2012年8月19日
聖書宣教会2年
舛田友太郎
序章:神の国は約束されている。自分のことばかりではなく、他者を愛しなさい。
1)救いは約束されている
2)律法にあらわされた父の心とは、私たちに対する愛である
3)律法にあらわされた父の心とは、私たちと愛の交わりを求められることである。
4)律法にあらわされた父のこころとは、私たちが神の子どもとしてどのように生きるかである
序章:みなさんおはようございます。私のことを知らない方もおられるようですので、簡単に自己紹介をさせていただきます。私は東京にあります神学校で牧師になるべく学びをしております、舛田友太郎と申します。
よろしくお願い致します。
「律法」、聞き慣れない方もいらっしゃいますでしょうか。「律法」とは簡単に説明しますと、神が私たちに守るよう与えられた教えのことです。律法と聞くと「あ〜しなさい」「こ〜しなさい」「あれをしてはいけない」
「これはしてはいけない」と、神さまがとても厳しい命令を与えているとのイメージを持たれている方が大勢いるのではないでしょうか。大切なのは分かるんだけれども、どうにも苦手であるとの声をよく聞きます。
「律法」を避ける傾向が今日の私たちには見られるのではないでしょうか。「愛」や「恵み」に関する御言葉は好んでポストカードやカレンダーに使われますが、「偶像を造ってはならない」や「盗んではならない」との
御言葉はあまり見かけません。しかしこのような見方こそがイエス・キリストが「わざわいだ偽善の律法学者、パリサイ人」と厳しく非難された原因となるのです。大切なのは律法の心に目を向けることです。
「律法」を与えられたのは神さまです。ですから「律法」には神さまの心があらわれているのです。律法にあらわされているのは、私たちが礼拝する神さまの心です。ですから、避けたりないがしろにはできないはずです。
Ⅰ:神の国の約束の確かさ
「求めなさい。そうすれば与えられます」「捜しなさい。そうすれば見つかります。」「たたきなさい。そうすれば開かれます。」。山上の説教の中で語られているとても有名な箇所です。
この箇所を読む多くの方が「欲しいもの、必要なもの、願望」は祈り求めれば神さまは叶えてくださるとの希望を抱くのではないでしょうか。私は混乱しました。あれが欲しいといくら熱心に祈っても叶えられないのですから。
私のように聖書の多くの箇所で誤解して読んでしまうことはたくさんあります。その誤解の多くが、読む範囲を狭くし過ぎることによって生じます。もう少し読む範囲を広げると、この箇所でイエスさまが主題にしていることが分かります。 (続きを読む…)