・説教 コリント人への手紙 第二 3章18節 「主と同じ姿に」
2014.11.2
鴨下 直樹
今日は召天者記念礼拝です。今日こうして久しぶりに顔を会わせる方々あることを嬉しく思います。毎年のことですけれども、教会ではこのようして、すでに天に召された方々のことを思い起こしながら礼拝の時を持っているのです。それはつまり、私たちの教会では一年に一度、みなさんと共に「死」について考える時をもっているということです。
私たちは普段、日常の生活の中から死をできるかぎり追い出して生活しています。死について考えますと、気がめいってしまうからです。けれども、誰も避けて通ることは出来ません。死を考えるということは、本当は何にもまして考えておかなければならないことです。自分のいのちをどのように終えるのか。その人生のしめくくりを、漠然としたもやもやしたものの中に放り込んだままでいることは、自分の人生そのものがどこに向かっているのか分からないまま毎日を過ごしているということになってしまうのです。けれども、問題はどう考えていいのか分からない。だから、遠ざけてしまっているというのが、現状なのではないかと思うのです。それで、今日は、聖書はこの死の問題をどう考えているのかということを、少し一緒に考えてみたいと思うのです。 (続きを読む…)
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