・奨励 「聖書と食事」聖書における食事の象徴性 創世記1章28章ー29章、9章1節ー4節、18章1節ー15節、 詩篇128章3節
本日は、芥見キリスト教会員 下斗米利男兄と舛田忠興兄が奨励をして下さいました。
下斗米利男
私たちは『食事すること』を生きていくために、あるいは生活の一部として、また楽しみとして当然のようにおこなっています。
そして食事はただ何かを食べる栄養補給だけでなく、非常に多面的な意味を持っていると思います。なかでも食事のもつ社会的意味は大変重要で社会化の根本的要素の一つあると思います。私たちが食べ物を口にするまでには多くの工程があり労苦が伴います。まず食材の手当てから始まって複雑な手順で料理をして、綺麗に盛り付けてようやく口に入ります。
そしてテーブルマナーがあり、食事をしながら話し合うことも重要な要素で特に家庭での食事は最も大切な空間を形成していると思います。また友人や職場での食事は『同じ釜の飯を食う』という表現で親密な関係をかもし出す役割を持ちます。そして食事の前と終わりには食前の祈り、食後の祈り(いただきます。ごちそうさま)があり聖なるものとして感謝して食事をしています。そこで聖書における食事の象徴性について考えて見ました。
聖書における食事の記述は創世記から始まって新約聖書の黙示録まで数え切れないほどの食事の箇所があり体系的に分類しますと
祝福の食事(創世記 1章28節~29節、創世記 9章1節~4節)
旅人をもてなす食事(創世記 18節1章~15章)
契約締結の祝いの食事(出エジプト記 24章9章~11章)
荒れ野で与えられる天からのパン(列王記 I 17章2節~6節・19章1節~8節、出エジプト記 16章)
終末論的食事(詩篇 23篇5節~6節、イザヤ 25節6章~8章)
祭儀的食事(申命記 12章17節~19節、)
日常の知恵(神の言葉)による食事(イザヤ 55章1節~5節、箴言 9章1節~6節、申命記 8章2節~3節)
過越の食事、主の晩餐(ルカ 22章14節~20節、マタイ 26章17章~25章・26章~30章)
等があります。
今日はその中から祝福の食事についての聖書の箇所を見てみたいと思います。
ついで神は仰せられた。「見よ。私は全地の上にあって、種を持つ全ての草と、種をもって実を結ぶ全ての木をあなたがたに与えた。それがあなた方の食事となる。[創世記 1章28節~29節]
此処では神が人を祝福して、植物のみが食物として与えられた。
生きて動いているものはみな、あなたがたの食物である。緑の草と同じように、全ての物をあなたがたに与えた。[創世記 9章1節~5章]
ここで初めて動物も食物として与えられた。
神(旅人)をもてなす食事
主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現れた。彼は日の暑い頃、天幕の入口にすわっていた。彼が見上げてみると3人の人が彼に向かって立っていた。彼は見るなり、彼らを迎えるために天幕の入り口から走って行き地にひれ伏して礼をした。そして言った。「ご主人お気に召すなら、どうかあなたのしもべのところを素通りしないで下さい。少しばかりの水を持ってこさせますから、あなた方の足を洗い、この木の下でお休みください。私は少し食べ物を持ってまいります。それで元気を取り戻してください。それから、旅を続けられるように。せっかくあなたのしもべのところをお通りになられるのですから。彼らは答えた。「あなたの言ったとおりにしてください」そこでアブラハムは天幕のサラのところに急いで戻って言った。「早く、三セアの上等の小麦粉をこねて、パン菓子を作っておくれ」そしてアブラハムは牛のところに走って行き、柔らかくて美味しそうな子牛を取り、若い者に渡した。若い者は手早くそれを料理した。それからアブラハムは、凝乳と牛乳とそれに料理した子牛を持って来て、彼らの前に供えた。彼は、木の下で彼に給仕していた。こうして彼らは食べた。[創世記 18章1節~15節]
アブラハムのもてなしの食事
前段階
神からサラにイサクをもうけるという確約をうけた直後である。
そして三人の旅人(神)の登場、しかしアブラハムは神とは知らされていない。そしてアブラハムは神を畏れる人間としてふさわしい態度をとることが出来るかどうか?試験である。そしてアブラハムは神の到来を三人の旅人として受け止めた。
アブラハムのもてなしの仕方
出迎えるために高齢のアブラハムが走って出迎える。走るのは特別な方を出迎える表現である。そして、地面にひれ伏す。普通の旅人に対する出迎え方ではない。アブラハムの神に従う忠実な僕でしかも謙虚な態度である。
アブラハムの料理の準備の仕方とレシピ
聖書の箇所で料理のレシピがここまで詳しく書かれている箇所はありません。アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来ていった。「早く、上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい。」アブラハムは牛の群れのところに走って行き柔らかくて美味しそうな子牛を選び、召使に渡し、急いで料理をさせた。アブラハムは凝乳、乳、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べた。そして彼らが木陰で食事をしている間、そばに立って給仕をした。ここの箇所でも、「急いで戻り」「早く上等の小麦粉で」「牛の群れに走って行き」「急いで料理させた」「そばに立って自ら給仕をした」アブラハムは見知らぬ旅人を迎えるのに常識をはるかに超えた歓待をした。アブラハムは、神を迎え、神に仕えるにふさわしい行動をとった。そしてアブラハムは試験に合格して、主の忠実な僕であると認められて神から祝福されイサクが与えられた。
神様に祝福された家族の食事
あなたの妻はあなたの家の奥にいて豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ。あなたの子らは、あなたの食卓を囲んで、オリーブの木を囲む若木のようだ。[詩篇 128篇3節]
この箇所は読むと神様に祝福された家族の風景が目に浮かびます。食事を囲んでいるのは幼子を中心にした家族で、幼子と優しい両親との楽しい話し声が聞こえてきそうです。けっして贅沢ではなくても母親の愛情がたっぷりと注がれた食事を感謝して口にする幼子の笑顔が想像できます。
家庭の食事の大切さ
今の私たちの食事
食の混乱(食材のごまかし、手抜き)
孤食な時代
お腹は満たしても心の寂しさは満たせません。どんなに父親、母親が忙しくとも家族が揃って食事をするように心掛けたいものです。
教育→体育→食育〔食を通して心身ともに健やかな子供に育てる〕
私の経験
母親のいない家庭(妻が子供が中一、中二の時に白血病にて召天)
子供達に、絶対に食事、お弁当、服装でみじめな思いをさせない決意!
でも父親が最初に作ったおかずはお酒のさかな?でした。
運動会、遠足のお弁当、おせち料理も料理の本を片手に徹夜で作った。
食事を作る時、子供達との共同作業と会話と後かたづけ。
食べる時は、作った料理の出来栄えの品評会。
頂いた食材のこと(筍、山菜)
ほう葉寿司(岐阜県の究極の家庭料理)
元気になる食事(山芋をふかして食べる)
まとめ
食事は神と人とを出会わせ、神と人との出会いは食事に現れる。神の民にとって食事はこのように重要なものである。
我々の食事は、神の御前で人々と共にする食事であるときにあらゆる祝福の源になることでしょう。