2022 年 4 月 30 日

今月の礼拝予定(2022年5月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 23:56

5月1日 復活節第3主日

主日主題: 新生
聖餐礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: ローマ人への手紙12章1-2節
説教:「心を新たに」鴨下直樹牧師

礼拝後:誕生月の方への祈り、礼拝の学び

5月8日 復活節第4主日

主日主題: 教会
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書のお話:「ペテロ(1)」河合和世
聖書: ローマ人への手紙12章3-8節
説教:「一つのからだなる教会」鴨下直樹牧師

礼拝後:礼拝の学び

5月15日 復活節第5主日

主日主題: 神の言葉
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: マタイの福音書13章51-52節
説教:「天国は本当にある」田中啓介師

礼拝後:大掃除・草刈り
礼拝準備会/月間予定確認会、教団福祉の集い

5月22日 復活節第6主日

主日主題: 愛
聖餐礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書のお話:「ペテロ(2)」鴨下愛
聖書: ローマ人への手紙12章9-21節
説教:「愛の姿」鴨下直樹牧師

5月29日 復活節第7主日

主日主題: 信仰
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書のお話:「ペテロ(3)」宮崎恵美子
聖書: コリント人への手紙第二 5章11-17節
説教:「イエス様の愛に動かされてイエス様のために生きよう!」アイマン師

2022 年 4 月 24 日

・説教 ヨハネの福音書1章43ー51節「芥見から何の良いものが出るだろうか…」

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 00:41

2022.04.24

舛田友太郎

Lineライブ

午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。

証詞「会堂建設の恵み」下斗米利男


説教「芥見から何の良いものが出るだろうか…」舛田友太郎


 

2022 年 4 月 17 日

・説教 ローマ人への手紙12章1-2節「神に喜ばれる礼拝」

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 00:01

2022.04.17

鴨下直樹

⇒ 説教音声の再生はこちら

Lineライブ

午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。


 
 イースターおめでとうございます!

 この主のよみがえりを記念するイースターの礼拝に、こうしてみなさんと顔を合わせて礼拝することができることを感謝します。

 今日はこの後で、聖餐を行います。四月の第一主日の礼拝にも聖餐を祝いました。そして、先週の聖金曜日と呼ばれる、受難日の礼拝でも聖餐をいたしました。今日の礼拝でも聖餐をいたします。一か月に三度も聖餐をすることを、驚かれる方もあるかもしれません。本当なら、毎週の礼拝におこなっても良いくらいだと私は思っていますが、今日も私たちは聖餐の食卓に招かれています。

 私たちは毎週礼拝をささげています。その礼拝も、聖書に記された礼拝を考えると、ずいぶん形が変わりました。創世記に出てくる礼拝は、祭壇を築きまして、そこで神様に犠牲の供え物を捧げて火で焼いて、おささげするというのが礼拝の形でした。その後、出エジプトの頃になりますと、イスラエルは幕屋というものを作りまして、その幕屋でやはり犠牲をささげておりました。ところが、イスラエルが神にあまりにも敵対したために、イスラエルは滅亡してしまいまして、幕屋の代わりに造られていた神殿も崩壊してしまいます。こうして、近隣の国々に支配されるようになりますと、この犠牲を献げる礼拝はできなくなってしまいます。代わりに、会堂、シナゴーグと呼ばれるところで聖書の教えを聞くという、安息日の過ごし方が生まれてきます。そして、イースターの出来事が起こってからは、教会はパン裂きと言いましたが、聖餐をするために、初代の教会は安息日に代わって、主の日、つまり日曜になると聖餐をするようになっていったのです。

 ところが、そのような聖餐をする礼拝が何百年か続きましたが、宗教改革が起こってプロテスタントの教会になりますとその肝心の聖餐をしない礼拝というのが行われていくようになります。これは、宗教改革者ルターが言い出したことでもあるのですが、ルターは、それまでカトリックで定めていた7つの典礼のうち2つが大事と言って、洗礼と聖餐を典礼、神様が定められた儀式だとしました。ところが、そう言いながらプロテスタント教会ではこの典礼ではない礼拝をしているという不思議な現象が起こっているのです。

 つまり、み言葉の礼拝というのを、礼拝と呼んでいるのです。さまざまな礼拝の本がでていますが、実は、このプロテスタント教会で行っているみ言葉を聞くことを中心とする礼拝を、どう考えるのかという議論はあまり行われておりません。自然に受け入れられていったのです。

 ただ、宗教改革者ルターは、典礼の中心はキリストであり、キリストに与ることがサクラメントであり、典礼だと考えました。そして、「キリストとは神の言葉のことだ」とも言ったのです。これは『教会のバビロン捕囚』という書物の中で書いています。そして、この本が、プロテスタント教会の典礼理解の鍵になっている書物でもあります。

