにも沢山飲んだからでしょうか、準備していたお酒が足りなくなってしまいます。そこで、主イエスの登場です。「さぁ、みなさん、もう十分飲んで楽しんだでしょう。そろそろ、お酒もなくなったことですし、今度は私の話でも聞いてください」と言って、説教を始めたってよさそうなものです。ところが、あろうことか、さらにお酒を造ります。約100リットルの水がめ6つ分もです。一人一リットルで考えても600人分。当時の結婚式に何人来ていたか知りませんし、あと何日残っていたかも分かりませんけれども、十分な量であったに違いありません。しかも、極上のワインを準備なさったというのですから、本当に不思議です。
今週から教会の暦では受難週に入ります。いよいよ、主イエスの十字架を思うときを迎えているのですけれども、そういうときに、この奇跡の物語を私たちはどのように聞いたらよいのでしょうか。聖書に記されている奇跡物語、特に、このヨハネの福音書では七つの奇跡が記されています。どれも不思議なものばかりです。私たちは聖書を読むときに、この奇跡というのを、どのように理解したらよいのでしょうか。 (続きを読む…)
2014.4.6
鴨下 直樹
今週の金曜日、私が関わっております名古屋の東海聖書神学塾で入塾式が行われました。この春に神学生となって新しく学びを志す人たちの歓迎のときを持ちました。そのようにして、学びに来る方々は、礼拝の後で短い自己紹介をいたします。「なになに教会の誰それです」と紹介します。みなさんも、この春から新しい職場や新しい環境に移ったりして自己紹介をする機会が多くなる季節だと思います。新しく神学塾で学びを志す方々を見ながら、これからどんな働きをしていくことになるのかとても楽しみにしています。今日の聖書にも、二人の弟子たちが紹介されています。最初に出てくるのは、ピリポです。
ピリポは、ベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であった。
と、44節に記されています。ベツサイダというのは、ガリラヤの出身ということです。つまり、主イエスと同郷の人々ということです。最初に弟子になった、アンデレやペテロ、そして、今日のところで登場するピリポやナタナエルという弟子たちはみな、主イエスと同じ町の出身者だったのだということをここで記しているわけです。
昨日の神学塾の入塾式でも、ご自分の名前を面白おかしく紹介してくださった方がありました。そうすると、どうしても印象に残りますからその方の名前を覚えてしまいます。このヨハネの福音書もそうです。主イエスの弟子となった一人ひとりをここで順に紹介していますが、この最初の弟子たちはみな主イエスと同郷の人々であったことを印象づけようとしているのです。
しかも、ヨハネはそればかりでなくて、主イエスについてもありとあらゆる紹介の言葉がこのところに立て続けにならべられています。そうすることによって、これから紹介する主イエスがどのようなお方であるのかを、この福音書を読む人々にイメージ豊かにうけとってもらいたいと思っているのです。
少し、この一章の後半部分に記されているものだけでも拾い上げてみたいと思います。 (続きを読む…)
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