2012 年 8 月 27 日

・今月の礼拝予定(2012年9月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 00:00

9月2日 聖霊降臨節第14主日

主日主題: 神の義
聖書: マタイ27:1-26
説教: 「イエスかバラバか」  鴨下直樹牧師
聖餐式

礼拝後:役員会 聖歌隊練習

9月9日 聖霊降臨節第15主日

主日主題: 喜び
聖書: (未定)
説教: 明田勝利先生

礼拝後: 明田先生ご夫妻との交わりの会、「教団の日の集い」聖歌隊練習「キリストにはかえられません」

9月16日 聖霊降臨節第16主日

主日主題: 救い
聖書: (未定)
説教: 河出洋一執事

礼拝後:

9月23日 聖霊降臨節第17主日

主日主題: 受難
聖書: マタイ27:27-44
説教: 「まことの王を求めて」 鴨下直樹牧師

午後:教団の日の集い、青年会連絡会

9月30日 聖霊降臨節第18主日

主日主題: 十字架
聖書: マタイ27:45-56
説教: 「十字架の叫び」 鴨下直樹牧師

午後:キリスト教美術講座

2012 年 8 月 26 日

・説教 マタイの福音書26章57-75節 「イエスの裁判」

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 19:58

2012.8.26

鴨下 直樹

今朝は少し長い聖書の箇所を一緒に聞きました。サンヘドリンと呼ばれる祭司たちの議会で行なわれた裁判の様子と、ペテロの三度の否認と呼ばれる出来事がここに記されています。二つの出来事を分けて読むこともできると思いますけれども、この朝は少し長いですが、この二つの出来事を取り上げました。と言いますのは、この二つの出来事は、二つに分けられないほど非常に深いつながりがあると考えているからです。

この朝の説教の題を「イエスの裁判」とつけました。このマタイの福音書には二つの裁判の場面が記されています。一つはこのサンヘドリンと呼ばれている議会での裁判です。新改訳聖書をお持ちの方は五十九節の「全議会」という言葉の注として、欄外に「サンヘドリン」と書かれているのを見つけることができると思います。新共同訳の聖書では「最高法院」と訳されている言葉です。もう一つの裁判が、この後に行なわれます、ローマの総督であるピラトによって行なわれた裁判です。
ここで「全議会」と言われているサンヘドリンの議会は、宗教的な問題を取り扱う議会です。七十一人の議会メンバーで構成されていまして、その三分の一が集まれば議会を開催することができたようです。ですから、完全に人数が集まっていなくても裁判を行なうことができました。そんな理由があったからでしょうか。今日の聖書を読んでみますと五十七節にこう記されています。

イエスをつかまえた人たちは、イエスを大祭司カヤパのところへ連れて行った。そこには、律法学者、長老たちが集まっていた。

主イエスが捕らえられたのはゲツセマネにおいて三度の長い祈りをした後のことですから、当然真夜中の出来事です。普通はそんな時間に裁判をするということはありません。サンヘドリンの議会法でも、日の出前に議会を招集するということは出来ないことになっていたのです。おそらく議員すべて集まったのではないのでしょう。真夜中に裁判をするなどというのはありえないことです。けれども、この裁判は行なわれてしまいました。何故か。それは、もうこの議会の人々の中に、イエスをどうしたいのかという意思が明白であったからです。 (続きを読む…)

2012 年 8 月 19 日

・説教 マタイの福音書7章7-12節 「律法にあらわされた父の心」

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 19:30

2012819

聖書宣教会2年

舛田友太郎

序章:神の国は約束されている。自分のことばかりではなく、他者を愛しなさい。

1救いは約束されている

2律法にあらわされた父の心とは、私たちに対する愛である

3)律法にあらわされた父の心とは、私たちと愛の交わりを求められることである。

4律法にあらわされた父のこころとは、私たちが神の子どもとしてどのように生きるかである

序章:みなさんおはようございます。私のことを知らない方もおられるようですので、簡単に自己紹介をさせていただきます。私は東京にあります神学校で牧師になるべく学びをしております、舛田友太郎と申します。

よろしくお願い致します。

「律法」、聞き慣れない方もいらっしゃいますでしょうか。「律法」とは簡単に説明しますと、神が私たちに守るよう与えられた教えのことです。律法と聞くと「あ〜しなさい」「こ〜しなさい」「あれをしてはいけない」

