2024 年 8 月 31 日

今月の礼拝予定(2024年9月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 00:55

9月1日 三位一体後第13主日

主日主題: 入門
聖餐式礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書: ルカの福音書13章22-30節
説教:「主イエスという門をくぐって」鴨下直樹牧師

礼拝後:誕生月の祈り、役員会

9月8日 三位一体後第14主日

主日主題: 善悪
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「過越」河合和世
聖書: マルコの福音書3章1-6節
説教:「善か悪か」内山光生牧師

礼拝後:聖歌隊練習

9月15日 三位一体後第15主日

主日主題: 主の権威
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「葦の海をわたる」鴨下慈乃
聖書: マルコの福音書3章7-12節
説教:「汚れた霊どもを戒める」内山光生牧師

礼拝後:礼拝準備会/月間予定確認会

9月22日 三位一体後第16主日

主日主題: 十二使徒
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「天からのマナ」内山のぞみ
聖書: マルコの福音書3章13-19節
説教:「十二使徒を任命」内山光生牧師

礼拝後:活動報告「韓国語クラス」、聖歌隊練習

9月29日 三位一体後第17主日

主日主題: 信仰
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「十戒」鴨下愛
聖書: (未定)
説教:トーマス・シェヒ師

2024 年 8 月 25 日

・説教 ピリピ人への手紙4章4-7節「三つの証し」田中啓介師

Filed under: 礼拝説教 — susumu @ 09:24

2024.8.25

田中啓介


2024 年 8 月 18 日

・説教 マルコの福音書2章23-28節「人の子は安息日にも主です」

Filed under: 内山光生師,礼拝説教 — susumu @ 09:24

2024.8.18

内山光生


序論

 我が家では、毎年、夏になると私の実家の三重県桑名にあります「多度滝」に泳ぎに行くのが恒例となっています。そして先週、実家に行く次いでに泳いできました。

 そこは川がせき止められて泳げるようになっていて、「天然プール」と呼ばれています。、プールと言っても深さがせいぜい80センチ程度で、どちらかというと小学生、あるいは幼稚園児・保育園児にちょうど良い深さとなっています。

 その天然プールの特徴は、水温が低いという事です。だいたい20度くらいの水温でしょうか。最初、水につかる時、とても冷たいと感じるのですが、しばらくすると心地よい感じとなっていくのです。だから、猛暑と呼ばれるここ数年、ますます、利用客が増えているようです。ちなみに、入場料は無料ですが、駐車場代が1000円かかります。

 芥見からは2時間近くかかるので遠いと思いますが、もしも三重県方面に行くことがあれば、ぜひ、お出かけください。

I 主イエスの弟子たちの行動を非難するパリサイ人(23~24節)

 では23~24節から見ていきます。

 23節で、イエス様の弟子たちが麦畑で麦の穂を摘んでいました。しかしながら、その日は安息日だったのです。当時のイスラエルでは、他人の畑であっても、道具を使わなければ、たとえば鎌などを用いなければ、多少の麦ならば摘んでも良いとされていました。それは、貧しい人を助けるという教えがイスラエル全体に広まっていたからです。

 ですから、弟子たちは他人の麦畑で麦の穂を摘んでいましたが、それ自体は悪いことをしている訳ではありませんでした。問題なのは、「安息日に仕事をしてはならない」という教えをどのように理解しているかでした。

 パリサイ人たちは、イエスという人物が律法の解き明かしをしていて、人々から良い評判を得ていることにいらだっていました。おそらく、同じ宗教家としての嫉妬心がでてきたのでしょう。そして、イエス様の行動に何か問題を見つけ出して、文句を言ってやろうと思っていたのです。ところが、イエス様の行動には、なかなか落ち度を見出すことができません。それで、イエス様の弟子たちの行動に目をつけたのです。

 推測ですが、イエス様の弟子たちが安息日に麦の穂を摘んでいたのは、今回が初めてではなく、何度も何度も繰り返していたと思うのです。そして、すでにパリサイ人たちは、そのことを知っていたのでしょう。それで、彼らは安息日に主イエスの弟子たちが麦の穂を摘んでいるのを見つけるや否や、イエス様に対して文句を言ったのです。

