2023.8.27
田村洸太神学生
2023.8.13
鴨下直樹
今、私たちの教会では「信徒交流会」ということで、夏の間の祈祷会は、信徒の方々が担当してくださっています。担当になってくださる方はほとんどみなさん証しをしてくださっています。先週は、水曜日は私の娘のキャンプの報告と、Sさん、木曜日はMさんが証しをしてくれました。
先週話してくださった方も、その前に証ししてくださった方々もそうですが、決まって家族のことを取り上げられます。特に、木曜に話してくださったMさんは、今は結婚して山口県の岩国におられますが、今ちょうど帰省してきておられます。その証しでは、信仰に至るまでの、クリスチャンホームで育った中での葛藤をお話しくださいました。その証しをお聞きしながら、改めてクリスチャンホームの家庭の子どもたちが信仰に導かれる難しさというものに気付かされます。
先週の説教でも少しお話ししましたけれども、私たちは今、全体主義の世界に生きてはおりません。個人が尊重される時代のなかで生きています。家族がクリスチャンだから、子どもの自分もクリスチャンになるように期待されていることは分かるわけですが、親の信仰と、自分はまったく別物です。いくら親が強制したとしても、自分で神様と出会うことなしに自分の中には信仰心は生まれません。この神様との出会いというのは、自分で神様とお会いして自分の心が動かなければどうにもならないことです。
今日の聖書の箇所はまさに、主イエスの家族はどうであったのかということが記されています。
19節にこのように書かれています。
さて、イエスのところに母と兄弟たちが来たが、大勢の人のためにそばに近寄れなかった。
主イエスのところに主イエスの母と兄弟たちが訪ねてきたというのです。
その続きはこのように記されています。20節と21節です。
それでイエスに、「母上と兄弟方が、お会いしたいと外に立っておられます」という知らせがあった。しかし、イエスはその人たちにこう答えられた。「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行う人たちのことです。」
イエス様の家族の立場で考えるとちょっと悲しい気持ちになってしまいます。ただ、ここを読んだだけでは、主イエスは結局のところ兄弟たちと会ったのか会わなかったのかははっきりしません。
私たちはこれと同じ出来事がマルコの福音書にも書かれていることを知っています。そこでは、主イエスがおかしくなってしまったのではないかという噂が広がって、家族が主イエスの活動をやめさせるためにやって来たという流れで書かれています。
ところが、ルカはそういう流れでは書いていませんので、マルコの福音書のことは一度忘れていただいて、ここを読んでいただきたいと思います。 (続きを読む…)
4年ぶりにキリスト教美術講座を開講します。
今回のテーマは、誰でも知っている「ゴッホ」ですが、あまり知られていないゴッホの信仰と模写の秘密を探ります。
ゴッホの父親と祖父は牧師でした。 ゴッホも神学校に通い、伝道師になります。 ミレーの信仰と作品にあこがれ、37歳で生涯を閉じるまで、ミレーの模写を続けていました。
もう一つの不思議は、日本の浮世絵を模写した連作です。
今回は一連の講座の最終回となります。 皆さんとともに、ゴッホの謎に挑戦してみましょう。
2023年9月10日(日)午後2時~3時30分
(終了後、4時半頃まで茶話会を予定しております。 どなたでもご参加いただけます)
古川秀昭 (元・岐阜県美術館館長、芥見キリスト教会長老)
「ゴッホの秘密」
芥見キリスト教会 (058-243-5798)
資料代 200円(当日受付にて)
※ 資料の準備がありますので、参加ご希望の方は9月2日までに電話でお申し込みください。
2023.8.6
鴨下直樹
今日の聖書の箇所は前回の種まきの譬えの続きの部分です。この18節には、種まきの譬え話の全体の結びが記されています。最初の予定では先週この18節までを扱う予定にしていたのですが、二週に分けてお話しすることにしました。ですから、覚えていただきたいのは今日の箇所は先週の種まきの譬えと一つの話だということです。そのことを初めに踏まえておいていただいて、この16節以下の部分の、み言葉に耳を傾けたいと思います。
さて、今日の譬えは「明かりの譬え」です。16節にこうあります。
明かりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする人はいません。燭台の上に置いて、入って来た人たちに光が見えるようにします。
この主イエスの譬え話そのものは、単純明快です。明かりには、暗い部分に光をもたらす役割があるわけで、その役割を果たさないようにはしないでしょということです。ところが、この分かりやすい譬え話を聞いて、私たちは皆、誰もが同意できるかというとそうではないわけです。
「明かり」というのは、この場合何を指しているかと言えば「神の国の福音」のことであることは明らかです。じゃあ私たちは、この「神の国の福音」を、誰から見ても、その光に照らされるように掲げて生きていますか? と問われたらどうでしょう。
安倍元首相銃撃事件以降、キリスト教カルト集団のことが連日報道されました。統一教会とか、エホバの証人のようなカルト教団のことが取り上げられて「宗教二世」という言葉で、宗教を信じる家の子どもたちは可哀想だという論調が生まれました。ただ、この「宗教二世」という言葉は、どんどん一人歩きしていって、宗教を子どもに強要することの問題点がクローズアップされています。専門家は、ちゃんと「カルト二世」と言った方が良いという主張をしていますが、あまりそういう意見は取り上げられません。そして、日本人の多くは何かの関わりがある神道も仏教も、キリスト教も総じて宗教というものは悪いものだという理解になりつつあります。
昨日もある方と話していたのですが、自分の子どもに教会へ行くことを強要しないようにしていると話しておられました。とても残念なことですが、親の通う教会に子どもを連れていくのは悪いことをしているような感覚が最近では生まれてきてしまったようです。
こういうご時世ですから、私たちキリスト者も「私はクリスチャンです」ということを公にすることに抵抗を感じるようになった人たちも少なくありません。
いくら聖書が「明かりは燭台の上に置いて、光を見えるようにするのです」と言っても、「いや、今は隠しておいた方が賢い選択なんです」という声の方が勝ってしまうような社会に、私たちは置かれているのです。
けれども「明かり」というのは、その性質上、隠せるものではありません。そのため、クリスチャンの家族の中でも、子どもに信仰教育をする上で葛藤があるのだと思います。子どもに信仰を強要するのか、自分で選び取ってもらうのかというのは、いつの時代も振り子のように揺れ動いています。 (続きを読む…)
主日主題: 光
聖餐式礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書: ルカの福音書8章16-18節
説教:「明かりのもたらすもの」鴨下直樹牧師
礼拝後:誕生月の方のための祈り/役員会
主日主題: 神の言葉
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「カナの婚礼」宮崎恵美子
聖書: ルカの福音書8章19-21節
説教:「神の家族=み言葉を聞いて行う者」鴨下直樹牧師
礼拝後:ゴスペルカフェ(流しそうめん)、聖歌隊練習、礼拝準備会/礼拝細目確認
主日主題: 賛美
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書: 第2列王記5章1-19節
「安心して行きなさい」新井智也師
主日主題: 神の恵み
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書: ルカの福音書19章1-10節
説教:「イエス様の愛があなたを変える」田村洸太神学生
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