・説教 ヨハネの福音書7章37ー39節 「生ける水の川の流れ」
2014.11.30
鴨下 直樹
私たちの教会はこの二週間ほど目まぐるしく動いてまいりました。コンサートをいたしました。先週は礼拝後にこの教会を会場にして教団の総会を行いました。また、翌日には婚約式です。とても豊かな時間を過ごしまして、まるでお祭りのような二週間でした。お祭りの最後のクライマックスには、人々の期待が高まる瞬間があるものですが、まさに、先週の月曜日の婚約式には大勢の方が共に祝ってくださいまして、まるで結婚式のようだったとみなさん口々に言っておられました。 そのように、祭りの最後の時というのは、もっとも重要な時です。私たちも今週からいよいよアドヴェントを迎えます。教会の暦では一年の最初ということになりますけれども、いよいよ12月に入りまして、みなさんお一人おひとりの生活においても、この季節にはとても重要な意味を持っているのではないかと思います。一年を振り返る時を持つ方もあるでしょう。仕事でも、新しい年に迎えて備えなければなりません。学生は新しい学校に入るための試験であったり、準備などをいたします。新しく社会人になる方もこの中にありますけれども、そういう備えの時期でもあります。また、結婚の備えをしなければならない方もあります。そういう大切な時に、私たちはこのみ言葉が与えられています。 ヨハネの福音書7章37節です。
さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」
仮庵の祭りというのはユダヤ人たちにとっての大きな三つの祭りの一つ、しかも一年の最後の大きな祭りの最後です。人々の期待が高まる瞬間です。この聖書には書かれておりませんけれども、どうも、この祭りの時に、シロアムの池というのがエルサレムの都にありますが、ここから水を汲んで来まして、祭壇に注ぐという儀式を行っていたようです。おそらく、そのまさに、祭りが最高潮に達しようという時に、主イエスは大きな声で言われました。 (続きを読む…)