2016 年 1 月 31 日

・説教 エペソ人への手紙1章3-14節「みこころの奥義(ミステリー)」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 17:39

 

2016.01.31

鴨下 直樹

 
 昨年の10月から東海聖書神学塾で説教学を教えることになりました。どのように説教をするのか、教会で聖書を語る奉仕をしている方は少なくありません。私たちの教会でも役員はほぼ一年に一度ほど説教をします。あるいは、教会で子どもたちに聖書を語る教師もみことばをどのように語るのかしっかりと学ぶ必要があります。今、神学塾で九人の方々が受講しているのですが、ルカの福音書の第十五章、いわゆる放蕩息子と言われているところからの説教演習をしています。先日で3回目になりますが、すでに七人の方から同じ箇所の説教を聞き続けているわけです。説教を聞いた後で、それぞれに批評しあうのですが、私は最後にどこが良くて、どこが悪いのかということを分析して、できるかぎり本人がしたいと思った意図をつかみとってやりながら、その人が伝えたいと思っていることがどうしたら効果的に伝えられるのか解説をします。

 そのなかで、説教を作成する前にも注意をするのですが、文章のセンテンスは短くすること。原稿に書くのであれば、一つの文章で一行半までにおさまるようにまとめるよう指導します。私がいつも気をつけていることでもあります。一つの文章の中に、いくつもいくつも言いたいことを入れ込みますと、聞いている方はもう何を聞いているのかさっぱり分からなくなってしまうのです。

 実は、このエペソ人への手紙にもその問題があります。これはエペソなどの小アジアの教会で回覧された手紙です。おそらく、礼拝の時に、今の説教の代わりのようにしてそのまま朗読されたと考えられます。ところが、この文章が少しまずい。今日は予定を変更して3節から14節までとしましたけれども、実は、この3節から14節までが一つのまとまった文章なのです。14節にきてようやく文章の最後に「。」(句点)が付くのです。日本語の翻訳は、さすがにそのまま訳しますともう訳が分かりませんので、何度も何度も文章を短く区切っています。

 この長い一つの文章の中には神の選びについて、罪の赦しについて、そしてみこころの奥義についてが書かれています。しかも、その一つの文章の中には「私たちは」という主語も入っていれば、「神は」という文章もあります。13節からは「あながたがは」という主語まで出て来ますから、もう翻訳する方は大変です。翻訳をする方はみんな苦労しながら、パウロの言いたい意味をつかみ取って、まぁこういうことが言いたいのだろうと推測をしながら、文章を切り分けていく作業をしているわけです。そのおかげもあって私たちもその書かれた文書を何となくこういう意味かなと理解することができるわけですが、すっきりしない部分も残るわけです。ですが、安心してください。この手紙の意味が分からないとしても、みなさんの理解力がないからでも、翻訳者が悪いわけでもなくて、もともとの文章が分かりにくいからなのです。

 今日は、主に7節以降のところの内容に注目してみたいと思っているのですが、7節でパウロは、キリストの血による罪の赦しのことを神の恵みだと言っています。そして、8節では、この罪の赦しの恵みは、神が知恵と思慮深さをもって、この恵みを分からせてくださると言っているわけです。
 そこまできますと私などは安心するわけです。ああ、パウロの文章は理解できなくても、神の知恵と思慮深さでもって、この難しいパウロの理屈もすべてそっくりまとめて分からせてくださると言っているのです。 (続きを読む…)

2016 年 1 月 17 日

・説教 エペソ人への手紙1章1-6節「キリストのうちに選ばれて」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 16:44

 

2016.1.17

鴨下 直樹

 
 芥見教会は今日で宣教を開始して35周年目を迎えます。35年前、ストルツ先生によってこの芥見の地で宣教が開始されました。ストルツ先生は、この芥見の前は古知野教会で伝道しておられました。当時古知野でストルツ先生からドイツ語を学んでいたA兄に、ストルツ先生と一緒にこの芥見の地を見にきて、ここで伝道をはじめることになったという話を聞きました。私の父はこのストルツ先生と一緒に同盟福音の開拓期を一緒に伝道してきたので、私は子供の頃からよくストルツ先生の名前を聞いていましたし、以前いた教会もストルツ先生の開拓された古知野教会でした。この芥見教会に来た時も、ストルツ先生の開拓をされた教会で、不思議な神様の導きを感じています。

