2014 年 3 月 30 日

・説教 コリント人への手紙第Ⅱ5章13-15節 「キリストの愛に動かされて、イエス様のためにいきましょう。」

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 22:08

本日は、ホープユースセンターのアイマン宣教師ご夫妻が説教と10年間の歩みを報告して下さいました。

2014 年 3 月 23 日

・説教 ヨハネの福音書1章35-42節 「何を求めているのか?」

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 20:05

2014.3.23

鴨下 直樹

「あなたたがたは何を求めているのですか。」

これが、このヨハネの福音書の中で最初に主が語りかけられた言葉です。主イエスは、ご自分に付いて来た者に向かって尋ねられました。この弟子たちは先日までバプテスマのヨハネの弟子でした。ヨハネが語る言葉にそれまでは何かあると感じていた人たちです。そのヨハネが主イエスを指し示して、このお方は「見よ、神の小羊」と言ったのです。そうヨハネが言うのを聞いて、イエスに従ったと記されています。このヨハネの弟子達だったうち、一人はシモンペテロの弟アンデレと名前が紹介されています。もう一人ははっきりしません。この二人は、最初から、主イエスが苦しみの道を歩むお方だということを知っていたのだと、この福音書は意図しているようです。けれども、このお方が「神の小羊」であるということが何を意味するのかはまだこの時には良く分かっていなかったようです。まだ出会ったばかりで、二人の弟子にしてみてば、イエスというお方が良く分からない時に、主イエスはこう尋ねられたのです。「あなたがたは何を求めているのですか」と。

この問いかけは、私たちすべてに向かって今も問いかけられている問いです。「あなたは、何を求めてきているのですか」。私たちは何を求めて、教会に集い、こうして礼拝をささげているのでしょうか。しかも、私たちは知っています。このお方がやがて十字架の上で殺されてしまうお方だということを。十字架で人の手にかかって殺されてしまうお方に、私たちは何を期待しているのでしょうか。

今、主イエスの受難を覚えるレントの季節を迎えています。そこで私たちは、自分自身にもう一度問わなければならないのは、「私は何を求めているのか」ということなのかもしれません。 (続きを読む…)

2014 年 3 月 16 日

春の新講座のご案内

Filed under: お知らせ — susumu @ 21:36

春の新講座のご案内

・説教 ヨハネの福音書1章29-34節 「世の罪を取り除く神の小羊」

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 20:37

 

 

2014.3.16

 鴨下 直樹

 

 受難節を迎えております。先日の祈祷会で、ひとつの絵を紹介いたしました。ウイリアム・ホルマン・ハントの描いた『死の影』という作品です。この絵は、ナザレの大工の仕事場を描いています。一日の仕事を終えて、働き続けていた大工の青年が起き上がって腕を伸ばしています。ちょうどそのとき、沈みかけた太陽の光が、この青年を捕らえて、背後の壁にその影を映し出します。すると、その影は十字架の形を映し出す。それで、この青年が主イエスだと分かるのです。ジェームス・スチュワートの書いた『受肉者イエス』という主イエスの生涯を記した本があります。これは、主イエスの生涯を記した数ある本の中でも私がもっとも優れた本だと思っているものです。座右の書です。このスチュワートの書いた主イエスの生涯の、主の受難の物語を書き記すための冒頭の記事で、スチュワートはこのホルマン・ハントの絵を紹介しました。先日の祈祷会で、このスチュワートの書いた文章も一緒に読みました。昔、同じ名前の俳優がいたようで、同じ人が書いたと思った方がいたようですけれども、残念ながら別人です。このスチュワートはイギリスの聖書学者です。

 スチュワートはこのホルマン・ハントの絵を紹介しながら、主イエスはその生涯の最初から、十字架に向かっていかれることを知っておられたけれども、弟子たちにはそのことが理解できず、主イエス一人で決然と十字架への道を歩んでいかれたのだと記しています。主イエスの生涯の初めから、十字架の影は、死の影は差し込んでいたのだ。イギリスの画家、ホルマン・ハントはそのように主イエスを描いたのだと紹介しているのです。

 

 今日、私たちに与えられている聖書の箇所は、いよいよ証言者ヨハネの前に、主イエスが登場するところです。ヨハネがバプテスマを授けていると、そこに主イエスがあらわれるのです。二十九節にはこう記されています。

その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

ヨハネは主イエスをご覧になって、そう告白しました。主イエスを見るなり、このお方が世界の罪を取り除くために来られた犠牲の小羊となられるのだと宣言したのです。

 小羊というのは、説明が必要かもしれません (続きを読む…)

