2021 年 2 月 28 日

・説教 詩篇119篇41-48節「王たちの前で」

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 00:22

2021.02.28

鴨下 直樹

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よ あなたの恵みが私にもたらされますように。

 今日の詩篇はこのような言葉からはじまっています。

 「恵み」という言葉は、聖書の中に何度も出てくるとても大切な言葉です。この言葉のヘブル語は「ヘセド」と言います。もう、何度もこの言葉について語ってきました。「慈しみ」と訳されることの多いこの言葉ですが、この言葉の中には、神のさまざまな思いが詰まっているのです。

 旧約聖書の中に、ホセア書という預言書があります。この預言者ホセアは、主に従って姦淫の女ゴメルを妻に迎えます。二人の子どもが生まれますが、ホセアはこの妻ゴメルとの関係に悩みます。何度も何度も夫を裏切り、不貞を働くのです。ホセアはこの妻のために非常に苦しむのです。しかし、主はこのホセアにこう語ります。ホセア書3章1節です。

夫に愛されていながら姦通している女を愛しなさい。

 主は、ホセアに愛とは何かということを教えられながら、神ご自身がイスラエルの民をどのように愛しておられるのかを、妻ゴメルを愛するということを通してホセアに示そうとされました。

 そして、6章の6節にこう記されています。

わたしが喜びとするのは真実の愛。
いけにえではない。

 ここで語られている「真実の愛」と訳された言葉、この言葉が「ヘセド」です。この出来事は、今日の詩篇で恵みと訳されているヘセドという言葉の意味をよく表しています。

 カトリックの雨宮慧という聖書学者がおられます。この人は実に多くの本を書いているのですが、その雨宮慧の代表的な本で『旧約聖書のこころ』という本があります。この本は、旧約聖書を代表するさまざまな言葉の解説を丁寧にしてくれている本なのですが、この中に、ヘセドについて書いている文章があります。そこにこんなことが書かれています。

「ヘセドとは、親と子・友人同士など、人と人を結ぶきずなのことであるが、このきずなには二つの側面がある。一つは両者を結ぶ愛であり、他はその愛に対する誠実さである。」

 それぞれの関係を結ぶきずな、これがヘセドなのだと説明しています。そして、そのきずなには二つの側面があって、愛と誠実さによってあらわされるきずななのだと説明しているのです。預言者ホセアと妻ゴメルの中に生まれるきずなというのは何かというと、相手がたとえ自分を裏切ったとしても、その相手に対して誠実さで、その愛を示すのだというのです。

 ですからこのヘセドという言葉は、「慈しみとまこと」という意味だと雨宮先生は説明しています。あるいは、このホセア書に書かれているように「真実の愛」ということもできるわけです。

 また、更にはこの「ヘセド」には契約という要素が深く結びついている言葉で、ヘセドをもってする交わりのことを契約と言うのだと、雨宮先生はその本の中で説明しています。契約と言うのは約束ですから、その愛の関係は途中で途絶えることなくずっと続いていくのです。

 「主よ、あなたのヘセドがわたしにもたらされますように」これが、今日、私たちに与えられているみ言葉です。

 主の真実な愛が私にもたらされるように、主の慈しみと誠実さが、私にもたらされるように、主と私の間にあるきずなが、ちゃんと築かれていますように。そして、その言葉の後に、「あなたの救いが みことばのとおりに。」と続くのです。

 み言葉に語られているように、主のヘセドによる、慈しみによる救いが私にもたらされるようにと、ここで祈り手は願っています。神の言葉は、まさにその神との間にきずながしっかりとあって、そのきずなを結んだ関係である神の民のことを、たとえ相手が裏切るようなことがあったとしても、神は真実な愛で、私たちに救いをもたらしてくださるというのです。 (続きを読む…)

2021 年 2 月 21 日

・説教 詩篇119篇33-40節「ゴールを目指して」

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 01:21

2021.02.21

鴨下 直樹

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 今朝は、予定されていた説教題を変えまして「ゴールを目指して」としました。何やら、サッカーでもしそうなタイトルですが、私たちの人生のゴールという意味で、ゴールとしました。

