2009 年 9 月 27 日

・説教 「Gift3 心を神に注ぎだして」 ルカ福音書16章1節-18節

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 13:19

 

鴨下直樹

 この9月に入りましてから、Giftというテーマで三回のメッセージをしておりますけれども、今日はその最後の三度目になります。私たちは神さまからどのように大きなギフト、贈り物を頂いているかということについて御言葉から聞き続けております。

 今日は三回目ですから、少し違った角度からまたこのギフトについて考えてみたいと思っているのですけれども、私たちはこの聖書から二度にわたってどんなに素晴らしい贈り物を与えられているかを学んできました。それは、この神からの贈り物は、聖書を通して与えられるということを同時に意味していたということができます。つまり、聖書をどのように読むかということと、私たちが神様から頂いた贈り物、ギフトを用いて生きることとは非常に深く関わりあっているのです。

 

 聖書をどのように読むかということについては、主イエスがおられた時代にもさまざまな読まれ方があったようです。 (続きを読む…)

2009 年 9 月 20 日

・説教 「Gift2 使って嬉しい贈り物」 マタイ25章14節ー30節

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 20:32

鴨下直樹

 先週からギフトというテーマで、私たちはどのような神からの贈り物を頂いているかについて考えてみたいと思っています。今朝はその二回目になりますけれども、一回目は「貰って嬉しい贈り物」という題をつけました。そして今朝、「使って嬉しい贈り物」という題です。プレゼントというのは、貰ったら喜ぶということはよくわかりますけれども、「使って嬉しい」というのはどういうことでしょうか。よく考えてみますと、実際に私たちが誰かにプレゼントを贈る時というのは、本当に相手のことをよく考えながら、何が喜ばれるかを考えてプレゼントを贈るのではないかと思います。そして、これを送ったら、実際に使ってもらえるかどうかを考えて贈るのではないかと思うのです。

 今回のテーマは先週もお話しましたけれども、私が青年会のキャンプに行ったときのメッセージのテーマでした。このキャンプでは、ギフトというテーマにサブタイトルとして「わかちあうよろこび」と書かれていました。このキャンプで言おうとしているギフトというのは、自分だけの物にして喜んでいるのではなくて、誰かと分かち合うんですよということを知ってもらいたいと願ったためです。けれども、少し考えてみますと、このサブタイトルは聞いて少し変だと思いませんでしたか? ギフトというのは貰って嬉しい物であって、せっかく貰ったものを他の人にあげてしまったら、プレゼントを贈ってくれた人に失礼になってしまいます。 (続きを読む…)

2009 年 9 月 13 日

・説教 「Gift1 もらって嬉しい贈り物!」 ローマ人への手紙8章1-39節

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 20:59

鴨下直樹

 二週間の間休みをいただきまして、今朝久しぶりにみなさんの顔を見ることができ嬉しく思っています。いつもは創世記を順番に説教していますけれども、今日からしばらくの間創世記を離れて説教したいと思っています。今回から三回に分けて、「ギフト」という題のシリーズで主題説教をしてみたいと思っているのです。ですから、今日は創世記ではありませんで、ローマ人への手紙第8章を先ほどお読みしたのです。

 この朝、創世記を離れてギフトというテーマで説教しようと思ったのには一つの理由があります。それは、この夏岡山にあります私たちと姉妹団体になる聖約教団という教会の青年会のキャンプに招かれまして、私たち同盟福音の青年たちとキャンプを一緒に致しました。その時のテーマが「ギフト」というテーマだったのです。そこで三回にわたって私が説教をしました。今回のようなテーマの説教をこの芥見でもやった方がいいのではないかと思いまして、今日から三週間にわたって説教してみたいと思ったのです。 (続きを読む…)

2009 年 9 月 6 日

・奨励 「聖書のたとえ話と日常生活」 ルカ15章4節ー32節

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 15:32

本日は、芥見キリスト教会員 赤塚尚武兄と山田健兄が奨励をして下さいました。

 

赤塚尚武

 聖書の中にいくつのたとえ話が出てくるでしょうか? 

 それを幾人の画家がいくつの作品に描き、この世に残しているのでしょうか? 

 私が最初に聖書の中のたとえ話を絵画作品で知ったのはレンブラントの「放蕩息子」です。最初は画集で見ました。しかし、その後、私は二度もその作品が常設されているサンクト・ペテルスブルクにあるエルミタージュ美術館で、それを鑑賞する機会に恵まれました。

 それは毎年4月にサンクト・ペテルスブルクにある露日友好協会主催「日本の春」が開催されており、その行事に2001年と2005年に二度招待を受けて合唱団を連れて出かけました。その時にエルミタージュ美術館へ招待されたのです。

 この本はその時に、記念品として協会長のグレゴリー教授から貰った画集です。彼は大の親日家で退職後、京都の鞍馬に、それも竹やぶのあるところに住みたいと語っていました。

 これがそのレンブラントの名作「放蕩息子」です。

 

 さて、ルカ15章4節から32節までに三つの有名なたとえ話がでてきます。

 初めの二つのたとえ話は取税人や罪人とイエス様が交わりをされることに対してパリサイ人や律法学者が侮辱的な言葉を浴びせることに対する主の答えだと思います。迷った一匹の羊と銀貨のたとえは神の捜し求める愛の姿を表しています。

 第三のたとえ話は神の赦しと愛を表し、父によってのみ現わされる深くて温かい恩恵を描かれ、独特な美しさに輝いています。そこには「喜び」が基調となっています。

本日は時間の都合もありますので、三つの例え話の内、最初と最後について、語ってみたいと思っています。 (続きを読む…)

・奨励 「ヤベツの祈り」 第一歴代誌 4章10節

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — miki @ 00:58

「ヤベツの祈り」

山田健

聖書箇所;第一歴代誌 4章10節

⇒ ここをクリックすると音声でお聞きになれます。(mp3: 32kbps/約8.5MB)

  1. 感謝と整えられ 準備され 支えられた証
  2. 聖書箇所 各訳 読み比べと解説
  3. 背景
  4. 歴代誌の位置づけ
  5. 歴代誌の目的
  6. 祈りが聞かれた訳
  7. 体験
  8. 奨励

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