・説教 詩篇119篇41-48節「王たちの前で」
2021.02.28
鴨下 直樹
⇒ 説教音声の再生はこちら
Lineライブ
午前10時30分よりライブ配信いたします。終了後は録画でご覧いただけます。
主よ あなたの恵みが私にもたらされますように。
今日の詩篇はこのような言葉からはじまっています。
「恵み」という言葉は、聖書の中に何度も出てくるとても大切な言葉です。この言葉のヘブル語は「ヘセド」と言います。もう、何度もこの言葉について語ってきました。「慈しみ」と訳されることの多いこの言葉ですが、この言葉の中には、神のさまざまな思いが詰まっているのです。
旧約聖書の中に、ホセア書という預言書があります。この預言者ホセアは、主に従って姦淫の女ゴメルを妻に迎えます。二人の子どもが生まれますが、ホセアはこの妻ゴメルとの関係に悩みます。何度も何度も夫を裏切り、不貞を働くのです。ホセアはこの妻のために非常に苦しむのです。しかし、主はこのホセアにこう語ります。ホセア書3章1節です。
夫に愛されていながら姦通している女を愛しなさい。
主は、ホセアに愛とは何かということを教えられながら、神ご自身がイスラエルの民をどのように愛しておられるのかを、妻ゴメルを愛するということを通してホセアに示そうとされました。
そして、6章の6節にこう記されています。
わたしが喜びとするのは真実の愛。
いけにえではない。
ここで語られている「真実の愛」と訳された言葉、この言葉が「ヘセド」です。この出来事は、今日の詩篇で恵みと訳されているヘセドという言葉の意味をよく表しています。
カトリックの雨宮慧という聖書学者がおられます。この人は実に多くの本を書いているのですが、その雨宮慧の代表的な本で『旧約聖書のこころ』という本があります。この本は、旧約聖書を代表するさまざまな言葉の解説を丁寧にしてくれている本なのですが、この中に、ヘセドについて書いている文章があります。そこにこんなことが書かれています。
それぞれの関係を結ぶきずな、これがヘセドなのだと説明しています。そして、そのきずなには二つの側面があって、愛と誠実さによってあらわされるきずななのだと説明しているのです。預言者ホセアと妻ゴメルの中に生まれるきずなというのは何かというと、相手がたとえ自分を裏切ったとしても、その相手に対して誠実さで、その愛を示すのだというのです。
ですからこのヘセドという言葉は、「慈しみとまこと」という意味だと雨宮先生は説明しています。あるいは、このホセア書に書かれているように「真実の愛」ということもできるわけです。
また、更にはこの「ヘセド」には契約という要素が深く結びついている言葉で、ヘセドをもってする交わりのことを契約と言うのだと、雨宮先生はその本の中で説明しています。契約と言うのは約束ですから、その愛の関係は途中で途絶えることなくずっと続いていくのです。
「主よ、あなたのヘセドがわたしにもたらされますように」これが、今日、私たちに与えられているみ言葉です。
主の真実な愛が私にもたらされるように、主の慈しみと誠実さが、私にもたらされるように、主と私の間にあるきずなが、ちゃんと築かれていますように。そして、その言葉の後に、「あなたの救いが みことばのとおりに。」と続くのです。
み言葉に語られているように、主のヘセドによる、慈しみによる救いが私にもたらされるようにと、ここで祈り手は願っています。神の言葉は、まさにその神との間にきずながしっかりとあって、そのきずなを結んだ関係である神の民のことを、たとえ相手が裏切るようなことがあったとしても、神は真実な愛で、私たちに救いをもたらしてくださるというのです。 (続きを読む…)