秋の特別講演会「いのちの豊かさ」
講師: 柏木 哲夫 (金城学院学院長・淀川キリスト病院名誉ホスピス長)
日時: 2013年9月25日 午後2時~3時30分
会場: 同盟福音 芥見キリスト教会
講師: 柏木 哲夫 (金城学院学院長・淀川キリスト病院名誉ホスピス長)
日時: 2013年9月25日 午後2時~3時30分
会場: 同盟福音 芥見キリスト教会
主日主題: 救い
聖書: ヘブル10:35-11:1
説教:「救いの確信」 山田健 長老
午後:各部定例会、手話講座
主日主題: 信仰
聖書: ピリピ3:12-16
説教:「目標を目指して一心に」 鴨下直樹牧師
聖餐式
午後:役員会 13:30~
主日主題: 信仰生活
聖書: Iテサロニケ5:16-18
説教:「喜びと祈りと感謝の生活」 鴨下直樹牧師
午後:礼拝の学び、聖歌隊練習、礼拝準備会
主日主題: キリスト
聖書: ピリピ3:17-4:1
説教:「キリストにならいて」 鴨下直樹牧師
午後:女性会、手話講座
主日主題: 喜び
聖書: ピリピ4:2-7
説教:「いつも喜びなさい!」 鴨下直樹牧師
午後:コマ大会
2013.8.18
鴨下 直樹
今日の説教箇所は3章1節の後半部分からお読みしました。なぜ1節の途中から読んだかと言いますと、ここから内容が大きく変わるからです。1節の最初に、「私の兄弟たち。主にあって喜びなさい」と結ばれています。ところが、こう言って結んだはずの手紙が、ここから突如として「前と同じことを書きますが」と少々強引に話が続けられているのです。それで、ここから4章1節までの内容は別の手紙が紛れ込んだのはないかと考える人もいますが、もちろん今となっては誰にも分かりません。いずれにしても、人の会話でも手紙でもそうですけれども、突然他のことを思い出して急に別の内容にするということはあることですから、この部分が別の手紙が紛れ込んだというようなことを考えてもあまり意味はありません。ここに書かれている内容に注意を払うことが大事です。
今日の箇所のテーマは信仰に生きることはどういう得があるかということです。これは、誰もが考えたことなのではないかと思います。教会に通うようになると、色々と失うものがあると考えられてしまうことがあります。この手紙を書いたパウロの場合はどうだったかということがここに出てきます。 (続きを読む…)
2013.8.11
鴨下 直樹
今日、私たちに与えられているパウロの手紙のこのところに二人の人が登場します。一人は、パウロが息子のように可愛がっている有能な働き人であるテモテです。もう一人はピリピの教会からパウロを支えるための支援をたずさえて派遣されて来たエパフロデトです。ところがこのエパフロデトはパウロのもとで病気になってしまいます。おそらくそのためでしょう。ピリピに帰りたいと思うようになります。しかし、ピリピの教会の人たちは自分たちのあてが外れて「役にたたない人」と思われてしまったようで、帰ることも難しくなってしまいます。ですからこの二人は一見すると、有能な人と、あまり役に立たなかった人という対照的な二人ということになります。その二人が今日の聖書の中心です。その二人をピリピの教会に遣わすとパウロは書いているのです。当然、テモテは歓迎されるでしょうが、エパフロデトのほうが心配です。それで、パウロは配慮をして、この部分をしたためています。
有能な人と思われたり、思ったほど役に立たないと思われてしまうことが私たちの身の回りでもたびたび起こります。教会であっても時折そういうことが起こります。パウロはこの手紙の前の部分で、「人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」と勧めてきました。人を見下すのではなくて、ゆるすのだと書いてきたのは、このためであったかと思えるほどです。 (続きを読む…)
2013.8.4
鴨下 直樹
先週から信徒交流月間ということで、水曜日と木曜日の祈祷会で信徒の方々が順に話をしてくれることになっています。毎年のことですけれども、私はこの集いをとても楽しみにしています。普段、みなさんがどのように御言葉を聞いているのかが良く分かるのです。また、そこで話される話を聞いて、その方がどのように聖書と向き合っているかが良く分かります。どのように御言葉と向き合っているか、ということは、どのように主と出会っているかということと同じことです。
今日の説教の題を「星のように輝いて生きる」としました。何だか、何年か前に流行った歌のタイトルのような説教題です。昨日も、直前までタイトルを変えようかと悩みましたけれども、そのままにしました。信徒交流で色々な方のお話しを聞いて、はじめてその方が何に苦しんでいたのか、どのように御言葉に支えられてきたのかが分かることがあります。それはまさに、自分の置かれたところで星のように輝いて生きることになっているのだと、つくづく思わされるのです。
ところが、この聖書の言葉はいったいどこにあるのかと思われるかもしれません。似ている言葉は十六節にあります。 (続きを読む…)
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