 ジョン・バニヤンが書いた『天路歴程』という物語があります。読んだことのある方がおられるでしょうか。クリスチャンの信仰の歩みをテーマにした旅の物語です。この物語は、滅びの町に住んでいる背中に大きな荷物を背負ったクリスチャンという名前の主人公の物語です。ある時、クリスチャンが読み物を読んでいて、いずれこの世界は天から火が降って来て滅んでしまうと知り、どうしたら救われるのかと、救いを求めて旅をする物語です。途中、エバンジェリスト(福音宣教者)という名前の人と出会い、遠くに見える光のところに小さな門があるから、そこに向かって進むように教えられます。そして、その天の都の門にたどり着くまでの旅が記されているのですが、途中でさまざまな人達と出会い、何度も道を踏み外しては危険な道を歩んでいく、そんなクリスチャンの冒険物語です。教会の図書にもありますので、是非、読んでみてほしい一冊です。

 今日の詩篇を読んでいますと、まさにこの天路歴程の物語を思い起こすような書き方がなされています。
33節と34節にこう記されています。

よ あなたのおきての道を教えてください。
そうすれば 私はそれを終わりまで守ります。
私に悟らせてください。
私があなたのみおしえから目を離さず
心を尽くしてそれを守るために。

 詩篇119篇は「道」という言葉がほとんどどの段落にも出てきます。ここでは「あなたのおきての道」という言葉が出てきます。その道はどこに続いているのか、祈り手は、その道を「終わりまで守ります」と言っています。「終わりまで」ということは、死に至る時までその道は続いているということです。自分の人生の歩みをかけて、その道を進んで行くというのです。なぜなら、その先にゴールがあると信じているからです。それが、天の都の門です。そして、そのゴールを目指して主が歩ませてくださる道が、自分の人生をかけて進んでゆくのにふさわしい道だと信じているのです。

 その道を進むために「あなたのみおしえから目を離さず」とここで言っています。この道を進む先にあるゴールを目指して進んで行くのです。

 そのゴールを目指して進むときに、目を離さずに、しっかりとゴールの方向、進むべき方向を見据えていることが大切です。

 問題は、「目を離さず」とあるのですが、私たちはすぐに目を離してしまって、どこに向かって行くのかが分からなくなってしまうことです。

 天路歴程の物語も、さまざまな登場人物が登場します。最初に出てくるのは、カタクナ氏と、イイカゲン氏です。その他にもヨワタリ氏、オキテマモル、カタチバカリ、コワガリ、シンジナイ氏など色々なユニークな名前の人物が登場してきます。こういう名前の人たちが、主人公のクリスチャンの進む道を邪魔していくのです。

 私たちの人生の進む道もそうです。セケンテイ氏だとか、ミンナヤッテル氏だとか、リュウコウさんやら、フツウさんやら、さまざまな人が私たちに声をかけて、この進むべき主の道とは違う道を示そうとしてきます。そして、その都度、私たちはそういう言葉にも一理あると思いながら、遠回りを繰り返してしまうのです。

私に悟らせてください。
私があなたのみおしえから目を離さず
心を尽くしてそれを守るために。

とありますが、これは私たちにとって切実な祈りなのではないでしょうか。

 今日の詩篇のところは、「へー」というヘブル語から始まるのですが、面白いことに、最後の40節以外のすべての節で、この「へー」という文字が入る単語から文章が始まっています。そして、そのすべての箇所はすべて命令形で記されています。

 〇〇してください、〇〇し給えというのは、お願いですけれども、文法としては命令形になるわけです。悟らせてください。み教えから目を離さないで、心からその教えを守ることができますようにという祈りです。
この祈り手は主に願い求めながらどうしても、知りたいのです。主の道を歩むことが最善であると。それが分かれば、わきのものに目を奪われることはなくなるのです。 (続きを読む…)

