・説教 マルコの福音書2章18-22節「新しい皮袋に」
2024.8.11
内山光生
序論
7月末から8月1日(木)にかけて、私たち家族は大阪に行きました。一番の目的はUSJに行くことでした。当初から、夏は暑いので覚悟が必要だと思っていましたが、やはり暑かったです。例えば、アトラクションで順番待ちをしている時は、まさに我慢大会のような苦しさがありました。一緒に並んでいる人の顔色を見ると、たいていの人が疲れ果てた雰囲気を醸し出していて、それを見ると更に疲れが出てくるのでした。しかしそれでも、順番がまわってくると、その暑さがいっきにふきとび、思う存分、楽しむことができました。
いわゆるインバウンドで、大阪の道頓堀周辺は外国人観光客でにぎわっていました。昔、20代の頃、道頓堀を散策した事がありましたが、これほどまでに多くの人が集まっているのは初めての体験でした。
普段、芥見周辺で過ごしている私にとっては、かなり刺激のある夏季休暇となりました。
I 断食についての質問(18節)
18節から順番に見ていきます。
旧約聖書の時代では、しばしばイスラエルの民は断食をしていました。なんのために断食をしたのかというと、「贖罪の日」とよばれている日に、罪を悔い改める行為として、民全体で断食を行ったのです。
また、イエス様の生きている時代においては、それ以外に、パリサイ人たちや宗教熱心な人々は、週に二度、月曜日と木曜日に断食を行っていました。
さらにまた、バプテスマのヨハネやその弟子たちは、神のさばきを免れるために断食をして神に祈っていたのです。
断食をすることは、決して悪いことではありません。しかし、何の目的で断食をするのか、そこはよく考えた方が良いと思うのです。
バプテスマのヨハネやその弟子たちは、決して、イエス様に敵対している立場ではありませんでした。けれども、イエス様とその弟子たちが取税人たちと一緒に飲み食いしているのを知って、疑問に感じたのです。
バプテスマのヨハネやその弟子たちは、自分たちが、一生懸命断食をしながら罪のさばきから逃れるために神に祈りをささげていました。一方、イエス様とその弟子たちは、自分たちの行いとは正反対の事をしていました。果たして、イエスというお方は、本当に救い主なのだろうか。そのような疑問が出てきたのです。
また、イスラエルの人々は、パリサイ人と呼ばれる律法の指導者たちから、週に二度、断食するようにと言われていました。そして、実際にパリサイ人たちは忠実に断食をしていたのです。
見た目だけで判断すれば、バプテスマのヨハネやその弟子たちやパリサイ人たちの方が、明らかに宗教熱心だと言えるでしょう。
イエス様の良い評判は、かなり広い地域まで広まっていました。しかし、イエス様とその弟子たちの行動を見て、疑問に思う人たちが現れ、イエス様に直接質問したのです。
「なぜあなたの弟子たちは断食をしないのですか。」 (続きを読む…)