・説教 マタイの福音書27章27-44節 「十字架への静かな道」
2012.9.23
鴨下 直樹
主イエスの受難の物語を私たちはいま聞き続けています。二週間の間休みをいただきましたので、二週間ぶりということになります。
今日は何から話をしたらいいのか分からないほどに、先週一週間の間に色々なことがありました。二週間休みをいただいたことがもうずいぶん前のことと思えるほどでした。
もうすでに多くの方は御存じのことですけれども、水曜日と木曜日にかけて葬儀が行なわれました。今日は教団の日で、午後にはここを会場にして教団の日の集会があります。その午後の集いの説教の準備もあります。それ以外にも、金曜日の集会や名古屋で教えています神学塾の勤めや、昨晩は学生の集まりもありました。いつもの一週間に戻ったことを実感する一週間でした。その間中私の心に留まっていたのが、今朝、私たちに与えられている主イエスの十字架までの道のりの物語です。
カトリック教会にまいりますと、どこの教会に行っても壁に十五枚の絵がかけられています。絵である場合もありますし、レリーフの場合もります。主イエスの受難の場面を十五に分けまして、その絵を見ながら主イエスの十字架の苦しみを思い起こすという習慣があるためです。その十五枚の主イエスの十字架の苦しみを描いたもののことを「十字架の道行き」といいます。
主イエスの裁判の場面、兵士たちに鞭打たれるところ、十字架を担いで行かれるところなど様々な場面があります。今、私たちがこのマタイの福音書で聞き続けている主イエスの痛ましい姿を心に刻むようにと、礼拝堂の中に主イエスの十字架までの道のりを示す絵を飾るのです。
この十字架までの主イエスの道行きの場面を読みながら、今週、教会で様々な集いがありました。私自身、葬儀をし、祈祷会をし、パッチワークの集まり、神学校の授業、そして、学生たちとバーベキューをして過ごします。まさに、色々な生活の場面を自分も味わいながら、その中に主イエスの苦しみを覚える一週間となりました。そのような人との関わりの中でこの主イエスの十字架の道行きの御言葉に耳を傾ける。それは非常に印象深い経験となりました。 (続きを読む…)