 それこそ、ルターやカルヴァンという宗教改革者の時代は、毎週聖餐をおこなっていたのですが、改革派教会の中からツヴィングリという指導者が出てきます。この人が、プロテスタントの聖餐はカトリックのような功徳を積む行為という理解がない、単なる記念、象徴なので、毎回行わなくてもいいのではないかと言い出して、それから、月一度の聖餐というように定着してきたわけです。

 ただ、そうすると、今やっている礼拝は何かということになってしまいます。ルターは、先ほどいいました『教会のバビロン捕囚』という本の中で、キリストに与ることが礼拝だと言いました。それは、もともとは聖餐を意味していたのですが、キリストとは神の言葉であるとルターが言った考え方が、みことばの礼拝の根底にあるということになります。つまり、みことばを聞くことが、キリストに与ることだという理解が生まれたということになるわけです。そこで、私たちがもう一度考えないといけないのは、神の言葉とは、聖書のことであるという理解は、その中には含まれていないということです。

 なぜ、こういう礼拝の話をこの説教でしたかというと、このローマ人への手紙の第12章からは、パウロがいよいよ、キリスト者の具体的な生き方の話をしているところだからです。そこで、パウロは礼拝ということを第一に語っているのです。

 礼拝というのは聖書の話を聞くことと思われる方があるかもしれません。そう考えてしまうと、私たちの具体的な毎日の生き方が、まるで見当違いなものになってしまいかねません。 (続きを読む…)

2022 年 4 月 15 日

受難日礼拝 ローマ人への手紙11章33-36節「この神に、栄光がとこしえにありますように!」

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 19:30

2022.04.15

鴨下直樹

⇒ 説教音声の再生はこちら


 
 今、私たちはこれまでにないほど暗い時代に生かされています。ロシアとウクライナの戦争のニュースは毎日、更新され続けています。また、新型コロナウィルスの感染者の拡大は、今もなお世界に広がり続けています。

 この聖金曜日、受難日と言われるように、教会の燭台の灯火はすべて消えてしまっているのです。光がなくなった日、それがこの受難日の意味するものです。

 主イエスが十字架の上で、この世界に裁かれ、死刑にされてしまったのです。それは、まさに神の敗北のしるしであり、絶望の知らせです。

 こんなことを、一体誰が考えたのでしょう。神の御子である主イエス・キリストが人間に裁かれ、罪あるものとして、十字架の上で見世物となって殺害されたのです。

 主イエスと共に歩んで来た弟子たちは、まさに絶望したのです。外に出ることもできず、部屋の中に隠れて閉じこもることしかできなくなりました。

 福音の敗北、神の無力さの宣告、そして、死と絶望が勝利したのです。

パウロは語ります。33節。

ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいのでしょう。

 神が、この世界を創造し、人を生じさせ、アブラハムを選び、ヤコブを選び出し、イスラエルの民を守り導いてきた神の愛の御業は、主イエスの十字架の死で、一度完全な終わりを迎えたのです。

 本当に、この神は生きて働いておられるお方なのか。そのような疑問符がつけられたのが、この聖金曜日、受難日の出来事でした。

 もちろん、ここでパウロが語っているのは、第一には8-11章のテーマであるユダヤ人の救いのことです。そして、第二には、ここまでの1章から11章までのローマ書全体でパウロが語ってきたことに対して、神のなさることの深さを語っています。

 ですが、私は、この神の知恵と知識の富の深さは、この受難日の出来事のことも当然含んでいると考えて間違いないと思います。

 34節と35節はこう続きます。

だれが主の心を知っているのですか。だれが主の助言者になったのですか。だれがまず主に与え、主から報いを受けるのですか。

 34節はイザヤ書40章13節の引用です。主に助言できるような者がいるだろうかと言い、主の知恵と知識は人間の考えをはるかに超えていることを物語っています。 (続きを読む…)

2022 年 4 月 10 日

・説教 ローマ人への手紙11章25-32節「賜物と召命」

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 08:58

2022.04.10

鴨下直樹

⇒ 説教音声の再生はこちら

Lineライブ

午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。


 
 今日から受難週に入ります。七本立てられております蠟燭も、ついにこの一本だけになりました。このレントの期間、私たちは主イエスがご自分のいのちを少しずつ削るようにして、私たちにご自身のいのちを与え尽くしてくださったことを見続けてきました。この蝋燭は主のいのちの尽きていく姿を見える形で表現しているのです。

 そして、まさにこの受難週を迎える今日、私たちはローマ書11章の結びの箇所のみ言葉を聴こうとしています。ここに記されているのは、信仰の奥義だとパウロは言っています。
25節。