 「なぜ彼らは安息日にしてはならないことをするのですか。」と。

 当時のパリサイ人たちは、旧約聖書の教えだけでなく、彼ら独自のルールを作っていました。そして、安息日に具体的に何をしてはならないかを決めていました。ですから、彼らにとっては、安息日に麦の収穫をすることは禁止事項であり、大いに問題があると理解していたのです。一方、イエス様の弟子たちは、安息日であっても、お腹がすきます。だから、手で麦の穂を摘む程度ならば、ルール違反ではないと考えていたのでしょう。もしも、その行動がルール違反と分かっていたならば、弟子たちは安息日に麦の穂を摘まなかったと思うのです。つまり、弟子たちは悪いことをしているという意識がなかった一方、パリサイ人たちにとっては、明らかにルール違反であり、両者の考えが対立していたのです。

 そこでイエス様はパリサイ人たちの文句に対して反論していきます。  (続きを読む…)

2024 年 8 月 11 日

・説教 マルコの福音書2章18-22節「新しい皮袋に」

Filed under: 内山光生師,礼拝説教 — susumu @ 00:56

2024.8.11

内山光生


序論

 7月末から8月1日(木)にかけて、私たち家族は大阪に行きました。一番の目的はUSJに行くことでした。当初から、夏は暑いので覚悟が必要だと思っていましたが、やはり暑かったです。例えば、アトラクションで順番待ちをしている時は、まさに我慢大会のような苦しさがありました。一緒に並んでいる人の顔色を見ると、たいていの人が疲れ果てた雰囲気を醸し出していて、それを見ると更に疲れが出てくるのでした。しかしそれでも、順番がまわってくると、その暑さがいっきにふきとび、思う存分、楽しむことができました。

 いわゆるインバウンドで、大阪の道頓堀周辺は外国人観光客でにぎわっていました。昔、20代の頃、道頓堀を散策した事がありましたが、これほどまでに多くの人が集まっているのは初めての体験でした。

 普段、芥見周辺で過ごしている私にとっては、かなり刺激のある夏季休暇となりました。

I 断食についての質問(18節)

 18節から順番に見ていきます。

 旧約聖書の時代では、しばしばイスラエルの民は断食をしていました。なんのために断食をしたのかというと、「贖罪の日」とよばれている日に、罪を悔い改める行為として、民全体で断食を行ったのです。

 また、イエス様の生きている時代においては、それ以外に、パリサイ人たちや宗教熱心な人々は、週に二度、月曜日と木曜日に断食を行っていました。

 さらにまた、バプテスマのヨハネやその弟子たちは、神のさばきを免れるために断食をして神に祈っていたのです。

 断食をすることは、決して悪いことではありません。しかし、何の目的で断食をするのか、そこはよく考えた方が良いと思うのです。

 バプテスマのヨハネやその弟子たちは、決して、イエス様に敵対している立場ではありませんでした。けれども、イエス様とその弟子たちが取税人たちと一緒に飲み食いしているのを知って、疑問に感じたのです。

 バプテスマのヨハネやその弟子たちは、自分たちが、一生懸命断食をしながら罪のさばきから逃れるために神に祈りをささげていました。一方、イエス様とその弟子たちは、自分たちの行いとは正反対の事をしていました。果たして、イエスというお方は、本当に救い主なのだろうか。そのような疑問が出てきたのです。

 また、イスラエルの人々は、パリサイ人と呼ばれる律法の指導者たちから、週に二度、断食するようにと言われていました。そして、実際にパリサイ人たちは忠実に断食をしていたのです。

 見た目だけで判断すれば、バプテスマのヨハネやその弟子たちやパリサイ人たちの方が、明らかに宗教熱心だと言えるでしょう。

 イエス様の良い評判は、かなり広い地域まで広まっていました。しかし、イエス様とその弟子たちの行動を見て、疑問に思う人たちが現れ、イエス様に直接質問したのです。

 「なぜあなたの弟子たちは断食をしないのですか。」 (続きを読む…)

2024 年 8 月 4 日

・説教 ルカの福音書13章10-21節「解放の主」

Filed under: 礼拝説教,説教音声 — susumu @ 00:26

2024.8.4

鴨下直樹

⇒ 説教音声の再生はこちら

 私たちは、毎週、毎週こうして礼拝に集っています。私たちは何を期待して、礼拝に集うのでしょうか。私は名古屋の東海聖書神学塾で毎週礼拝学を教えているのですが、いつもこの問いが頭に浮かんできます。何を期待して礼拝に集うのか? 私たちは神に何を期待しながら毎週こうしてみ前に集っているのでしょうか。

