2022 年 6 月 26 日

・説教 ローマ人への手紙14章13-23節「神の国は義と平和と喜びです」

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 00:29

2022.06.26

鴨下直樹

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 先週の火曜日から木曜日まで、教団の教役者研修会が開かれました。今回のテーマは「ヘルシーチャーチを目指して」というテーマでしたが、その内容は「パワハラ防止法の学び」でした。

 これは、今年の4月から施行された規則で、中小企業に対して守るよう義務化された法律です。私たちの同盟福音キリスト教会は包括法人ということもあって、この対象に該当します。今年の教団の3月総会で「ハラスメント防止に関する諸規則」が決議されています。その内容を知っておく必要があるということで、今回の研修会で、木曽川教会の会員で社会福祉労務士の方をお招きして研修会をいたしました。

 これは、基本的に、職場の上下関係を健全にするための規則です。上に立てられたものは、その立場を利用して精神的、また身体的苦痛を与えることのないようにというものです。特に、私たちの教団では女性教職が認められているのですが、そういうことに対しても注意する必要があります。

 本当は、こういう法律で守らなくても、聖書に書かれていることが理解されていれば問題ないわけです。
今日の13節にこう記されています。

こういうわけで、私たちはもう互いにさばき合わないようにしましょう。いや、むしろ兄弟に対して妨げになるもの、つまずきになるものを置くことはしないと決心しなさい。

「妨げとなるもの」、「つまずきになるもの」というのは、思いがけず人をつまずかせてしまう石や障害物を置かないようにということです。ただ、その石がたまたまそこにある石というのではなくて、罠をかけているようなもののことです。

 相手に対する配慮がないまま、その人を懲らしめようとする石というのは、私たちの生活の中にはいくらでも転がっているといえます。

 牧師同士のパワハラが起こらないともいえない世界に私たちは生きています。教会の中に、強い人と弱い人がいて、その間につまずきの石がある。そうなると、たちどころに相手のことを思いやる心はどこかにいってしまって、それぞれの主義主張がなされてしまう。そこで愛や配慮のない言動が起こってしまうのだとしたら、それは本当に残念なことです。

 それで、パウロは断言します。14節です。

私は主イエスにあって知り、また確信しています。それ自体で汚れているものは何一つありません。ただ、何かが汚れていると考える人には、それは汚れたものなのです。

 このパウロの言葉は、画期的な意味を持った言葉でした。旧約聖書には「食物規定」と呼ばれる戒めがあって、「汚れた食べ物」のことが記されています。豚やらくだ、鱗のない魚、鳥の中でも猛禽類などは汚れている食べ物なので食べられないと戒められていました。ユダヤ人たちは、その戒めも何千年にわたって神様が定め、先祖たちが大切に守って来た教えとして、それこそいのちがけで守って来たのです。

 新約聖書になって、使徒の働きの中で、教会の代表であったペテロに天からそれらの食べ物の入った籠が天から降りて来て、それらの食べ物は「聖い」と主が宣言されました。その時から、これらの食べ物は食べても良いということになったのです。けれども、何千年も大切にしてきた考えをそんなに簡単に切り替えられるものではありません。けれども、パウロはここではっきりと、もはやそれ自体で汚れた食べ物というものは存在しないと断言したのです。ただ、それが汚れた食べ物だと考えている人にとっては、汚れたものなのだと言ったのです。これは、新しい時代に移ったことの宣言とも言えます。

 こうして、パウロは教会の中で、これまでの食べ物の理解が大きく変わったことを明らかにして、そのことでさばき合うことがないようにと注意を呼び掛けたのです。

 特に、この14節は「偶像に捧げた肉は食べてはいけない」と考えている人に向かっての言葉です。人を裁いてしまう弱い人に対してパウロは語っています。 (続きを読む…)

2022 年 6 月 19 日

・説教 ローマ人への手紙14章1-12節「強い人と弱い人」

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 00:44

2022.06.19

鴨下直樹

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 今日の説教のタイトルを「強い人と弱い人」としました。

 みなさんは、自分がクリスチャンとして強い人か弱い人かと言われると、自分はどちらに属すると思われるでしょうか。多くの方は自分は弱いクリスチャンだと思っておられるのではないかと思います。

 今日、パウロがここで語っている強い人と弱い人というのは、私たちのイメージするものとは少し異なっているようです。

今日の聖書にはこう記されています。1節から3節です。

信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。ある人は何を食べてもよいと信じていますが、弱い人は野菜しか食べません。食べる人は食べない人を見下してはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったのです。

 ここで、パウロは誰のことを「強い人」と言っているのでしょうか?

