・説教 ヨハネの福音書13章15節 「模範を示す主イエスキリスト」
本日はマレーネ・シュトラスブルガー師が説教をして下さいました。
2014.2.16
鴨下 直樹
十戒を学び始めてようやく第九戒まできました。最初にこの十戒を学ぶことは自由の道標となるという、ロッホマンという人の言葉を紹介しました。私たちはこれこれをしなければならないという戒めを聞くと、それをまもならければならないなら、それは自分の自由を奪われることになってしまうとすぐに考えてしまうものです。実際、戒めに従う生活ということだけに心を向けていきますと、不自由を感じると思います。しかし、すでにここまで十戒の戒めを学んできて、この戒めの背後に神がどれほど深い愛をもってこの戒めを与えてくださったか。神はこの世界でどのように生きることを願ってこの戒めを与えられたのかが少しづつお分かりいただけたのではないかと期待しています。
神に支えられて生きる歩み、そして、私たちと一緒に生きている人々と共にどうしたら豊かに生きることができるか。そのためにこの十戒を心にとめることによって、私たちは神が私たちを本当に自由に生きることができるようになることを望んでおられることを知ることができるのです。
今日も、この後で教会総会を行ないます。みんなで話し合いながら昨年の教会の報告を聞き、また、新しい一年の計画を立てます。そして、その背景には同盟福音基督教会の教会憲法や教会規則にのっとって話し合いが進められます。普段、あまり教会憲法とか教会規則というものにふれる機会がありませんから、こういう時に、私たちはこういう制度をもっている教会なのだということを改めて感じるかもしれません。先日も、舛田神学生が教団の補教師試験を受けました。この補教師試験というのは、教団の規則集をあらかじめ渡しておきまして、さまざまな教団の規則がどのようになっているのかを質問して、それに答えていきます。そうすることによって、この教会の規則を正しく理解してもらうわけです。こういう規則だとか憲法というもののうえに教会は建て上げられて行きます。おなじようにこの十戒は、人として最も基本的なことを教えている、生きていく上での大切な使信だということができると思います。
今から学ぼうとしているこの第九戒は「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。」という戒めです。 (続きを読む…)
2014.2.9
鴨下 直樹
「盗んではならない」とあります。二歳になった娘の慈乃が、週に数回ですが幼稚園に通っています。ご覧になった方も多いと思いますけれども、とても食べるのが好きな子です。幼稚園の給食の時間も人一倍食べ終わるのが早いようで、どうも聞いていますと、隣のまだ食べている子どものお皿に手を伸ばしてしまうことがあるようです。私たちがまだ食べていても、私たちのお皿に手を伸ばしてきますから、そういうこともあるだろうと思うのです。いくら「それは盗みである」と教えても、「まだ食べたいんだから何が悪い」と言わんばかりに泣いて抗議します。もちろん、少しづつ学んでいくことですからそれほど心配しておりません。むしろ、そんなに食べて大丈夫かということのほうが心配なくらいです。しかし、いつかは学ばなくてはなりません。人のものを取ることがどれほど悪い事なのか。自分もそうされてみて気づいていくのでしょうか。
そのことを考えてみてもそうですけれども、「盗んではならない」という戒めを正しく理解するために必要なことは、想像力を持つことです。奪われた相手がそのことでどれほど悲しい思いをし、悔しい思いをするか、自分に当てはめてみればすぐに分かることです。ところが、なかなかいつまでたっても、新聞やニュースから盗むという事件が姿を消すことがないのです。
「盗み」と一言でいっても、そこには様々なものがあります。 (続きを読む…)
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