兄弟たち。あなたがたが自分を知恵のある者と考えないようにするために、この奥義を知らずにいてほしくはありません。

 パウロはここで、ユダヤ人の救いのことを語り続けています。それが、9章から11章まで続いています。ユダヤ人が救われるのかどうか。ユダヤ人は神に逆らい続けたために、神の福音は、ユダヤ人から異邦人へと向けられて、その結果、異邦人たちが信仰に入れられるようになったという現実がありました。ユダヤ人たちが神に不従順であったために、外国人である私たちが、神の救いに与かることができるようになったのです。

 そして、パウロは実はここに、神の奥義が隠されていると言っているのです。

 ここで問われているのは、神に対して不従順な者に対して、神がどうなさるのかということです。普通に考えていけば、神に不従順な者は、神から捨てられて裁かれる。裁きを受けると考えるのが普通です。神様の見ておられるところで悪いことをすれば罰が当たる。これが世の常です。お天道様は見ておられるというわけです。

 ところがパウロは、ここで、ユダヤ人が神に不従順であったために、異邦人が神のあわれみの眼差しにとまって、異邦人が救われるようになった。けれども、神のユダヤ人に対する選びはなくなったのではないのだと語っています。

 それで、29節。

神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。

と宣言するのです。

 神の「プランA」はユダヤ人を救って、このユダヤ人をモデルにして、世界中に神様のことが分かるようにさせようという計画でした。しかし、この「プランA」はダメになりました。ユダヤ人が神の期待を裏切ったのです。そこで、「プランB」に変更されました。それが、今度は異邦人を救いに導いて、神の人間に対する愛を、世界中に知らせようというものです。普通は、そうなったら、「プランA」はもう破棄されたものと考えるのですが、「神の賜物と召命は取り消されることがない」とここでパウロは言うのです。「プランA」は無くなったわけではないというのです。

 もう少し先を見てみましょう。パウロは30節と31節でこう言っています。

あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けています。
それと同じように、彼らも今は、あなたがたの受けたあわれみのゆえに不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今あわれみを受けるためです。

 ここで言う、「あなたがた」というのは、私たち異邦人のことです。私たちは神に不従順であった。そこからいえば神の目にとまるはずもない存在なのですが、「彼ら」、ユダヤ人が不従順であったために、神のあわれみを受けるようになった。

 ここに「不従順」という言葉と「あわれみ」という言葉が出てきます。実は、この二つの言葉が、パウロが奥義と語っている神の深いお考えの中身の正体なのです。

 「不従順な者をあわれむ」。この言葉は、私たちの日常の生活の中で、まず起こり得ない感情であり、現状です。

 願っていることを行わない。期待に応えてくれない。そこから生まれる私たちの気持ちは一体何でしょう。自分を信頼してくれないのです。自分の思いに応えてくれない。何かを頼んでもやってくれない。期待するだけ無駄。信頼するほど悲しくなるのです。そこで起こるのは、怒り、苛立ち、敵意、あるいは悲しみや、諦めです。

 ところが、神はその時に「あわれむ」というのです。 (続きを読む…)

2022 年 4 月 3 日

・説教 ローマ人への手紙11章13-24節「神の慈しみと厳しさ」

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 07:17

2022.04.03

鴨下直樹

⇒ 説教音声の再生はこちら

説教全文はただいま入力・校正作業中です。 近日中に掲載いたします。

Lineライブ

午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。


 

 最近、色々なところで「次世代」という言葉を耳にします。その前によく耳にしたのは「ポスト」ということばです。「ポストモダン」とか「ポスト安倍」というように、「その後」という意味で使う言葉です。

 若い人を育てないといけないという、社会の焦りが、そういう言葉の中に見え隠れしています。

 ここからは私の個人的な感覚なのですが、「次世代」という言葉を使いながら、次のリーダーを育てようという時に、私が感じるのは「本当に次世代に育って欲しいと願っているのかな」という疑問です。自分よりも若い人が、自分を追い抜いてリーダーになっていくことを受け入れる土台があるとは、あまり思えないのです。

 今、ニュースで私たちはウクライナの大統領や、他の政府責任者が非常に若いことに驚きを覚えます。あるいは、もっと身近なところでいうと、ドイツのアライアンスミッションの代表になるような人たちも30代や40代で抜擢されることが珍しくありません。