2021 年 2 月 14 日

・説教 詩篇119篇25-32節「真実の道」

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 06:51

2021.02.14

鴨下 直樹

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 今日の詩篇は少し重い空気が立ち込めています。

25節の冒頭には

私のたましいは、ちりに打ち伏しています。

とあります。

28節

「私のたましいは、悲しみのために溶け去ります。

31節

主よ、どうか私に恥を見させないでください。

このような重たい言葉が繰り返されています。

 今、水曜日にオンラインで聖書を各巻ごとに、ざっくりとした解説をしています。先週でもう15回になりました。先週は第一歴代誌をとりあげました。第一歴代誌というのは、アダムからダビデが王として立てられるまでの神の民の歴史を取り扱っています。第二は、その後のソロモン王からイスラエル王国が崩壊して捕囚を経験するまでの流れが記されています。

 こうやって聖書をずっと学んでいきますと、見えてくるのは神の民イスラエルというのは本当に小さな存在だということです。吹けば飛ぶような弱小国です。そんな国が、神の民として支えられ、励まされ、導かれて来た姿を歴代誌から読み取ることができます。そうやって見ていきますと、そこから見えてくる神の姿というものがあります。それは神の愛とか、恵みとか、慈しみという言葉で表現されるわけですが、本当に温かいものです。

 神であられる主は、神の民である私たちの存在がどれほど小さくても、神はそこに全力の愛を傾けてくださるお方なのです。そして、その神の愛はどういう形で、その小さな民に示されているのかというと、それは神の言葉によってです。この神の言葉によって、私たちは主が真実なお方であるということを知ることができるのです。

 言葉というものを、神はご自身の思いを伝える伝達手段としてお取りになりました。

 愛の伝達手段というのは、いろいろとあると思います。花束を贈るとか、プレゼントを贈る。その人の喜ぶことをする。お手伝いをする。綺麗な景色を見せる。おいしい食べ物を一緒に食べる。一緒に楽しい時間を過ごす。挙げればきりがありませんが。さまざまな方法がある中で、神は、「言葉」をお用いになりました。

 ただ、言葉というのは、もろ刃の剣です。良かれと思ってかけた言葉が、かえって相手の心を傷つけるという苦い経験をしたり、されたりという経験は誰にでもあると思います。それを、あえて神がなさったというのは、驚くべきことです。

 聖書の神は、言葉の神です。私たちは、それぞれの意思伝達をするために、言葉を使います。例えば、今こうして横で手話通訳が行われています。手の指を使っていろいろな形をさせながら、それを言葉として思いを伝えています。声であったり、文字であったり、手話であっても、私たちは言葉を用いて、思いを相手に伝えます。そこには、日常の情報交換のような言葉から、私とあなたという個人の関係があることが前提で交わされる深い内容の言葉まで、いろんな種類の言葉があります。軽い言葉から、重たい言葉まで、言葉は伝える内容の違いで、その重要度は異なってきます。 (続きを読む…)

2021 年 2 月 10 日

ざっくり学ぶ聖書入門15 歴代誌第一

Filed under: 聖書の学びと祈り会 — susumu @ 20:11

2021 年 2 月 7 日

・説教 詩篇119篇17-24節「旅人として」

Filed under: ライブ配信,礼拝説教,説教音声 — susumu @ 07:16

2021.02.07

鴨下 直樹


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説教全文はただいま入力・校正作業中です。 近日中に掲載いたします。

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 今朝は、予定していた説教題を変えまして、「旅人として」としました。年末までは「Go toトラベル」と言って、「旅行に行きましょう」ということを政府が打ち出しました。旅行に行くことで、コロナの中にあって経済を回そうという政策がとられていました。しかし、そのために感染が拡大してしまい、今は旅行どころではなくなって、反対に、「外出自粛」が叫ばれるようになっています。この岐阜市でも、この週末までとされていた外出自粛期間が来月まで延長されまして、旅行という雰囲気ではなくなっています。

 そんな中で、今日の詩篇の中にある「私は地では旅人」という言葉にどうしても目が留まります。「ああ、また旅行に行けるようになりたいなぁ」。そんな思いを持っておられる方は少なからずいると思います。