「これはしてはいけない」と、神さまがとても厳しい命令を与えているとのイメージを持たれている方が大勢いるのではないでしょうか。大切なのは分かるんだけれども、どうにも苦手であるとの声をよく聞きます。

「律法」を避ける傾向が今日の私たちには見られるのではないでしょうか。「愛」や「恵み」に関する御言葉は好んでポストカードやカレンダーに使われますが、「偶像を造ってはならない」や「盗んではならない」との

御言葉はあまり見かけません。しかしこのような見方こそがイエス・キリストが「わざわいだ偽善の律法学者、パリサイ人」と厳しく非難された原因となるのです。大切なのは律法の心に目を向けることです。

「律法」を与えられたのは神さまです。ですから「律法」には神さまの心があらわれているのです。律法にあらわされているのは、私たちが礼拝する神さまの心です。ですから、避けたりないがしろにはできないはずです。

神の国の約束の確かさ

「求めなさい。そうすれば与えられます」「捜しなさい。そうすれば見つかります。」「たたきなさい。そうすれば開かれます。」。山上の説教の中で語られているとても有名な箇所です。

この箇所を読む多くの方が「欲しいもの、必要なもの、願望」は祈り求めれば神さまは叶えてくださるとの希望を抱くのではないでしょうか。私は混乱しました。あれが欲しいといくら熱心に祈っても叶えられないのですから。

私のように聖書の多くの箇所で誤解して読んでしまうことはたくさんあります。その誤解の多くが、読む範囲を狭くし過ぎることによって生じます。もう少し読む範囲を広げると、この箇所でイエスさまが主題にしていることが分かります。 (続きを読む…)

2012 年 8 月 5 日

・説教 マタイの福音書26章36ー46節 「死ぬほどの悲しみの中で」

Filed under: 礼拝説教 — miki @ 13:01

2012.8.5

鴨下 直樹

今朝、私たちに与えられているのはゲツセマネの祈りと呼ばれている箇所です。この出来事は、主イエスの苦しみをよく表している箇所です。しかし丁寧に読んでみますと、良く分からない所がいくつも出てきます。
今日の説教の題を「死ぬほどの悲しみの中で」としました。題としてこれが相応しいかとも思いましたけれども、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。」と弟子たちに言われた主イエスの言葉がとても強く心に残ります。

主イエスがゲツセマネに行かれて、ペテロとゼベダイの子ふたり、すなわちヤコブとヨハネを連れて、そこで悲しみにもだえながら祈り始められたのです。その主イエスが、一緒に目を覚ましているように言われた弟子たちに対して、「わたしは悲しみのあまりに死ぬほどです。」と言われたと言うのです。
これほど神に似つかわしくない言葉であると考える人も少なくないようです。悲しみに押しつぶされて死ぬほどである、それほどの悲しみをここで主イエスは覚えておられるというのです。しかも、それは祈りにおいてだというのです。
悲しみの中にいる人に、私たちは時折、神様にお祈りしてごらんなさいとアドバイスすることがあるのではないでしょうか。その悲しみをきっと神様が支えてくださるからと信じて、そのようにアドバイスすることがあります。けれどもここで主イエスは、その神との祈りの中で死ぬほどの悲しみを覚えていたというのです。これはいったいどういうことなのでしょうか。 (続きを読む…)

2012 年 8 月 1 日

・今月の礼拝予定(2012年8月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 11:25

8月5日 聖霊降臨節第11主日

主日主題: 祈り
聖書: マタイ26:36-46
説教: 「死ぬほどの悲しみの中で」  鴨下直樹牧師
聖餐式

礼拝後:役員会

8月12日 聖霊降臨節第12主日

主日主題: 神の権威
聖書: マタイ26:47-56
説教: 「剣をすてて」  鴨下直樹牧師

AM:9:30 中高生洗礼の学び
礼拝後: 聖歌隊練習(14時~)、浅野先生ご家族との交わりの会

8月19日 聖霊降臨節第13主日

主日主題: 恵み
聖書: (未定)
説教: 舛田友太郞 神学生

国内宣教報告(松平兄)
礼拝後:松平兄との交わりの会、愛餐会(壮年会担当)

8月26日 聖霊降臨節第14主日

主日主題: 主の裁判
聖書: マタイ26:57-75
説教: 「イエスの裁判」 鴨下直樹牧師

午後:

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