 自分たちよりも優秀な人が頭角を顕して来た時に、どうしてもそれを潰して、自分たちが残るということを、特にこの日本では、やっているのではないかという気がするのです。

 それは政治家だけでなく、企業でも、教会でも同じような体質が多いという印象を、私は持っているのですがいかがでしょうか。

 新しく良いものが出て来ても、それを受け入れていくにはまず周りを見て、様子をうかがって、みんなが受け入れているようなら、そろそろうちでも取り入れようかと検討を始める。追い越されていく方は気が気ではないのです。

 ユダヤ人たちにとって、キリスト教とはまさにそういう相手でした。だから、パウロが異邦人に福音を宣べ伝えはじめて、勢いが増すにつれて、ユダヤ人たちはこの教会の勢いを何とか止めたいと思ったのは、よく理解できるのです。

 その意味でパウロは、ユダヤ人たちの特質や、ものの考え方、伝統ということをよく知っていました。その上で、主イエスが語る福音の新しさを知り、その魅力にいち早く気付き、それを導入して次世代のリーダーとなった人物に違いないわけです。

 しかし、パウロは同時に、自分もユダヤ人であり、ユダヤ人としてのアイデンティティー、誇りも持っていました。神のユダヤ人に対する変わらない愛の眼差しを知っていましたから、そのことを語る必要性を覚えていた人です。

 そういう意味でいうと、「次世代」という声掛けで、上の人の造り上げた想像力の枠組みの中で、次世代が育つなんてことはなく、次世代の人は自分の才覚と実力で、その上の世代を乗り越えていくリーダーシップが必要なんだろうと、私は漠然と思うわけです。そして、そうやって出てきた人を、潰すのではなくて、受け入れる備えのようなものが必要になってくるのだと思うのです。

 パウロは、ここで自分に課されているものが何であるかを、明確にしています。13節と14節です。

そこで、異邦人であるあなたがたに言いますが、私は異邦人への使徒ですから、自分の務めを重く受け止めています。私は何とかして自分の同胞にねたみを起こさせて、彼らのうち何人かでも救いたいのです。

 パウロはここで自分の役割と使命を語ります。自分は、神の福音を異邦人に語るのが、自分に与えられた働きであると言いながら、その結果、自分の同胞ユダヤ人を悲しませることになり、結果として彼らのねたみを起こさせて神に救われることを願っているというのです。

 同胞のユダヤ人に対するパウロの愛が、ここで明確に告げられています。異邦人が救われるということは、彼らは神から捨てられることになる。けれども、その捨てられたはずのユダヤ人が、そこから立ち返る、それこそが復活の御業であり、神はユダヤ人をも復活させようと思っておられるのだと、ここでかなり大胆な宣言をしているのです。

 このパウロの宣言を裏付けるために、パウロはひとつのたとえ話をします。まず語るのは16節です。これは、神に献げるささげ物を例にしています。穀物のささげ物のことがレビ記2章に記されています。穀物を献げる場合、その穀物の初穂を献げて、その残りの部分は祭司の取り分となります。この祭司の取り分となったものの方を、「最も聖なるもの」と言い方をします。神に献げる物は、聖なるものとなる。これは、神のものとなるということです。献げた物、祭壇で焼かれた物は、聖なるものとして神のものとなるのですが、残り物も聖なるものなのです。代表の部分が聖いと認められれば、その全体は聖いという考え方です。それに続いてパウロは、「根が聖なるものであれば、枝もそうなのです」と語ります。一部分の聖さは、全体の聖さだというのです。そして、これはこの後のたとえの導入になっていきます。 (続きを読む…)

2022 年 4 月 1 日

今月の礼拝予定(2022年4月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 00:20

4月3日 受難節第5主日

主日主題: 慈しみ
聖餐礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: ローマ人への手紙11章13-24節
説教:「神の慈しみの厳しさ」鴨下直樹牧師

礼拝後:伝道師任職式/誕生月の方への祈り/役員会

4月10日 棕櫚の主日

主日主題: 賜物と召命
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書のお話:「十字架」鴨下愛
聖書: ローマ人への手紙11章25-32節
説教:「賜物と召命」鴨下直樹牧師

礼拝後:礼拝準備会/月間予定確認会

4月15日(金)受難日

主日主題: 受難
受難日聖餐礼拝: 19時
聖書: ローマ人への手紙11章33-36節
説教:「この神に、栄光がとこしえにありますように!」鴨下直樹牧師

4月17日 イースター

主日主題: 礼拝
聖餐礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書のお話:「イエスの復活」山田茜
聖書: ローマ人への手紙12章1-2節
説教:「神に喜ばれる礼拝」鴨下直樹牧師

4月24日 復活節第2主日

主日主題: 福音
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: ヨハネの福音書1章43ー51節
説教:「芥見から何の良いものが出るだろうか…」舛田友太郎師

HTML convert time: 0.179 sec. Powered by WordPress ME