 読んでみると分かるのですが、ある人は何を食べてもよいと信じています。その人のことを強い人と言っていることが分かります。そして、ある特定のポリシーを持っている人、ここでのパウロの言いたいことを言い換えると、何かをきちんと守ることが信仰の証を立てることになると思っている人のことを「弱い人」と呼んでいるようです。

 これは、私たちの持つイメージとは逆かもしれません。これは、よくお話しすることですが、当時の肉は、異教の神にささげられた肉が市場に並ぶわけです。どうも、そういうものが大半を占めていたようです。そうすると、熱心なクリスチャンは、異教にささげた肉は食べない方がいいと考えました。それは使徒の働き15章に記されているエルサレム会議の決定でもあったわけです。それで、結果として野菜を食べるという考えを持つ人が出て来たようです。パウロはここでその考え方を、信仰の弱い人と表現したのです。

 つまり、人をさばく側に立つ人のことを、信仰の弱い人と言うのです。そして、ここからが面白いところですが、そういう弱い人を受け入れてやりなさいとパウロは勧めているのです。当時のエルサレム教会の人々や、パウロの教えに反対するユダヤ人のキリスト者が沢山いて、パウロはその人たちと常に闘い続けてきたのですが、その人たちは弱いから、そういうのであって、そこで、自分たちが売られて喧嘩を買うのではなくて、受け入れていこうではないかと勧めているのです。怒っている人、強そうに見える人に、あの人は弱いから、受け入れてやりなさいというのではない、その反対のことを言っているのです。

 今日の説教のタイトルを「強い人と弱い人」としたのには理由があります。この聖書の箇所を読んだ時に、私はすぐに、このタイトルの本のことを思い出したのです。『強い人と弱い人』というポール・トゥルニエの本です。

 このポール・トゥルニエは、スイスのジュネーブで心理療法士として働くキリスト者の医師で、たくさんの本を書いています。最も知られたものは、『人生の四季』というものでしょう。人生を四つの季節にあてはめて、それぞれの年代の特徴について記した名著です。

 この『強い人と弱い人』という本も、とても面白い考察が記されているのですが、はじめにこんな場面からはじまります。

 レストランでの出来事です。2、3歳の男の子が大声を上げて泣いています。その子どもの足元には破り捨てられた紙切れがあります。その子どもの近くで、母親は「さあ、この紙を拾いなさい」と叱っています。レストランの他の席についている人たちは、この騒がしい親子を眺めています。母親が強く言えば言うほど、子どもは大きな声で泣き叫ぶのです。

 周りの目がなければ母親は子どもを叩いたかもしれない。涙は弱い人間の武器だ。そう書いています。子どもは、レストランでは母親が他の場所のように力づくで自分を従わせることのできないことも見抜いている。また、母親がどっちみち負けるまで、この争いを続けることができないことも分かっている。トゥルニエはそう言います。

 こうして傷つけられた母親は、子どもの反抗によって二重に自尊心を傷つけられる。というのは、自分の子育てがうまくいかないことと、自分の方が歴然とした力があるのに子どもに負けたということになるというのです。 (続きを読む…)

2022 年 6 月 15 日

ざっくり学ぶ聖書入門42 エペソ人への手紙

Filed under: 聖書の学びと祈り会 — susumu @ 21:33

2022 年 6 月 12 日

・説教 ローマ人への手紙13章8-14節「主イエス・キリストを着て」

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 00:13

2022.06.12

鴨下直樹

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 パウロは「すべての人に対して義務を果たしなさい」と前回の終わりの7節で語りました。そして、今日の8節では「だれに対しても、何の借りもあってはいけません」と続きます。

 何の話をしているのだろうかと思うかもしれません。ここでパウロは、キリスト者の生き方のことを語っています。特に、ここでは国に対しての義務、責任を果たすということが言われています。

 積極的な戒めと、消極的な戒めというのがありますが、これは消極的な戒めと言えます。人に対して借りがあってはいけないと言います。何故かというと、自分の持っている自由を奪われてしまうことになるからです。

 後ろめたさがある、負い目があるとき、相手に支配されてしまいます。やらされていると思うと、とたんに楽しくなくなってきます。

 それは、家に帰ってきて宿題をすぐに終わらせてしまった子どものようなものです。やることをしていれば、もう自由です。何もとやかく言われることはない。それと同じように、国に対して税金を納めることも同じです。人に対しても借りを作らないで生きることも同じです。積極的な生き方とは言えませんが、そうやって、自分をまもる消極的な姿勢であっても、まずは借りがないということが大事だとパウロは言います。

 ただ、本当に言いたいのはその後の文章です。

8節

だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことは別です。

とパウロは言うのです。

 これは、積極的な生き方です。損をする生き方ですが、それは別だと言うのです。人に貸しを作るように生きるのは良いことだというのです。8節の続きはこうなっています。

他の人を愛する者は、律法の要求を満たしているのです。

 自分の方から他者を愛することは、律法の求めていることを超えているというのです。それで、その後で、十戒の後半部分が記されていまして、これは「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という言葉に集約されると言っています。

