・説教 ピリピ人への手紙1章27-31節 「福音にふさわしい生活」
2013.7.7
鴨下 直樹
ピリピの教会にパウロの手紙が届いてこれが読まれた時、ちょうど前回の二十六節までの部分を聞いたピリピの教会の中では、どよめきや歓声がわき起こったと思います。というのは、伝道のために捕らえられたパウロが死の危機に瀕していると思っていたところで、「私はもう一度、あなたがたのところに行けるので・・・」という言葉を聞いたのです。パウロ先生がもう一度ピリピの教会を尋ねてくれる。それは、ピリピの教会にとってまさに喜びの知らせであったはずです。パウロのピリピでの伝道の期間はそれほど長くはありませんでした。長くても数週間です。二、三週間であったのではないかと考えられています。ですから、その後でピリピの教会の会員に加わった人は、一度は見てみたい、直接話を聞いてみたいと思っていたと思うのです。そして、そのパウロから手紙が届き、パウロがピリピに来ると聞いたのです。それは大喜びであったに違いありません。
そのような歓声がわき起こった教会に、パウロの言葉はこう続いたのです。
ただ一つ。キリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、また離れているにしても、私はあなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。
と続きます。
ピリピに行けると宣言したパウロはすぐその後で、「行けたとしても、行けなかったとしても」という言葉を続けたのです。一度喜ばせておいて、でも、ダメな場合もあるのだからと感じさせている。この手紙を聞いていた人々の心は、少し期待が薄れたことでしょう。ところが、パウロは、パウロとの再会を語った直後にこう述べました。「ただ、福音にふさわしく生活しなさい。」と。大事なことは、「福音にふさわしい生活をすること」だと。
今日のパウロの手紙を読むために、最初の「ただ」という言葉がとても重要です。この言葉は「ただ一つのこと」という言葉です。キリストのために死んでしまってもいいと考えているパウロには、「たったひとつ」話しておきたいことがあるというのです。まさに、パウロの遺言とも言うべき言葉です。一方では死を目の当たりにし、一方ではピリピの教会をもう一度訪ねることができるという信仰に生きています。もし、この後、パウロが死ぬことになったとしても、ピリピを尋ねることができるようになったとしても、どうしても聞いておいて欲しいことばあると、ここで語り出すのです。その、ただ一つの事が、「福音にふさわしく生活しなさい」ということでした。
ここでパウロが語ろうとしている「キリストの福音にふさわしい生活」というのは、どういう生活のことを指しているのでしょうか。しかし、よく読んでみますと、具体的な事は何も書かれていません。ただ、この二十七節から第二章の十八節までは信仰生活のことが書かれていると考えることもできます。ですから、そこまでをじっくり読む必要があるのですが、ここではまず、パウロがここで「生活」という言葉を使っているので、まず、この言葉から考えてみたいと思います。
実はこの「生活する」という言葉はとても面白い言葉です。この「生活する」は「この町で市民として生活する」という意味の言葉なのです。「この市民として生活する」ということには、特別な意味がありました。使徒の働きの第十六章でこのピリピの町のことが書かれております。使徒の働き十六章十二節、
ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。
とあります。この地方第一の町などとあると、とても大きな町をイメージしてしまいますけれども、このピリピはマケドニア州の小さな町でした。「この地方第一の町」は「この地方の第一地区の町という意味である」という説明がありますから、おそらくこの説明が正しいのだと思います。ピリピはそれほど大きな町ではありません。しかし、ローマ帝国の植民都市です。植民都市というのは、ローマの植民都市ということです。そこでは、誰もがローマ風の生活をするのです。マケドニアの生活習慣を捨てて、あらゆることがローマ風になっていきます。食べ物や、服装にいたるまでローマ風です。それは、本国のあり方をできるかぎりそのまま移そうとするのです。
私事で恐縮ですけれども、私たちがドイツに住んでいた時に、数か月に一度訪れるとても重要な町がありました。デュッセルドルフという大きな町です。高速道路で、飛ばして行って一時間半ほどかかるので、それほど頻繁に行くことはできませんけれども、私たちはこの町に行くのを何日も前から楽しみにしているのです。なぜかというと、この町には小さな日本があるからです。日本の本屋さんがあって、日本の食品店があって、日本の床屋さんがあって、日本料理が食べれて、しかも日本語で注文できるレストランがあります。まさに、日本をそのままここに運び込んだような一角があるのです。ドイツ語で植民地のことを「コロニー」と言いますけれども、私の友達などは、この町のことを「日本のコロニーのようだ」などと言うくらいです。
とても変わった雰囲気があります。そこにあるレストランでは店員さんがみんな日本人です。お客さんもほとんど日本人です。そうしますと、そこがドイツであることを忘れてしまうほどです。ある時、このお店の方が、「あそこのテーブルの外人さんにこの料理を運んで」と言っているのが聞こえてきて、思わず笑ってしまいました。ドイツでは、日本人のほうが外国人です。けれども、そんなことを忘れてしまっているかのような会話がそこではされていたのです。まさに、本国のような生活がそこにはあるのです。
パウロがここで使った生活という言葉はこういう意味のことばです。「本国のような生活をしなさい」という言葉なのです。ピリピの人々にとっては、それはローマのように生活するということでした。しかし、ここでは、「福音にふさわしい生活」です。つまり、ピリピの人々がすべき生活は、ローマのような生活をすることなのではなくて、神の国の国民としての生活をしなさいという意味なのです。