2014 年 3 月 9 日

・説教 ヨハネの福音書1章19-28節 「証言者ヨハネ」

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 21:21

2014.3.9

鴨下 直樹

先日の祈祷会でこんな話がでました。礼拝の説教より聖書研究祈祷会でする私の聖書の話のほうがいい、とある方が言われました。というのは、礼拝の説教では質問できないけれども、聖書研究祈祷会ではいろいろ質問できるし、みんなの意見も聞けるのでとても具体的に聖書の言葉を理解できるというわけです。これに対してほとんど反対意見がでませんでしたので、そう思っておられる方々が多いのかもしれません。これは、牧師の私としては少し急所を突かれた思いで、その後で説教の話をいたしました。説教も本当は牧師が一方的に話しているわけではないのです。説教の勉強をしますと、そこで必ずでてくるのが、説教というのは牧師の一人しゃべりなのかという問題です。私は説教塾という加藤常昭先生が教えてくださっている説教の学びのグループに参加させていただいています。そこでは、説教は対話でなければならないということを嫌というほど学ばされます。聖書を読んで、それが、教会の礼拝に集う一人ひとりの心に届くようにするために、この説教塾では黙想ということを教えてくれます。どうしたらこの聖書がその人の心に届くのか。そのためにはやはり普段から教会の方々に耳を傾けながら、この教会にこられる方々のことを思い巡らしながら、御言葉を語る備えをする必要があるのです。ですから、私はこの講壇から確かに一人でお話をしておりますけれども、この話は、普段の対話の中から生まれたものと言えるわけです。そこで、そのときにもお話したのですけれども、説教を聞いて今日の説教は自分には良く分からなかったということがあれば、できるだけ遠慮なく私に言って欲しい。それが、説教が対話になるためのとても大事な要素なのですとお話しました。

すると、ある方が、ではと、待ち構えたように一言、言わせて欲しいと言われまして、こんなことを言われました。 (続きを読む…)

2014 年 3 月 2 日

・説教 出エジプト記20章17節 「むさぼりの心からの自由」

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 14:55

 

2014.3.2

鴨下 直樹

 

 十戒を学びはじめましてようやく今日で最後の戒めの部分を学びます。順にこのように十戒の意味を学んでいきますと、私たちを導いてくださる主が、私たちにどのように生きることを願っておられるかが少しづつ見えてきたのではないかと期待しています。私たちの主が願っておられるのは、主によって支えられていることを覚えながら、お互いをも支え合って生きていくことができる生活を語っていると言っていいと思います。そのように考えてみますと、この十戒の最後の部分、この「あなたがたの隣人の家を欲しがってはならない」という第十の戒めの意味も、もうすでに何を語ろうとしているのか分かってきます。人のものを欲しがらなくても、安心して生きることができる喜びを知ってほしいと主が願っておられるということです。

 「欲しがってはならない」。この言葉だけをそのまま考えてみますと、もうこの戒めを守ることは不可能に思えてきます。子どもが生まれてから最初にする能動的な行為は、この欲しがるという行為です。ミルクが欲しい。もっと欲しいと切実な嘆きと共に訴えかけられると、親としてはどうしたって与えたくなります。ミルクを卒業して色々なものを食べるようになりますが、それでも、またもっと欲しいと訴えかけます。説教の時に、私は出来るかぎり自分の子どものことを話さないようにと思うのですけれども、最近、祈祷会でもそうですが、たとえで話すのはほとんど子どもの事ばかりになりつつあるので、だいぶ反省しています。それでも今日もお話しするのをお許しいただきたいと思いますが、先日も幼稚園の先生が園での様子を書いてくれる手帳の中に「お昼御飯は一回おかわりをしましたが、まだ足りない様子でした」と書かれていました。本当に、食べたがります。どうやって欲しがるのをやめさせたらよいのだろうかと毎日考えていますから、今日の聖書の箇所を読みながら、もうほとんど絶望的な気持ちになるのです。

 人間は小さい時からずっと、欲しい、欲しいと訴え続けて大人になっていくものです。考えてみれば、私たちの生活の大部分が何かを手に入れることで成り立つ社会の中で生きているのです。そして、その中から豊かさというものを味わって生きていくのです。子どもを見ていてもそうです。子ども同士で自分の持ち物を取りあう、兄弟と奪い合う、そうして、自分の所有権を主張しながら争いをつづけて、大人になっていくのです。

 

 第八の戒めであった「盗んではならない」を学んだ時に、物を盗むことは第十の戒めで考えられていて、第八の戒めは、何よりも人を盗むことが戒められていて、物に対して戒められているのがこの第十戒だとすでに説明しました。ところが、この聖書の言葉を読んでいきますとこう記されています。 (続きを読む…)

2014 年 3 月 1 日

今月の礼拝予定(2014年3月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 21:53

3月2日 降誕節第十主日

主日主題: 愛
聖書: 出エジプト記20章17節
説教:「むさぼりの心からの自由」 鴨下直樹牧師
聖餐式

午後:各部会、聖歌隊練習(14:00~)、手話講座(15:00~)

3月9日 受難節第一主日

主日主題: 証し
聖書: ヨハネの福音書1章19-28節
説教:「ヨハネの証言」 鴨下直樹牧師

午後:伝道部会、聖歌隊練習(礼拝後)、役員会(13:30~)

3月16日 受難節第二主日

主日主題: 小羊
聖書: ヨハネの福音書1章29-34節
説教:「世の罪を取り除く神の小羊」 鴨下直樹牧師

午後:礼拝準備会・月間予定確認会、聖歌隊練習(礼拝後)

3月23日 受難節第三主日

主日主題: 服従
聖書: ヨハネの福音書1章35-42節
説教:「何を求めているのか?」 鴨下直樹牧師

午後:聖歌隊練習(礼拝後)、教団三月総会(於:岩倉教会)

3月30日 受難節第四主日

主日主題: 悔い改め
聖書:
説教:アイマン・ヨーグ宣教師

午後:女性会、聖歌隊練習(14:00~)

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