2013.7.7
鴨下 直樹
ピリピの教会にパウロの手紙が届いてこれが読まれた時、ちょうど前回の二十六節までの部分を聞いたピリピの教会の中では、どよめきや歓声がわき起こったと思います。というのは、伝道のために捕らえられたパウロが死の危機に瀕していると思っていたところで、「私はもう一度、あなたがたのところに行けるので・・・」という言葉を聞いたのです。パウロ先生がもう一度ピリピの教会を尋ねてくれる。それは、ピリピの教会にとってまさに喜びの知らせであったはずです。パウロのピリピでの伝道の期間はそれほど長くはありませんでした。長くても数週間です。二、三週間であったのではないかと考えられています。ですから、その後でピリピの教会の会員に加わった人は、一度は見てみたい、直接話を聞いてみたいと思っていたと思うのです。そして、そのパウロから手紙が届き、パウロがピリピに来ると聞いたのです。それは大喜びであったに違いありません。
そのような歓声がわき起こった教会に、パウロの言葉はこう続いたのです。
ただ一つ。キリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、また離れているにしても、私はあなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。
と続きます。
ピリピに行けると宣言したパウロはすぐその後で、「行けたとしても、行けなかったとしても」という言葉を続けたのです。一度喜ばせておいて、でも、ダメな場合もあるのだからと感じさせている。この手紙を聞いていた人々の心は、少し期待が薄れたことでしょう。ところが、パウロは、パウロとの再会を語った直後にこう述べました。 (続きを読む…)