 ドイツにおりました時も、日本に戻ったら芥見で牧師になるという話をストルツ先生にお話ししましたら、ストルツ先生ご夫妻がとても喜んでくださったことを私は忘れることが出来ません。そのような不思議な縁があることを何か運命じみたものとして理解することもできるのかもしれませんが、私としては不思議な神様の導きだと感じています。

 これまでヨハネの福音書から連続して講解説教をしてまいりました。アドヴェントからは、すこしヨハネを離れましてクリスマスに関する箇所から説教しまして、新年は年間聖句、また教団の五か年計画の箇所と説教してきました。ですから、今日からまたヨハネに戻ると思っておられた方々がおられると思いますけれども、今日からエペソ人への手紙からみ言葉を聞きたいと思っています。というのは、ヨハネの福音書は最後の受難の箇所を残すのみになりまして、イースターの時にちょうどヨハネの福音書20章から説教したいと考えていますので、逆算して2月からまたヨハネに戻ります。イースターの後はエペソ人への手紙の説教を考えておりますので、今月は少し先だってこのエペソ人への手紙の冒頭からみ言葉を聞きたいと思っています。

 エペソ人への手紙はパウロが教会についての教えを書いた手紙として知られている箇所ですが、実はいくつかよく分からないところがあります。たとえば、この「エペソ」あての手紙ということになっているのですが、一番古い年代の写本にはどれもエペソという名前が書かれていません。あとで、エペソと書き足されたことが分かっていますので、直接エペソの教会宛に書かれたのかどうかは、今となってははっきり分からないのです。ただ、どうもこの手紙はエペソのありました小アジアと呼ばれていた地域に宛て書かれた手紙であることは間違いないようですから、エペソの教会にも当然読まれることを想定して書かれました。

 また、最近の聖書学というのはすごいと感心するんですが、このエペソ人への手紙で使われている用語が、他のパウロが書いた手紙の用語の使い方と著しく異なっているため、パウロが書いたのではないのではないかと考えられるようになったわけです。ただ、どの聖書学者もそうはいってもパウロの信仰がここで書かれているには違いないので、パウロの弟子がパウロに代わって書いたのではないかなどと考えられています。いずれにしても、私は手紙の著者をパウロとして語っても何も問題ないわけですから、著者をパウロとして説教したいと思っていますのでご理解いただきたいと思います。

 また、この手紙は牢獄に捕えられている時に書かれた獄中書簡であると言われてきました。3章1節や4章1節で、パウロは自分のことを「囚人」と言っています。獄につながれているというのは、どういう状況なのか、今日と同じような状況であったのかどうか、それもなかなか想像することは難しいのですが、捕えられて思うように行きたい所にいくことができず、常に監視されるような中で、パウロに出来ることといえば主を賛美すること、そして、これまで以上に深い思索をする時間が持てたということでもあります。そういったパウロの状況がこの手紙を書かせたと言えます。 (続きを読む…)

2016 年 1 月 10 日

・説教 マルコの福音書12章28-34節「次世代のために献身する」-同盟福音キリスト教会五か年計画の聖句より

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 12:12

 

2016.1.10

鴨下 直樹

 
 昨年の11月に教団総会が行われました。そこで、2016年から2020年までの教団五か年計画について決議されました。そこで、私たち同盟福音キリスト教会は、「次世代のために献身する」をテーマにこれから五年間歩んでいくことを決めました。そして、今日の聖書の箇所はそこで取り上げられた箇所です。

 2015年の11月総会にこの「次世代のために献身する」というスローガンが打ち立てられました。そして、総会資料にはこういう説明文がつけられていました。少し読みたいと思います。

マルコの福音書12章28-34節を選びましたのは、私たちのすべての献身の根源が、神様の最も大切な命令にあると思ったからです。「イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。この二つより大事な命令は、ほかにありません。」愛の神様でなければ、愛の命令はできません。愛することは献身することです。神様のご命令に立ち返り、神様ご自身と隣人(次世代)への愛の献身を深め、広げていきましょう。

そのように書かれています。

 私たちの教団は今年で宣教60年を迎えます。私たちの同盟福音キリスト教会は、開拓の教会も合わせて27教会、約1000人の教会員がいます。これでもここ十年の間、教会の人数はほとんど増えていません。そして、この間に経済的に維持することが難しい教会の数はどんどん増え続けています。幸いなことに、これまで教会で牧師として働く献身者は多く与えられてきましたので、いま現在牧師が不足しているということにはなっていません。退職を迎えた牧師たちの協力もあって教会の働きはつづけられています。