 聖書が「旅人」という言葉を使っているのを見て、そこにどんな意味があるのか、私たちはいろいろと想像します。「旅人」という言葉にはネガティブなイメージはありません。どちらかと言えば、楽しそうな、心がリフレッシュできそうな、そんなイメージを抱くと思います。

 先日の聖書の学び会でも、「旅人」というのは、どういう意味なのかという質問が出ました。他の聖書の翻訳では「寄留者」となっています。「寄留者」というのは、イスラエルの民の中に住んでいる異国人です。日本語で「外人」という言葉があります。どちらかというと、それに近いニュアンスの言葉です。

 ある解説のものを見ていましたら、このヘブル語は「ゲール」というのですが、「法的保護を必要とする『よそ者』を指す」とあって、さらには「ヤハウェの保護を必要とするはかなき者の意」と書かれていました。立場の弱い者です。そういう異国からの寄留者を、主は保護するように律法の中で戒めてきました。「この地では旅人」というのは、自分はこの地では立場の弱い、よそ者というような存在なのだと、自分のことを語っているのです。そうすると、この言葉はずいぶん違ったイメージになると思うのです。

 この詩篇119篇は最初の「アーレフ」というヘブル語のアルファベットで始まっています。最初の部分は、この詩篇の導入部分にあたります。次の「ベート」の部分は「若者への呼びかけ」となっていました。そして、今日の三番目の部分「ギーメル」で始まる部分ですが、ここからが詩篇の本論と言える内容になっています。

 この詩篇119篇は「神の言葉への愛」がテーマです。ここでいう、「神の言葉」というのは、「律法」のことを意味しています。イスラエルの人々への主が定めた法律です。

 主は、エジプトで奴隷であったイスラエルの民を救い出し、40年にわたる荒野の旅の後で、約束の地、カナンの地にイスラエルの人々を招き入れられました。こうして、主は、この世界の人々に、神の思いはどこにあるのかということを明らかにされました。そこで、語られているのが、律法です。イスラエルの人々が喜んで生きていくことができることを願って、生きていく上で大切なことを、神はこの律法の中に込められたのです。ですから、この律法の中には、主の愛と恵みが満ち溢れた内容となっています。

 どの国でもそうですが、その国の法律というのは、その国民を守るために作られます。民から搾取するためではなくて、安心して生きることが出来るようにするためです。そういう法律の、基になったのがこの神の律法と言えるわけです。

あなたのしもべに豊かに報い 私を生かし
私があなたのみことばを守るようにしてください

と17節にあります。

 み言葉を与えてくださる主は、私たちが豊かに生きることができるようにしてくださるお方なのだとここで告白しているのです。主は私たちを豊かに報いて、生かしてくださる。そのために、み言葉を大切に守って生きることができますようにと祈っているのです。

 神のみ言葉は、私たちの豊かな人生にとって必要不可欠なものなのです。

 そのために必要なことは何か。続く18節でこう言っています。

私の目を開いてください。
私が目を留めるようにしてください。
あなたのみおしえのうちにある奇しいことに。

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2021 年 2 月 3 日

ざっくり学ぶ聖書入門14 列王記第二

Filed under: 聖書の学びと祈り会 — susumu @ 20:59

2021 年 2 月 1 日

今月の礼拝予定(2021年2月)

Filed under: 今月の礼拝予定 — susumu @ 00:39

2月7日 降誕節第7主日

主日主題: 神の言葉
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: 詩篇119篇17-24節
説教:「旅人として」鴨下直樹牧師

礼拝後:総会準備会、役員会

2月14日 降誕節第8主日

主日主題: 真実
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: 詩篇119篇25-32節
説教:「真実の道」鴨下直樹牧師

礼拝後:礼拝準備会/月間予定確認

2月21日 受難節第1主日

主日主題: 主の道
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: 詩篇119篇33-40節
説教:「ゴールを目指して」鴨下直樹牧師

午後:教会総会(オンライン同時開催)

2月28日 受難節第2主日

主日主題: 王なる主
公同礼拝: 午前10時30分(ライブ配信)
聖書: 詩篇119篇41-48節
説教:「王たちの前で」鴨下直樹牧師

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