2010 年 12 月 26 日

・説教 「宿もない者となられた主イエス」 マタイの福音書8章18-22節

Filed under: 礼拝説教 — naoki @ 16:43

鴨下直樹

2010.12.26 クリスマス礼拝

 

 

 今朝は十二月の二十六日です。二十六日というと、私たちの周りではクリスマスの騒ぎは終わりまして、すぐさまお正月の準備に移ります。お店なども、大変あわただしく模様替えをしなければなりません。ところが、この芥見教会ではこの日曜日にクリスマス礼拝をしています。一般的な感覚からすれば、まだそんなことをしているのかというような思いを持たれる方も少なくないと思います。

 教会の暦では今日は降誕祭次日と言います。ヨーロッパなどのいわゆるキリスト教国と呼ばれている国ではこの日までが休みです。今日もまたクリスマスの祝いをする日なのです。いや、今日だけではありません。教会の暦では一月の六日をエピファニーといいまして、やはりこの日も休日になったりいたしますけれども、東の国の博士たちが主イエスを礼拝した祝いの日としています。この日までをクリスマスの祝い期間とするのです。

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2010 年 12 月 19 日

・説教 「病をいやされる主イエス」 マタイの福音書8章14-17節

Filed under: 礼拝説教 — naoki @ 16:39

鴨下直樹 

2010.12.19

 

 

さきほど、洗礼入会式を行いました。洗礼を受けた、Mさんは子どものころから教会に通っています。親がキリスト者であるということは、子どもにとって、子どもが考えている以上に大きな祝福があります。今日は洗礼入会式のある礼拝ということもあって、子どもたちも一緒に礼拝しておりますけれども、子どもたちにもぜひ覚えてほしいのは、自分もMさんと同じように、親と同じ信仰に生きるということがどれほど幸いなことかということを積極的に考えてほしいと思うのです。

さきほどもMさんの証しを聞きました。Mさんは高校を卒業するころになって病になりました。そのために決まっていた大学も諦めなければならなかったというのは、とてもつらいことです。けれども、そのことがきっかけとなって、聖書の学びをするようになりました。聖書にはたくさんの癒しの出来事が書かれているからです。自分も癒されたいと願ったのです。 (続きを読む…)

2010 年 12 月 12 日

・説教 「われらを救われる主イエス」 マタイの福音書8章1-13節

Filed under: 礼拝説教 — naoki @ 14:53

鴨下直樹

 

 2010.12.12

 

 主イエスのお語りになった山上の説教が終り、主イエスは山を降りられました。山を降りられて、人々の生活の中に入って行かれたのです。そして、そこで、さまざまな困難な状況にある人々と主イエスはお会いになられました。山の下で、多くの人びとは主イエスが自分たちの生活の場所に足を踏み入れてくださるのを心待ちにしていたのです。

このマタイの福音書の八章に記されているのは、奇跡の物語です。もっと言えば癒しの出来事が記されています。人びとはさまざまな病、さまざまな悩みを抱えていました。そして、そのように人々のあらゆる患いの主イエスは入って行かれ、そこで、人びとは主イエスと出会ったのです。 (続きを読む…)

2010 年 12 月 5 日

・説教 「人生の土台を築くもの」 マタイの福音書7章24-29節

Filed under: 礼拝説教 — naoki @ 16:24

 鴨下直樹

2010.12.5

 

 

山上の説教から御言葉を聴き続けてすでに半年以上たちます。今日の箇所は、この山上の説教の最後、結びの部分と言われるところです。「主イエスがこれらの言葉を語り終えられると」とありますから、ああ、これで説教が終わったのだということが分かります。実は、私自身、この山上の説教の最後のところを迎えながら、もう一度説教をやり直すことができたという思いがしています。ここで主イエスが語られたことを十分に語ることができたかという思いがあるのです。

 

 

主イエスはここで本当の生き方、神が喜ばれる生き方とは何かを語られました。どう生きることを、神が求めておられるのかを教えてくださったのです。けれどもそれは、聞く者にとって、決して簡単なことではありません。私たちの周りに生きている人々と、全く性質の異なる生き方をするようにと、主イエスはここで語っておられるのですから、それは当たり前のことが語られているのではないのです。 (続きを読む…)

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