 十戒の後半部分の戒めである、隣人との関係を命じる戒めは、他人を愛するという言葉の中に入ってしまっているというのです。

 これは、相手に対して借りがあるので返すという行為ではなくて、自分の方から相手との関わりを作っていって、相手を愛で包んでしまうことです。積極的な愛のわざです。これは、人によっては余計なお世話だと思われるかもしれません。それは、そうなのです。愛するという行為は、相手に借りを作らせる行動になることだからです。だから、余計なことをしないで欲しい、私もお返しをしなくてはいけなくなるから、やめて欲しい、という言葉が出てくるのは当然といえば、当然なのかもしれません。

 もちろん、恩着せがましくやりなさいと言っているわけではありません。愛は、一方的な行為ですが、その人の心を思いやる心が当然求められます。

 先週の木曜日に、教団の泉会が行われました。オンラインと会場に集まってのハイブリット形式の集まりで、全部で70人以上の人が参加しました。

 とても素晴らしい内容で、私もはじめから最後まで泣きっぱなしでした。その内容は、今度教団内だけで限定配信されるようなので、ぜひご覧になってくださったらと思います。
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2022 年 6 月 5 日

・説教 ローマ人への手紙13章1-7節「権威への服従」

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 00:30

2022.06.05

鴨下直樹

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 パウロはこの前の箇所で愛の姿を描き出して語りました。それは、キリスト者の生活の様々な場面で必要になる大切な事柄です。その中の終わりに「自分で復讐しないで、神の怒りに委ねなさい」と言いました。すべてを見ておられる神がおられるのだからと言うのです。

 その流れで、今度はこの13章に入ってこう続きます。

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。

 さて、この辺りまで来ると、だんだんそのまま受け入れることが苦しくなってくる方がでてくるのではないでしょうか。愛することは大事。それは分かります。復讐しないで神様に任せなさいは、ちょっと心の中でいろいろ思うところはあるけれど、まあギリギリセーフ。神様が代わりに復讐してくださるというのなら、お手並み拝見というような思いになるかもしれません。

 ところが、パウロは更に「上に立つ権威に従うべき」と言うのです。

 だいたい私たちはこの「べき」というのが好きではありません。

 上に立つ人がいつも良い人ばかりなら問題はありませんが、子どもの頃から私たちは理不尽な要求というものに長年苦しめられています。ほとんどのストレスの原因はここにあるとさえいえるほどです。しかも、この1節から7節まで読みますと、パウロはこの上に立つ権威をどうやら完全に肯定しているわけで、読んでいてもあまり面白いとは感じないかもしれません。

 そんな語り出しをすると、皆さんも「ああ、鴨下先生はきっとこの聖書解釈をひっくり返す裏ワザでもあるんだろう」と期待して、安心したくなる方があるかもしれませんが、最後までこの調子ですから、どうすることもできません。

 最後の7節はこうです。「すべての人に対して義務を果たしなさい。税金を納めるべき人には税金を納め、関税を納めるべき人には関税を納め、恐れるべき人を恐れ、敬うべき人を敬いなさい」とまあ、こんな風に結ばれているのです。

 最後の方になるとまた「べき」「べき」という言葉が続きます。もうため息をついて、私たちもそれこそ帰る「べき」なのかもしれません。

 あえていうと、この箇所を正しく理解するために覚えるべきことの一つは、「これはあくまでも原則だ」ということです。ここに少しの慰めを見出すことができるかもしれません。 (続きを読む…)

2022 年 6 月 1 日

ざっくり学ぶ聖書入門41 ガラテヤ人への手紙

Filed under: 聖書の学びと祈り会 — susumu @ 21:14

今月の礼拝予定(2022年6月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 00:42

6月5日 聖霊降臨祭(ペンテコステ)

主日主題: ペンテコステ
聖餐礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: ローマ人への手紙13章1-7節
説教:「権威への服従」鴨下直樹牧師

礼拝後:誕生月の方への祈り、役員会

6月12日 三位一体祭

主日主題: 愛
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書のお話:「聖霊がくだる」鴨下愛
聖書: ローマ人への手紙13章8-14節
説教:「主イエス・キリストを着て」鴨下直樹牧師

礼拝後:礼拝準備会/月間予定確認会

6月19日 三位一体後第1主日

主日主題: 真実
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書のお話:「ぺテロの宣教」可児宏子
聖書: ローマ人への手紙14章1-12節
説教:「強い人と弱い人」鴨下直樹牧師

6月26日 三位一体後第2主日

主日主題: 信仰
聖餐礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書のお話:「ピリポの宣教」山田茜
聖書: ローマ人への手紙14章13-23節
説教:「神の国は義と平和と喜びです」鴨下直樹牧師

礼拝後:長老会

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