 今日の聖書の箇所で、18年もの間、腰が曲がってしまったまま、安息日に会堂に集い礼拝をささげていたであろう一人の女性の姿を見ることができます。果たして彼女は何を期待して礼拝に集っていたのでしょうか。

 これは、私の想像ですけれども、ひょっとすると彼女は、18年間、自分の体のことではなく、ただ神のみ言葉を聴くことを期待して、来る日も来る日も、会堂で神のみ前に集っていたのではないかと思うのです。この人は、主のみ前に出る喜びを知っていた人ではなかったか。きっとそうであったのではないかと、私には思えるのです。そして、この女の人のことを、見てきた周りの人は、彼女のことをどう思っていたのでしょうか。

 ここで彼女のことを「十八年も病の霊につかれ」と10節に書かれています。この病は、悪霊による働きだというのです。この「病」という言葉はギリシャ語で「アステネイア」という言葉なのですが、この言葉は「病」のほかに「弱さ」という意味もある言葉です。ということは、「病の霊」、というのは「弱さの霊」とも言うことができるわけです。

 そうなると、これはもう立ち所に他人事ではなくなります。自分の「弱さ」に対して悪霊がそこに付け込んでくるというのです。そうなると、私たち自身、実感があるのではないでしょうか。私たちは自分の弱い部分に気づきながらも、同じことで何度も、何度も同じ過ちを犯してしまうことがあるのです。たとえになっているかどうか分かりませんが、私の場合、車でトンネルを走っていると、気がつくといつも速度オーバーをしてしまっています。そのように、ごく日常的に、正しくないと分かっていても同じことを繰り返してしまうのです。そこに、私たちの弱さがあります。今週も愛することができなかった。振り返ってみると今週もまた、この自分の弱さが克服されていない。そんなことを繰り返しながら、礼拝に集うのです。悪に立ち向かう強さがないのです。弱さの霊に支配されているとしかいえない状況は、誰にだってあるのです。そのようにして、もう18年の間、いやそれ以上に礼拝に通い続けている。そうであるとすれば、これはもはや私たち自身の物語です。

 私ごとで恐縮ですが、私自身も腰の骨が曲がってしまっていて、来月手術することになりました。見た目は真っ直ぐに見えても、隠れたところで曲がっているわけです。見えている部分だけではないのです。体はまっすぐかもしれません。けれども、見えないところがまがっている、心が曲がっていく、ずれていってしまう。そうするとまっすぐに伸ばせなくなるのです。まっすぐがどういう状態だったかさえ分からなくなるのかもしれません。そうなると、自分の曲がってしまった弱さ、脆さに悪魔につけ込まれて、何度も同じような過ちを繰り返してしまうという経験を、私たちは繰り返してしまうのです。この、弱さのために、罪のゆえに、曲がってしまったところを持つ私たち。そのような思いを持っている私たちが、毎週礼拝に集ってくるのです。そして、そこで、主イエスは突然私たちに声をかけられる。「あなたの弱さは癒された」「あなたの病は癒された」と宣言してくださるのです。ここにこそ、礼拝に集う私たちの喜びがあるのです。 (続きを読む…)

2024 年 8 月 1 日

今月の礼拝予定(2024年8月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 07:12

8月4日 三位一体後第9主日

主日主題: 解放
聖餐式礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「水の上を歩く」内山のぞみ師
聖書: ルカの福音書13章10-21節
説教:「解放の主」鴨下直樹牧師

礼拝後:誕生月の祈り、役員会

8月11日 三位一体後第10主日

主日主題: 新生
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書: マルコの福音書2章18-22節
説教:「新しい皮袋に」内山光生牧師

礼拝後:礼拝準備会/月間予定確認会、流しそうめん

8月18日 三位一体後第11主日

主日主題: 安息日
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「モーセの誕生」河合和世
聖書: マルコの福音書2章23-28節
説教:「人の子は安息日にも主です」内山光生牧師

礼拝後:活動報告「ぶどうの木」句会

8月25日 三位一体後第12主日

主日主題: 神の国
公同礼拝: 午前10時30分(Zoom配信)
聖書のお話:「モーセの召命」可児宏子
聖書: ピリピ人への手紙4章4-7節
説教:「三つの証し」田中啓介師

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