つまり、「福音にふさわしい生活」というのは、「神の国民としての生き方」をパウロはここでもっとも大事なこととして語っているのです。そして、そのことをもう少し具体的に説明したのが、二十七節の後半の部分です。「あなたがたは霊を一つにしてしっかりと立ち、心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘」することと続けて語っています。神の国の生活というのは、霊と心をひとつにして戦うことだというわけです。
ここまで読むと、手紙を聞いていたピリピの人々からは、パウロ先生がまもなくやって来るのだというような浮ついた気持ちはなくなっていったことでしょう。パウロが来ようと、パウロが殺されてしまおうと、あなたがたは、キリストの福音にふさわしく生きるのですよ。しかも、それは信仰の戦いに生きるということなのだと、語られているのです。
こうやってこの手紙を聞いていくと、みなさんの心の中にはどのような思いがでてくるでしょうか。何かパウロは厳しいことを語り出したなぁという印象になるのかもしれません。
「クリスチャンらしい生活をしなさい。」と言われることほど、嫌な気持ちにさせられるものはありません。別にそれは、他の言葉に置き換えてもいいのですけれども、公務員らしい生活をしなさいとか、中学生らしい生活をしなさいとか、私たちの生活の周りはそのように、周りから規定される厳しいまなざしがあります。それは、子どものころから味わい続けるものです。「子どもは子供らしくしなさい」と言われる事くらい、子どもにとって面白くない事はありません。そういう延長で、教会に来ても同じことを言われる。
クリスチャンらしい生活をしなさい。毎日聖書を読んで祈りなさい。出来る限り、嫌いな人のためにも祈りなさい。できれば許してやりなさい。教会の礼拝には出来る限り出席しなさい。献金はちゃんと十分の一を捧げなさい。教会の奉仕活動にも積極的にかかわりなさい。そうやって聞いているうちに、何だか、聖書が語る福音というものと、私たちに課せられる、厳しい日課とがかみ合わないような気持ちになってしまうことさえあります。
そこで、もう一度考えたいのですけれども、そのようなクリスチャンらしい生活、キリスト者らしい生活というのが、ここでパウロが語っている、福音にふさわしく生活しなさいという言葉と同じなのかどうかということです。先ほども言いましたように、福音にふさわしいというのは、神の国で、そうであるかのように、自分は生活しなさいということです。
ドイツで生活をしながら、やはり、お米を食べたいと思うし、みそ汁も飲みたいと思う。たまには、お豆腐も食べたいし、ラーメンだって食べたい。そういうものは、私の中に染みついたものです。そういう日本人としての生活は染みついているのに、神の国民としての生活は身についていない。まだ、自分にとってぴったりとマッチしていないわけです。
だから、パウロはここで「霊を一つにしてしっかりと立ち、心を一つにして」と語ったのです。キリストの霊もあれば、日本人としての霊もあれば、美濃の国民としての生き方も身についている。あちらにも心が向けば、こちらにも心が向く、あれもいいと思うし、これもいいと思う。そうやっているうちに、何が大切なのかということがわからなくなっていってしまいます。だから、福音というところを一点にするために戦いなさいというのです。
その福音とは何か。パウロに言わせれば、単純明快です。福音とはすなわち、キリストです。キリストのように生きること、そこに、立つこと以外にないのです。
昨日、ぶどうの木の句会が行なわれました。少し前のことになりますけれども、公益社団法人俳人協会というところから、辻恵美子集という、小さな本がでました。辻恵美子さんが二十代の頃から、こんにちまでの俳句が納められた句集がでたのです。ぜひ、みなさんにも読んでいただきたいと思いますけれども、一人のキリスト者の生きざまが、ここによく表れています。若い時の頃からありますから、もう逃げることも隠れることもできない、その時、その時のそのままの言葉が俳句で表現されています。こういう句集が出るというのは、本人にとってはある覚悟がいるのだと思います。自分のことがみんなに分かってしまうわけですから。けれども、実に、堂々としたものです。ぶれることのない、生き方がここにはあります。それは、やはり、福音に生きてきたからです。
そこには、陳腐な伝道的な言葉はひとつもありません。けれども、自分が見て、聞いて、体験した数々の事柄が、見事な言葉で表現されています。
恵美子さんが特別ということではないのです。誰もが、福音に生きていたのです。思い悩みながら、戦いながら、この福音に、キリストとともに生活してきたのです。本にはならないかもしれなくても、その生活の土台に、主イエスがおられるのです。
パウロは言います。「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」
信仰に生きることは戦いです。楽な道では決してないのです。けれども、戦う時に主がおられるのです。苦しみがあったとしても、それも、キリストを知るために賜ったものなのだと、パウロは語ることができたのです。
たとえ、ここで殺されてしまったとしても、そうすることによって、私は、主の苦しみを知ることができる。キリストのように生きることができたということなのだと、パウロはその苦しみの中でも言うことができたのです。
「 昼寝せん 夏台風は 上陸す 」
昨日の句会での恵美子さんの句です。たとえ、台風が上陸すると分かっていても、詩種をすることができる。それは、まるで大嵐の中であっても、船で眠っておられた主のようです。嵐がくることが分かっていても、昼寝をすることができる。それこそが、主が私たちに与えてくださった生活です。
たとえ、台風が来ても、たとえ、死が訪れたとしても、私の平安は失われることはない。そう生きて欲しいのだ。神の国で、誰が死を恐れるだろうか。主とともにあって、何故嵐を恐れる必要があるだろうか。そのように、神の国にふさわしい生き方を、私たちはこの地にあって生きることができるのです。
おいのりをいたします。