 私たちは普段、この芥見教会に集っていますし、他の教会のことをさほど気にとめることもないと思いますが、実は私たちの教団はすこし変わっているのです。私たちはこの27の教会すべて合わせて一つの教会というように考えています。ですから、昨年三月、芥見教会の駐車場のための土地を購入することを決めましたが、それは、教団全体の総会で決議されています。普段、あまり周りの教会のことを考えていないのですが、本当はとても大切なことなのです。芥見教会のことだけを考えてみるだけも大変なことなのですが、この教会は経済的に、駐車場の土地を購入できても、整備するお金がいまのところ足りないという問題はありますが、全体的にはとてもバランスのとれた状態です。けれども、教団全体のことを考えると、5年後、10年後、大丈夫とは言えません。というのは、子供や若い人たちが教会の中からどんどん減ってしまっているからです。

 それで、私たち同盟福音キリスト教会は今年から「次世代のために献身する」というテーマを掲げて、これからどのような教会であろうとしているのか、一緒に考え、祈り、そして、献身していきましょうとお勧めしていくことにしたのです。 (続きを読む…)

2016 年 1 月 3 日

・新年礼拝説教 イザヤ書66章13節「慰めの福音」

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 13:51

 

2016.01.03

鴨下 直樹

 
2016年 ローズンゲンによる年間聖句

「母がその子を慰めるように、わたしはあなたたちを慰める」 イザヤ66:13(新共同訳)

 2016年、今年私たちに与えられている年間聖句はこの言葉です。「母がその子を慰めるように、わたしはあなたたちを慰める」。神が与えてくださる慰め、これは神が私たちに語りかけてくださるみ言葉です。

 このみ言葉を、もう三か月ほど前のことになるでしょうか、長老会で、2016年の年間聖句はこの言葉になったと話しました。すると、そこで返ってきたのは、「慰め」という言葉の持つイメージはあまり良いものとはいえないのではないか、神が慰めてくださるということがどういう意味なのか、今の人にはあまりピンとこないのではないかと言われました。実は、私ははじめ、この長老たちの言葉が、何を言われているのかよく分かりませんでした。私にとって、「福音」イコール「慰め」とすぐに結びついていますし、これまでの礼拝の説教でもそうですけれども、神の慰めを語ることが自分の使命だと思っているところがあります。ですから、慰めが福音というのはあまり分からないのではないかという長老の指摘に、少し驚きました。

 けれども、長老方の話を聞くうちに、色々なことに気づかされました。というのは、この世で「慰め」という言葉が使われる場合、「気休め」と言ったらいいでしょうか、とりあえず自分の心の平安を保つことを慰めと考えている場合がそれほど多いのだということを改めて気づかせられたのです。 (続きを読む…)

2016 年 1 月 2 日

今月の礼拝予定(2016年1月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 18:35

1月3日 降誕節第二主日

主日主題: 慰め
聖餐式礼拝: 午前10時30分
聖書: イザヤ書66章13節
説教:「慰めの福音」 鴨下直樹牧師
聖餐式

午後:特にありません

1月10日 降誕節第三主日

主日主題: 献身
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: マルコの福音書12章28-34節
説教:「次世代のために献身する」 鴨下直樹牧師

午後:役員会、「餅寄り」愛餐会(お雑煮、ぜんざい)、聖歌隊練習

1月17日 降誕節第四主日

主日主題: 選び
公同礼拝: 午前10時30分
聖書: エペソ人への手紙1章1-6節
説教:「キリストのうちに選ばれて」 鴨下直樹牧師

午後:礼拝細目確認会

1月24日 降誕節第五主日

主日主題: 神の奥義
合同礼拝: 午前10時30分
聖書: エペソ人への手紙1章7-14節
説教:「みこころの奥義」 鴨下直樹牧師

午後:礼拝準備会

1月31日 降誕節第六主日

主日主題: 栄光の富
合同礼拝: 午前10時30分
聖書: エペソ人への手紙1章15-23節
説教:「栄光の富」 鴨下直樹牧師

午後:各部会、聖歌隊練習

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